====4月15日のfacebook記事より====
作文というのは、国語力の集大成のようなものですから、いろいろなところで欠点が目につきやすいものです。
ほとんどの人は、それをすぐに直そうとします。
しかし、その欠点はそう簡単には直らないものがほとんどです。
だから、作文教育に熱心になればなるほど、作文の苦手な子が増えるのです。
誤解の多い指導法でよくあるのは、ほかの子の上手な作文を見せることです。
... 上手な作文を見せて、「こんなふうに書いたらいいんだよ」と言われて、「はあい、そんなふうに書きます」となる子はひとりもいません。
作文は、その子のこれまでの読書や対話や経験の総合的なものですから、すぐには書き方を変えることができないのです。
上手な作文を何度も見せられていると、だんだん劣等感が増してきて、かえって書けない子になっていくのです。
いちばんいいのは、その子の作文のいいところだけをしっかり褒めることです。
そして、その一方で、読書や音読や対話の自習を気長煮続けていくことです。
しかし、褒め方も、ただ褒めればいいというだけでは、そのうち褒めることがなくなってきます。
その子のできるぎりぎりのところを目標にして、それができたら褒めるということができればいちばんいいのです。
今日も、いい天気で、風の強い日です。
ちょうど春先は、「風が吹けば桶屋が儲かる」という季節なのでしょう。
桶と言えば、桶に入る水の量は、その桶の周りを囲むいちばん低い板によって決まるというリービヒの最小律という法則がありました。
作文の評価も、欠点が最初に目につきやすいという点で、ちょっとそれに似ています。
桶に入れるものを液体ではなく、果物のような固体にすると、もしかすると最大律というものが成り立つのかもしれません。(新しい法則(笑))