東大の2020年からの大学入試入試における英語の方針が発表されました。
それは、民間試験利用の英語の成績が、国際的な尺度であるCEFR(セファール)でA2以上だということです。
そして、これは出願の要件であって、得点としては加算しないということです。
CEFRでA2のレベルというのを英検で見てみると、準2級から2級の実力で、高校卒業時に生徒の半分が達成すべき基準だとされている水準です。
以前、東大の推薦入試で、「学力は、センター試験で8割取れればよい」とされていましたが、それと同じ発想です。
つまり、学力はある程度あればそれでよしとして、あとは思考力とか、創造力とか、個性的な関心や意欲のようなものを優先するということなのでしょう。
これは、これまで東大の入試に合格してきた成績優秀な子供たちの中に、優秀なのは成績だけで、論文もまともに書けないとか、学問に対する意欲もないとかいう子が目立ってきたためではないかと思います。
この入試の成績と真の学力との乖離は、予備校の入試対策が充実してきたことと比例しているはずです。
言い換えれば、大学入試の対策が充実すればするほど、入試が科挙化していったのです。
そして、これは、大学入試に限らず、高校入試でも、中学入試でも起きつつある現象です。
成毛眞(なるけまこと)さんは、最近の著書の中で、面白いことを述べています。
それは、今活躍している若者たちの多くは「ゆとり世代」で、勉強漬けにならなかった中高生時代を過ごしていたというのです。
AI時代に、学力の基準は大きく変わってきます。
これまで優秀とされてきた学力の中には、AIでカバーできるものがかなりあるのです。
では今後、子供たちの真の学力を伸ばすという場合、何を伸ばしていったらいいのでしょうか。
私は、それは広義な意味での国語力だと思います。
その国語力とは、漢字書き取り力とか、選択式の読解力とか、文学の読み取り力とかいうものではなく、もっと根本的な哲学に近い思考力なのです。
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今、ゆとり教育が見直されつつあります。
確かに、一部では低学力の子供たち生み出し、その負の側面が大きく取り上げられましたが、その一方で、勉強漬けにならない子供時代を送り、個性と能力を開花させていった子供たちもいたのです。
このゆとり教育のプラスの面をどう伸ばすかということが、これからの教育の課題です。
勉強はどの教科も一応できた方がいいのです。
しかし、どれもオール5を目指すような勉強の仕方は、かえって害があります。
ところが、小学校低学年で普通にできる子の場合は、親がつい全部できるようにさせてしまうことが多いのです。
本当は、それよりももっとその子の自由な時間を作ってあげる方がいいのです。
これが、「8割できたらいい」という考え方です。
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寺子屋オンラインの発表学習クラスにいる子供たちの発表は、毎回個性的なものが数多くあります。
子供の力だけでなく、お父さんやお母さんが協力していることももちろんあると思いますが、基本は子供が自主的に考えて自分らしい内容を研究し発表しています。
ですから、みんなの前で自分の実験や研究成果を発表する様子が、どの子も生き生きとしています。
読書もよくするし、学力も高い子供たちが多いのだと思いますが、普通の勉強で答えのある問題を解くときよりもずっと生き生きとした勉強になっていると思います。
これは、子供でも大人でも同じで、与えられた仕事や決まりきった仕事をやるときはあまり熱意が湧きません。
その代わり、新しい問題に取り組むときや、自分には少し難しい問題取り組むとき、又は創造的に取り組まなければ解決できない問題に取り組むとき、人間は生き生きとしてきます。
それは、人間には本来、向上心や創造心というものがあるからです。
これからの学力というのは、まさにこういう向上心、創造心をもとにした学力です。
最近の入学試験では、作文試験とともに面接試験が取り入れられているところがあります。
従来は、面接試験というと、極端に問題あることを言わない限り合格になるというものが多かったと思いますが、今の面接試験はその子の考える力を確かめるようなものになっています。
発表学習クラスでは、互いの発表や読書に対して質問や感想を述べる段になると、ほとんどの子が積極的に自分らしい発言をします。
ところが、ごく少数ですが、質問や感想を聞くと、深く考える様子もなくすぐに、「ありません」と、あっさりと言う子がいるのです。
こういう子供たちが、どうして生まれるのかというと、ひとつは、作業的な勉強をやらされすぎているために、自分から進んで何かをしようという気持ちが失われてきているのだと思います。その証拠に、そういう子供たちは成績はいいのです。
もうひとつは、何かをすると親から細かく欠点を注意されるので、できるだけ積極的に自分から進んでやろうとしないようになっているのです。
その反対に、どんなに質問や感想の述べにくい場面でも、聞けば必ず自分なりの話ができる子がいます。
こういう子供こそ、問題を発見する力や、まだないものを創造する力を持っている子です。
自分の実験、観察したものを発表したり、感想を述べ合ったりする勉強は、数値で表せるような評価が伴わないので、かつてのゆとり教育のように単なる遊び半分の交流になってしまう可能性もあります。
これを、学問的、創造的な交流に深めていくというのが、これからの教育の目指す方向で、現在それが発表学習クラスの中では実現しつつあると思います。
今後、この発表学習クラスと、作文の少人数クラスと、国語・算数・英語などを学ぶ自主学習クラスを、オンラインの少人数教育として進めていく予定です。
しかし、そのためには、参加する子供たちを励まし、少人数クラスを活性化する役割を果たす多くの講師が必要です。
そのため、現在、
森林プロジェクトの作文講師を募集しています。
これからの教育は、一斉授業で同じことを一律に教わるものではなく、また個別指導で深く狭く教わるようなものでもなく、少人数の交流の中で、子供たちが自主的に学んでいくものになっていくと思います。
そういう一人ひとりの個性が光る教育が未来の教育です。
日本発のこの新しい教育をこれから広げていきたいと思っています。
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日本にはもともと寺子屋教育という優れた教育法がありました。
それは、基礎学力を誰でも自分のペースで確実に身につけることのできる教育でした。
この学習法を、現在のインターネットの技術を生かして、より創造的に復活させていく必要があります。
発表学習クラスの一人ひとりの発表時間は5分ぐらいのものです。
しかし、その発表の準備のためにかけた時間は、何時間どころか何日もかかったものもあると思います。
それらをすべて、子供たちが生き生きと自分から進んでやっているのです。
こういう勉強の様子を見ていると、人間にはもともと知的向上心があるのだということがわかります。
少なくとも、その子供たちには、そういう本来の知的向上心を育てるような家庭環境があるのだと思います。
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