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遅くなりましたが、1.3週の受業の動画をアップロードしました(小学生の分のみ)
動画を参考に、お父さんやお母さんといろいろ話をしたり実験をしてみたりしれください。
受業の動画作りのうち、作文と理科については、いろいろ面白いことを説明できると思うので、今後、ほかの人にも手伝ってもらう予定です。
理科の話題に関連するyoutube探しなどは結構楽しいと思います。
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東洋経済オンラインの記事に、「『作文下手な日本人』が生まれる歴史的な必然――なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか」が載っているのをたまたま見たので、その感想です。
https://toyokeizai.net/articles/-/259129
ここに書かれていることは、そのとおりです。
かつて、木下是雄氏の「理科系の作文技術」という本がありました。81刷100万部のベストセラーだそうです。
今は、その漫画版も出ています。漫画版の方は、元の本とはかなり印象が違うように思いますから、元の本を読むのがいいと思います。
https://tinyurl.com/yamfplw4
「理科系の作文技術」のような本がよく読まれたということは、日本の作文教育に疑問を感じている人が多かったからだと思います。
特に、批判が多いのが読書感想文です。
読書感想文は、小5以上で、具体的な指導のもとに行えば、とてもいい勉強になります。
それが、言葉の森で行っている読書感想文指導です。
しかし、今の学校教育で行われている読書感想文は、小2ぐらいで宿題として出され、しかもほとんどの場合何の指導もありません。
だから、読書感想文で力がついたとか、楽しく書けたとかいうことがないのです。
読書感想文の宿題に対する批判が幅広くあるにもかかわらず、この宿題が続くのは、そこに教育利権のようなものがあるからです。
読書感想文の宿題は、子供の教育のために出されているのではなく、ノルマとして又は惰性として出されているのです。
言葉の森でも、よく小学校低学年の生徒のお母さんから、読書感想文の宿題が出されているので書き方を教えてほしいという相談が入ることがあります。
小2の生徒にも、感想文の書き方を教えることはできます。そして、しっかり教えれば入選するような読書感想文も書けます。
しかし、それでその子の何らかの学力が伸びるということはありません。
その反対に、面倒なことをやらされたという感覚だけが残り、それがやがて作文嫌いのもとになっていくのです。
以前、やはり小2ぐらいでよく書ける生徒が、宿題として出した読書感想文を先生に褒められ、いろいろ手直しをさせられて、その結果読書感想文コンクールに入賞したことがあります。
その生徒が、小6のころに言った言葉は、「あちこち直されて、自分の文章ではなくなったみたいで、そんなに嬉しくなかった」でした。
言葉の森では、低学年の生徒の保護者から読書感想文の宿題の相談を受けたときは、次のように言っています。
「子供にそんな苦労をさせる必要はないので、お母さんがその宿題を書いてください(笑)。その分、子供には好きな本を読ませてあげてください」
また、コンクールに応募することになった作品の添削を頼まれたときは、直すのは基本的に誤字だけ、表現をもっと工夫したらいいところは、「ここはもう一工夫」と書くだけです。こちらで、いい表現の仕方を教えることはありません。ところが、「もう一工夫」と書くだけで、ほとんどの子はその部分を上手に書き直してくるのです。
さて、もとの「『作文下手な日本人』が生まれる歴史的な必然」に戻ると、その内容は、日本では読書感想文と行事作文がほとんどで、説明文のような論理的な文章の指導がないということです。
これは、日本の作文教育には大体あてはまると思います。
しかし、言葉の森の作文指導は、論説文を書くことを目標にした意見文と説明文と事実文(生活作文)の指導で、その中に小3からの長文を読んでの感想文指導が入ります。
だから、感想文や事実中心の行事作文を書く延長に、説明文、意見文の指導があるという構造になっているのです。
なぜこういうことが可能かというと、それは次のような作文に対する考え方があるからです。
説明文や意見文的な作文を論理的な作文と呼び、行事作文や生活作文的な作文を描写的な作文と呼ぶとすると、この論理的な作文か、描写的な作文かという対比の先にもっと大事なものがあることがわかります。
それが、作文を通して育てる個性、知性、感性という理念です。
説明中心の論理的な作文にしても、事実中心の描写的な作文にしても、共通するのは個性と知性と感性、言い換えれば、創造性と思考力と共感性を育てることが目標なのです。
そして、その重要な鍵となるのが、小学生の場合は特に、作文の準備における保護者との対話です。作文の課題をもとに親子で体験談や感想を話し合うことが、子供たちの個性、知性、感性を育てる重要な要素となっているのです。
この親子の対話のほかに重要なのが、読書と音読です。つまり、書く力をつける以前に読む力をつけることです。
だから、言葉の森では、ただ作文を書いて添削するだけの作文指導ではなく、作文を書く以前の準備、親子の対話、読書、長文の音読と暗唱に力を入れているのです。
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「理科系の作文技術」をamazonで見ると、「よく一緒に購入されている商品」として、「まんがでわかる 理科系の作文技術」と「【新版】日本語の作文技術」が出ていました。しかし、これらはあまりおすすめしません。
おすすめするのは、「原稿の書き方」(尾川 正二 講談社現代新書)ですが、中古しかありませんでした。
https://tinyurl.com/y9pmw72w
小学生の作文で、「数字や名前がわかるように書く」というのは、作文の評価の上ではあまり受けません。
そういう作文を書いて学校で褒められる子というのはまずいないと思います。
しかし、数字や名前をしっかり書く子は、中学生以降になるとかえって説明文を上手に書けるようになるのです。
例えば、「ぼくは、○○に行くために、○時○分に、○番線から「○○」という電車に乗り、途中、○○、○○、○○という駅を通って、○時○分に○○に着きました」というような文章を書く子です(笑)。
こういう子が、中学生、高校生になり、立派な説明文を書くようになるのです。もちろん、味のある説明文をです。
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2月に出版される「小学生のための読解・作文力がしっかり身につく本」(かんき出版)の最後の校正をしていました。
自分の書いた文章ですが、作文試験問題の解答例と解説を読むと、さすがに参考になることが書かれていると思いました。
ここに載っている解説を読むだけでも、かなり作文小論文のレベルが上がると思います。
例えば、その一部を引用すると、
(いいのかなあ。笑)
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入試の作文課題には、学問や勉強に対する姿勢が課題として出されることがよくあります。
学問や勉強のあり方が課題となる場合、意見はその課題に基本的に賛同する立場で書きます。反論する形よりも、賛同する形の方が意見が深まることが多いからです。
展開部分は、その意見の裏付けとなると自分の体験実例を書くという形になります。
学問や勉強に関する体験実例には、学校や学習塾で行った勉強の話よりも、自分が自主的に取り組んだ勉強的なものにする方がより深みのある実例になります。
自分から進んで何かを学んだとか、何かに取り組んだという実例は、その場ですぐに思い出すことが難しいので、あらかじめ自分自身の過去の経験から使えそうなエピソードを思い出して整理しておきます。
学問や勉強に関する作文のまとめ方は、「学問とは人間にとって……」「勉強とは人間にとって……」という形になることが多くなります。
この結びの一般化の主題はそれほど多くの種類はないので、自分なりにいくつかの意見を考えておくと、どういう課題が与えられたときでもうまくまとめることができるようになります。
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説明ばかりの文章でややわかりにくいかもしれませんが、ここに書いてあることを理解するだけで、文章のレベルがかなり違ってきます。(具体的なことは、解答例として書いてあります。)
例えばどういうことかというと、「勉強することの大切さ」とか「学ぶことの意義」とかいう課題が出された場合、自分の体験実例として、算数をがんばったとか、英語をがんばったとかいう普通の勉強の話を書いてしまうと、誰も同じような作文になって感動が薄れるということです。
ここは、夏休みの自由研究でセミの羽化を観察したとか、カブトムシを幼虫から育てたとかいう、学校の教科の勉強には入らないが、自分が自主的に行った話を入れていくといいのです。すると、そこに個性と感動が入るので、作文の内容が一段階レベルアップします。
同じ意見なら、実例に感動や個性のある文章の方がその意見に説得力が出るからです。
ところが、こういう話をその場ですぐに思い出すということはまずできません。だから、普段の作文練習の中で、自分らしい実例を見つける練習をしていくということなのです。
作文には、正解のようなものはありませんが、そのかわりちょっとしたコツのようなものはたくさんあります。
もうひとつの例として、例えば、志望理由書などにしても、ほとんどの生徒は普通に志望した理由を書きます。
しかし、それでは、誰が書いても同じような文章になってしまいます。
志望理由書は、あたりさわりないことを書くものではなく、自分をアピールするために書くものです。
すると、大事なのは理由ではなく、理由の裏付けとなる実績というところになるのです。
この志望理由書の書き方も、この本で解答例と解説を載せています。
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公立中高一貫校が作文試験を課すようになってから、作文力をつけるという本がいくつか出ていましたが、これらを読んでも受験生は、あまり書き方がわかるようにはならないと思います。
それはなぜかというと、解答例に、実際の生徒が書いたよく書けた文章というものが使われているからです。
よく書けたのは、指導によってよく書けたのではなく、その生徒の実力としてたまたまよく書けたのですから、ほかの人が読んでも参考になりません。つまり、実例がよかったとか、いい表現が入ったとかいうことで、よく書けたことになっているからです。
また、課題の解説の多くは、その課題に対する心構えや準備のようなことが書かれていることが多く、どう書いたらいいかということまでは書かれていません。
それは、たぶん子供たちの作文を実際に指導した経験のあまりない人が書いているからだと思います。
作文指導における誤解でかなり多いのが、上手に書けた子の作文を見せて、ほかの子を上手にさせようとすることです。
他人のよく書けた作文を見せるだけで、それで上手に書けるようになる子はまずいません。
それどころか、かえって自信をなくし、作文嫌いになるだけです。
だから、お母さんやお父さんも、決して、ほかの子の上手な作文を見せて、「こんなふうに書けたらいいね」などとは言わないことです。
いつも自分の子供の作文のいいところを見て褒めてあげることなのです。
どこがいいところかというと、それは指導項目で先生が指導しているところです。
作文の上達のためには、こういう地道な積み重ねが大事なのです。
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今の試験は、基本的に記憶力の試験です。考える問題もあると言う人がいるかもしれませんが、考える問題というのも、結局は考え方や解き方を記憶して知っている者だけが時間内に解けるという試験です。
だから、記憶力のあるなしが試験勉強に大きく影響します。
もちろん、記憶力の試験だとはいっても、単純に特定の知識を覚えているかどうかを見るような試験ではありません。
複数の解き方を記憶して、更にその解き方の組み合わせ方を記憶するというようなより複雑な試験です。
しかし、基本は記憶力の試験なのです。
その記憶力を高める勉強として最も効果のあるのが暗唱です。
小学校低学年から暗唱の練習をしていると、文章のリズム感がついてきたり、難しい語彙を読み取る力がついてきたり、毎日一定の時間(10分程度ですが)勉強する習慣がついてきたりと、いろいろな効果があります。
それらの効果の中でも、特に重要なのが、覚えることが苦にならなくなるということです。
試験の準備などで覚えることが多いと、普通、ほとんどの子は嫌がるものですが、暗唱に慣れている子は、それを特に負担だとは思いません。むしろ、覚えることが楽しいという感じになることも多いのです。
それは、読んだことがすぐに頭に入るという脳の仕組みになっているからだと思います。
日本では、江戸時代まで四書五経の素読の教育が行われていました。
明治、大正時代以降も、家庭によっては、湯川秀樹氏の家のように六歳からの素読の教育が行なわれていました。
しかし、戦後の教育の中で、素読や暗唱は、理解する勉強の妨げになるとして排除されてしまったのです。
そのために、かえって日本の子供たちの総体的な学力が低下しました。
理解する勉強には、落ちこぼれになる子がいます。
しかし、素読の勉強には、落ちこぼれになる子はいません。
誰でもそれぞれに自分のできることができ、しかも、中には極めて高いレベルまで進む子もいるのです。
今の大人は、すべて戦後の理解を先行させる教育の中で育ってきたので、音読を繰り返すとか、何かを記憶するとかいう勉強を一段低いもののように見る傾向があります。
しかし、九九の暗唱が日本人の計算力の基礎となっているように、低学年からの暗唱の勉強は実は学力全体のきわめて広範囲な土台となっているのです。
言葉の森の暗唱長文集は、ホームページのリンクにあります。
どなたでもごらんになれます。
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音読や暗唱を、理解する勉強に比べて一段低いもののように感じる人が多いと思いますが、それは戦後教育の影響です。
音読や暗唱は、それ自体が目的なのではなく、考える力を伸ばすための土台です。
この土台作りを始めるいちばんの時期が、小学1、2年生です。
音読や暗唱のような簡単に見えるものほど続けるのが難しい面があります。
これを続けやすくするために行っているのが、百字ずずつの暗唱法、暗唱検定という目標、寺子屋オンラインでの暗唱チェックなどです。
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あるブログで、サイババスクールの話を読みました。そこでは、単なる知識や技能を教えるだけでなく、もちろんそれも大切なことですが、人間が生きる根本の哲学と実践を教えているような学校でした。
シュタイナースクールにしても、モンテッソーリ教育にしても、このようなある理想に根ざした教育を行っているところは。世界に数多くあります。
しかし、いくら数多くあるといっても、そこに来られる人はほんのわずかです。
それは、場所の制約があることと、多くの場合費用の制約があるという理由からです。もちろん、そのような学校の中には無料のところもありますが、それはその地域や団体からの援助によって成り立つ無料ですから、本質的な無料ということではありません。
現在の教育の問題は、教える中身はそれぞれに豊かなものがあるのにもかかわらず、それを広げる方法ががないというところにあります。
しかし、ここで未来の展望として考えられることがあります。
それは、例えば複数の人工衛星によって世界中どこでもインターネットが利用可能になり(すでにそういう計画が進んでいると思いますが)、子供たちが数万円のクロームブックのような端末さえ持っていれば(アイパッドでももちろんいいのですが)、地球全体で質の高い教育が可能になるということです。
現在も、すでにMOOKなどの試みによって世界中を対象とする教育は可能になっていますが、学校という先生や生徒との触れ合いのある教育機会はまだほとんど達成できていません。
しかし、それは学校という形でなくてもいいのです。大事なことは、人間どうしの交流があることです。
学校という組織は、もちろん大きな影響力を持ちますが、多くの人にとって、学校で特によい教育を受けたという実感はないと思います。
その代わり、人間形成において影響を受けたのは、両親や兄弟や祖父母、そしてテレビや本の文化、さまざまな友人たち、そして学校も含めた多くの集団や組織でした。
中でも両親による影響は、子供の人間形成の上で大きな影響を持っていたと思います。
こう考えると、子供たちがそれぞれの家庭で、又は地域のある家庭に集まって、インターネットによるオンラインで、さまざまな地域の子供たちと先生が多様な勉強に取り組むというのが、未来の教育の姿になってくるのではないかと思います。
このようなシステムができれば、世界中の子供たちが場所や費用の制約のない良質な教育が受けられるようになります。
このときの先生の役割は、教えることよりも子供たちを育てることになりますから、今のような教育資格を持った人に限定されるのではなく、志のある多数の人によって担われて行くようになります。
先生の役割が、教えるから育てるへ、ティーチングからコーチングへと変わるのは、インターネットで提供される優れた教材が教育の中身になるので、その中身を先生が教えるということがなくなるからです。
この結果、ネットワークを利用した教育は、場所代も建物代も人件費もほとんどかからなくなり、世界中の子供たちに文字どおり制約のない教育を提供できるようになります。
費用がほとんどかからないとはいっても、お金のやりとりがなければ運営は回りませんが、それはブロックチェーンでカバーできるようになるので、運営のための大きな組織が必要になるわけではありません。
クロームブックのような端末は、現在日本では4万円程度ですから、量産すれば1万円ほどで生産できるのではないかと思います。
インターネットの接続が無料になるとすれば、世界中で数十億人の子供たちすべてにその端末をプレゼントしたとしても、計算は省略しますが大した金額ではありません。
このような教育のモデルを日本にあてはめると、オンラインで行う寺子屋教育のようなものになると思います。
この教育モデルを作るために、言葉の森では、寺子屋オンラインと、森林プロジェクトによる講師育成講座を進めているのです。
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言葉の森が今さまざまな新しい企画を考えているのは、未来の教育モデルを作るためです。
モデルとともに大事になるのは、そこに盛り込むキラーアプリケーションとしての教育の中身ですが、その中身には、30年以上の独自開発の歴史を持つ作文教育があります。
今、まだ不足しているのは、時間とお金だけなのです。
インターネットとブロックチェーンの時代には、物ではなく事が物事を左右します。(何かややいこしいが)
事というのは、ビジョンとモデルのことです。
モデルという型ができることによって、中身が育っていくのです。
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