豊かになり便利になり、更により豊かになり便利になるために給与が増え消費が増える、という時代がありました。しかし、その過程で人間の生活は仕事に支配されるようになりました。仕事の生活が家庭や地域の生活よりも優先され、共働きが常態化し、他人を上回って自分が勝つことが目標になり、人間の心が次第に荒廃し自然も破壊されていきました。
そして、子供たちは、勉強を競争としてとらえ、自分の向上のためではなく他人との競争に勝つために学ぶことを強制されてきました。
その結果、子供たちの勉強の中身を親は知らず、ただ成績としてつけられる点数だけが見えるものになっていきました。
また、仕事も同様に給与として渡される金額だけが、そのほかの家族にとって見えるものになっていきました。
社会と家庭が有機的に結びついていれば、子供の勉強の中身は、そのまま親子の対話の土台となるものです。また、両親の仕事の中身も、子供にとって自分の生活の一部として関心の対象となるはずです。しかし、今はそうではありません。
子供の勉強は、小学校高学年から次第にブラックボックスのようになり、時々通知される点数だけが家庭とつながる窓になっています。両親の仕事もその本人以外にはブラックボックスで、仕事の結果渡される金額だけが、家庭とつながる窓になっています。そして、互いに共有するものの乏しくなった家族に、共有の機会を提供してくれるものが消費生活なのです。
そのような仕組みも、経済が発展し所得が年々上昇する時代にはうまく機能していました。親の所得が毎年増え、子供は親よりも豊かな生活が期待でき、子供の学歴は親よりも高くなるという時代には、勉強も仕事もブラックボックスで差し支えなかったのです。
しかし、今、その仕組みがうまく働く前提となる経済発展が止まりつつあるばかりでなく逆に後退しつつあります。これまでも一時的な景気後退は何度もありました。しかし、その景気後退でスリム化し活力をつけた経済は、不況のあとにはより力強い成長をしてきました。
ところが、今日の後退は、これまでの後退とは違い構造的なものです。いちばんの問題は、豊かな先進国でこれから目指すべき真の需要がなくなっていることです。そして、従来からある需要は、新興国の供給に支えられるようになっています。つまり、先進国から新興国へ不断の所得移転が行われる中で先進国での新しい需要と新しい供給が生み出されるという形になっていないのです。
この行き詰まりを打開する道は、需要と供給を同時に創造することです。それがまず大人の社会で起きつつあります。それは、他人から与えられた仕事ではなく、自分の好きなことを仕事として社会に貢献し、その貢献の見返りとして収入を得たいという創造的な仕事への欲求です。
会社の歯車として働くことによって得られる所得だけでなく、自分の好きなことや得意なことを仕事として、他人から喜ばれる結果として所得を得たいという動機が広がりつつあるのです。
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