創造性の教育は、三つの方向から考えていくことができます。第一は、創造的であろうとする心構えです。第二は、読む創造性です。第三は、書く創造性です。
第一の創造的であろうとする心構えは、作文の勉強に特徴的なものです。作文には、構成、題材、表現、主題などの要素がありますが、それらの要素に自分らしさをできるだけ盛り込むというのが創造性の心構えです。ですから、子供たちの作文を大人が評価するときに大事なことは、自分らしさがあるかということです。正しく書く、わかりやすく書く、美しく書く、速く書くに更に付け加えて、自分らしく書くということが大事になってきます。
作文以外の他の教科の勉強では、答えが正解であるかどうかということと、時間内に解けたかどうかということが重要ですが、作文の勉強はそれらに加えて、自分らしく書けたかどうかが重要になってくるのです。この自分らしさの心構えを持つことによって、作文以外の生活の中でも、自分らしくあろうとする意識が出てきます。この自分らしさは、他人との競争を必要とするものではありません。どの子の作文であっても、そこに自分らしい実例、表現、感想が書いてあれば、それは価値のあることなのです。
創造教育の第二、第三の方向である読む創造性、書く創造性の説明をする前に、創造とは果たしてどのようにして生まれるのかを考えておく必要があります。創造という言葉は、日常性格の中でもよく使われていますが、その本質は実はあまり深く研究されてはいません。
創造というもののとらえ方にも、文化による違いがあり、西欧の創造の考え方は、ひとことで言えば、「まだないものを作る」ということです。デカルトは、最初に「われ」があると考えました。サルトルは、その「われ」がこの世界に突然投げ出され、よそよそしい世界の中で「われ」の座るイスはどこにも用意されていないと考えました。だから、創造とは、自分のイスを世界に作ることとほぼ同義でした。自分の居場所であるイスを作るために、つまり創造のためには、邪魔なものは排除し、必要であれば破壊する必要もありました。西洋の創造には、この攻撃的な考えが根底にあります。
これに対して、日本の文化は、有の文化ではなく無の文化でした。日本では、「われ」があるということから出発しません。「われ」は本来無く、世界が最初にあるのです。あるいは、世界ともともと一体になった「われ」があると考えるのです。そして、東洋の理想は、本来の姿から離れた人為的な「われ」をできるだけ消して、世界ともとの一体に戻ることを目指すことでした。
このような文化における創造は、自分のイスを世界に作るというものではありません。日本では、自分というものを無にして、世界にできるだけ寄り添うことで、ふと世界の中にあるまだ埋められていない隙間を発見するということが創造でした。西洋の創造が作り出す創造であるとすれば、日本の創造は見つけ出す創造でした。
だから、日本の創造は、限りなく模倣に近い面を持っています。ある物事を何度も反復し、それをすっかり自分のものにする過程で、ふとその物事の中にあるまだ満たされていない隙間を見つけ、その隙間を埋めることが創造だったのです。(つづく)
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