普通、勉強というと、答えが一律に決まっているもののことを言います。
だから、一斉指導の形の授業が有効で、それが能率のよい勉強の仕方になっています。
しかし、答えが決まっている勉強でも、学年が上がるにつれて内容が難しくなると、それに応じて習熟度によるクラス分けが必要になってきます。
特に、今のように家庭環境の差が大きくなると、低学年のうちから、読書習慣などによって勉強以前の差が生まれてきます。
その習熟度の差に対応した教え方が、個別指導です。
しかし、答えのある勉強の世界で最も能率のよいのは、一斉指導でも個別指導でもなく自学自習です。
子供がまだ自分で勉強を進められない年齢のときは、親が協力して親子で進める自学自習が最も能率のよい勉強法になります。
ただし、この家庭での自学自習の難点は、一般に親が性急に成果を求めすぎるところにあります。
読書習慣などは、子供本人の好きな本を、短いページ数でよいので、毎日休まずに気長に続けていくことが大切なのですが、多くの親は、子供にとって難しすぎる本を、週に1回か2回、集中して読ませて、その読んだ結果についてテストをするような濃い勉強的な読書をさせがちです。
そのために、力がつく前に、親子喧嘩になってしまうことが多いのです。
この家庭での自学自習をやりやすくするために、言葉の森では寺子屋オンラインの自主学習クラスを開いています。
ただし、今の自主学習クラスのやり方はまだ子供たちの交流がなく、定期的な評価などもないので、今後はこの面を改善していく予定です。
さて、答えのある勉強は、今後寺子屋オンラインを利用した自学自習でカバーしていけるようになりますが、これからの学力の中心は、答えのない勉強になります。
AI化が進む時代には、この答えのない勉強の実力をいかにつけていくかということが大事になってきます。
その答えのない勉強では、子供たちが、個性的で創造的な研究をし、それを友達の中で共有し、互いに交流する形の勉強が中心になります。
そういう勉強の代表が、読書と作文とプログラミングです。
これらの勉強は、初心者のころは一斉指導でもできますが、学年が上がりレベルが上がってくると、同じレベルの子どうしの発表や交流が勉強の意欲につながるようになります。
そして、これらの勉強は、高校3年生になったから卒業というものではなく、更に長期間、自分の力を向上させていけるものです。
実は、子供たちの学力が深いレベルで成長するのは、高校3年生の18歳から20代前半にかけてです。
もし大学生になったあとも、年に何回か、小学1年生時代から一緒に寺子屋オンライン勉強してきた友達と、読書や作文やプログラミングやさらには将来の仕事などについての交流ができれば、これはかけがえのない学習の機会になると思います。
今行っている、寺子屋オンラインの作文クラスと発表学習クラスは、このような長期的な勉強として進めていきたいと思っています。
そのために、今後は寺子屋オンラインクラスの生徒募集に力を入れ、その生徒増とクラス増に対応するため、森林プロジェクトの講師育成に力を入れていこうと思っています。
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答えのある勉強は、個性のない勉強です。
個性のない勉強が最も得意なのはAI(人工知能Z)です。
漢字や計算の勉強で人間とAIが競争したら、絶対に人間が負けます。
そして、そういう分野は年々広がっています。
だから、人間は、漢字や計算などの学力は8割押さえておけばそれで十分で、あとの余力は個性のある学力づくりに向けていくことです
そして、もし、試験などで漢字や計算も10割近くにする必要があるときは、試験直前に集中学習をして間に合わせればいいのです。
狭い日本の、さらに狭い学校や塾の先生の評価に合わせるのではなく、将来の世界という大きな枠で考えていくことです。
個性が大事な時代と言っても、基礎学力は必要です。
その基礎学力とは、昔ながらの読み書き算盤です。
その中でも、最も大事なものは暗唱です。
暗唱力があれば、読解力、思考力、表現力も伸びるからです。
そして、暗唱は小1以前からでも、誰にでもできて、しかも慣れると楽しくなってくるからです。
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東大の2020年からの大学入試入試における英語の方針が発表されました。
それは、民間試験利用の英語の成績が、国際的な尺度であるCEFR(セファール)でA2以上だということです。
そして、これは出願の要件であって、得点としては加算しないということです。
CEFRでA2のレベルというのを英検で見てみると、準2級から2級の実力で、高校卒業時に生徒の半分が達成すべき基準だとされている水準です。
以前、東大の推薦入試で、「学力は、センター試験で8割取れればよい」とされていましたが、それと同じ発想です。
つまり、学力はある程度あればそれでよしとして、あとは思考力とか、創造力とか、個性的な関心や意欲のようなものを優先するということなのでしょう。
これは、これまで東大の入試に合格してきた成績優秀な子供たちの中に、優秀なのは成績だけで、論文もまともに書けないとか、学問に対する意欲もないとかいう子が目立ってきたためではないかと思います。
この入試の成績と真の学力との乖離は、予備校の入試対策が充実してきたことと比例しているはずです。
言い換えれば、大学入試の対策が充実すればするほど、入試が科挙化していったのです。
そして、これは、大学入試に限らず、高校入試でも、中学入試でも起きつつある現象です。
成毛眞(なるけまこと)さんは、最近の著書の中で、面白いことを述べています。
それは、今活躍している若者たちの多くは「ゆとり世代」で、勉強漬けにならなかった中高生時代を過ごしていたというのです。
AI時代に、学力の基準は大きく変わってきます。
これまで優秀とされてきた学力の中には、AIでカバーできるものがかなりあるのです。
では今後、子供たちの真の学力を伸ばすという場合、何を伸ばしていったらいいのでしょうか。
私は、それは広義な意味での国語力だと思います。
その国語力とは、漢字書き取り力とか、選択式の読解力とか、文学の読み取り力とかいうものではなく、もっと根本的な哲学に近い思考力なのです。
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今、ゆとり教育が見直されつつあります。
確かに、一部では低学力の子供たち生み出し、その負の側面が大きく取り上げられましたが、その一方で、勉強漬けにならない子供時代を送り、個性と能力を開花させていった子供たちもいたのです。
このゆとり教育のプラスの面をどう伸ばすかということが、これからの教育の課題です。
勉強はどの教科も一応できた方がいいのです。
しかし、どれもオール5を目指すような勉強の仕方は、かえって害があります。
ところが、小学校低学年で普通にできる子の場合は、親がつい全部できるようにさせてしまうことが多いのです。
本当は、それよりももっとその子の自由な時間を作ってあげる方がいいのです。
これが、「8割できたらいい」という考え方です。
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寺子屋オンラインの発表学習クラスにいる子供たちの発表は、毎回個性的なものが数多くあります。
子供の力だけでなく、お父さんやお母さんが協力していることももちろんあると思いますが、基本は子供が自主的に考えて自分らしい内容を研究し発表しています。
ですから、みんなの前で自分の実験や研究成果を発表する様子が、どの子も生き生きとしています。
読書もよくするし、学力も高い子供たちが多いのだと思いますが、普通の勉強で答えのある問題を解くときよりもずっと生き生きとした勉強になっていると思います。
これは、子供でも大人でも同じで、与えられた仕事や決まりきった仕事をやるときはあまり熱意が湧きません。
その代わり、新しい問題に取り組むときや、自分には少し難しい問題取り組むとき、又は創造的に取り組まなければ解決できない問題に取り組むとき、人間は生き生きとしてきます。
それは、人間には本来、向上心や創造心というものがあるからです。
これからの学力というのは、まさにこういう向上心、創造心をもとにした学力です。
最近の入学試験では、作文試験とともに面接試験が取り入れられているところがあります。
従来は、面接試験というと、極端に問題あることを言わない限り合格になるというものが多かったと思いますが、今の面接試験はその子の考える力を確かめるようなものになっています。
発表学習クラスでは、互いの発表や読書に対して質問や感想を述べる段になると、ほとんどの子が積極的に自分らしい発言をします。
ところが、ごく少数ですが、質問や感想を聞くと、深く考える様子もなくすぐに、「ありません」と、あっさりと言う子がいるのです。
こういう子供たちが、どうして生まれるのかというと、ひとつは、作業的な勉強をやらされすぎているために、自分から進んで何かをしようという気持ちが失われてきているのだと思います。その証拠に、そういう子供たちは成績はいいのです。
もうひとつは、何かをすると親から細かく欠点を注意されるので、できるだけ積極的に自分から進んでやろうとしないようになっているのです。
その反対に、どんなに質問や感想の述べにくい場面でも、聞けば必ず自分なりの話ができる子がいます。
こういう子供こそ、問題を発見する力や、まだないものを創造する力を持っている子です。
自分の実験、観察したものを発表したり、感想を述べ合ったりする勉強は、数値で表せるような評価が伴わないので、かつてのゆとり教育のように単なる遊び半分の交流になってしまう可能性もあります。
これを、学問的、創造的な交流に深めていくというのが、これからの教育の目指す方向で、現在それが発表学習クラスの中では実現しつつあると思います。
今後、この発表学習クラスと、作文の少人数クラスと、国語・算数・英語などを学ぶ自主学習クラスを、オンラインの少人数教育として進めていく予定です。
しかし、そのためには、参加する子供たちを励まし、少人数クラスを活性化する役割を果たす多くの講師が必要です。
そのため、現在、
森林プロジェクトの作文講師を募集しています。
これからの教育は、一斉授業で同じことを一律に教わるものではなく、また個別指導で深く狭く教わるようなものでもなく、少人数の交流の中で、子供たちが自主的に学んでいくものになっていくと思います。
そういう一人ひとりの個性が光る教育が未来の教育です。
日本発のこの新しい教育をこれから広げていきたいと思っています。
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日本にはもともと寺子屋教育という優れた教育法がありました。
それは、基礎学力を誰でも自分のペースで確実に身につけることのできる教育でした。
この学習法を、現在のインターネットの技術を生かして、より創造的に復活させていく必要があります。
発表学習クラスの一人ひとりの発表時間は5分ぐらいのものです。
しかし、その発表の準備のためにかけた時間は、何時間どころか何日もかかったものもあると思います。
それらをすべて、子供たちが生き生きと自分から進んでやっているのです。
こういう勉強の様子を見ていると、人間にはもともと知的向上心があるのだということがわかります。
少なくとも、その子供たちには、そういう本来の知的向上心を育てるような家庭環境があるのだと思います。
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google+が2019年8月に終了するとのニュースがありました。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1810/09/news049.html
言葉の森の寺子屋オンラインでは、google+は、facebookと違い個人情報がゆるやかなので、作品のアップロードや交流などに利用していました。
しかし、アップロードしたものがすぐに反映されないとか、制限ページに承認した人が入れないとか、小さなバグがあり、googleに問い合わせをしていたのですが、いつも返事がありませんでした。
そこで、今後の寺子屋オンラインの交流の場をどうするか、今検討しているところですが、最も可能性が高いのは、Workplace by facebookに移行することです。
参加は無料です。
Workplaceは、画面や操作がfacebookとほとんど同じなので、facebookを利用したことのある人は使いやすいと思います。
ただし、facebookのような個人情報を入れる必要はないようです。
また、facebookのアカウントとは別のアカウントとなるので、facebookとの関連付けもないようです。
google+の終了に伴い、これまでアップロードしていた画像や動画で残しておきたいとものは、各自が保存し直しておくといいと思います。
それぞれのコミュニティの検索のところで、自分の名前を検索すると、これまでにアップロードしたものが表示されます。
また、今回の移行に伴い、今後、画像のアップロードについては、自分のgoogleフォトなどにアップロードし、そのリンクをコミュニティや「作文の丘」に貼り付けることを検討しています。
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寺子屋オンラインの作品アップは、できるだけ早い時期にgoogle+からWorkplaceに移行できるようにします。
slackというチャットツールもいいと思ったのですが、facebookを利用している人にとっては、画面がそっくりなので、移行がスムーズにできると思い、Workplaceを第一候補としました。
言葉の森も、以前は自前で掲示板やさまざまな動的ページを作っていましたが、インターネット技術の変化が速いので、今はできるだけクラウドサービスに移行する方向を考えています。
これからの時代は、インフラの先進性ではなく、コンテンツの個性が重要になってきます。
GAFAの一人勝ちがよく話題になりますが、独占状態が制限されれば、インフラの世界は次第に利益率を低下させていきます。
それに対して個人の作り出す個性的な創造は、高い利益率を維持できます。
インフラの世界の多くは、今後ブロックチェーンに代替されるようになります。
すると、これから来るのは、個性ある個人の作り出す多様な世界になってくるのです。
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良いことをした結果としてご褒美をあげるというのは、悪いことではありません。
しかし、褒美をあげることを手段として良いことをさせるというのは、あまり良いことでありません。
結果としての褒美はいいのですが、手段としての褒美は良くないのです。
それは、なぜかと言うと、褒美という報酬によって子供をコントロールするようになるからです。
人間の本質は、自主性です。
本来自主的な人間が、他人からのコントロールを受け入れることによって、自我が縮小し、自分に対する価値観、自分自身に対する尊厳のようなものが低下していくのです。
自分に対する価値観が低下すると、それにしたがって意欲も低下していきます。
すると、次に同じような行動をさせるためには、さらに大きな報酬が必要になってきます。
逆にもし報酬なしで、しかも困難なことを成し遂げたとすると、その子は自分の自我を拡大させます。
すると、さらに難しいことにも挑戦したいという意欲を持つようになるのです。
子育てのコツは、結果を褒めることは良いが、褒めることを手段にし子供をコントロールしようとしないということです。
そして、褒めることについても、いちばん良いのは心からの感謝や賞賛であって、できるだけ物化しないものの方が良いのです。
犬や猫などの動物は、人間の与える手段によって行動をコントロールすることができます。
犬や猫にとっては、それが嬉しいことでもあるので何も問題はありません。
しかし、人間は、本質的に自分で自分をコントロールするという自主的な生き物です 。
大人が考える「良い子」というのは、コントロールしやすい子という面があります。
本当は、そういう「良い子」とは少し外れたところにいるのが、本当の良い子なのです。
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子供を素直な良い子に育てるのは基本ですが、素直すぎる良い子の場合は、できるだけ子供の自主性に任せるようにすることです。
その自主的な選択が子供なりに合理的なものであれば、親の希望に沿わないときでもそれを認めてあげることです。
近回りで良いことをさせるよりも、遠回りで行った方が、長い目で見れば人間を成長させることも多いのです。
悪い子というのはすぐに直りますが、良い子すぎる子というのはなかなか直りません。
だから、基本は良い子だが、ときどき悪いことをするというのが、いちばんいいのです。
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