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老の文化と若の文化  2013年4月26日  No.1797
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 日本では、江戸時代のころ、「老」という言葉は尊称として使われていました。例えば、幕府の役職でも、「大老」「老中」「若年寄」などという言葉がありました。一方、今でも、自分を謙遜する場合、「若輩」などという言葉を使います。水戸黄門が、ご老公として諸国を旅したのも、こういう文化の背景があったからでしょう。

 江戸時代の武士の勤務には定年制がなく、何歳でも本人が希望するまで勤めることができました。もちろん、家督を子供に譲り早々と引退することもできました。
 長寿の人には、「老衰」と称して褒美が与えられました。当時は、「老」も「衰」も褒め言葉でした。姥捨て山(うばすてやま)のような話とは正反対の文化があったのです。

 江戸時代の日本人の子育ての基礎となった「和俗童子訓」は、貝原益軒の晩年81歳のころに書かれたものです。
 また、日本文化のもうひとつの基礎となっている武士道の源流とも言える「葉隠」は、山本常朝が主君の死のあと隠棲した地で聞き書きとして書かれたものです。


 これに対してヨーロッパの思想や文化のひとつの背景となっているデカルトの「方法序説」は、デカルトが20代の初めに考えた思想がもとになっています。
 デカルト自身は、物質と精神のそれぞれについてバランスのとれた考えを持っていましたが、デカルトの思想は、主にその物理的世界観だけが一人歩きする形でその後の科学技術文明の基礎となりました。


 「葉隠」の中に、こういう話があります。

 ……世の中にはわかるものとわからないものとがある。
 わからないものの中には、よく考えてわかるものと、時間がたてばわかるものとがある。
 また、いくら考えても、時間がたってもわからないものもある。……

 これに対して若いデカルトの考えはこうでしょう。

 ……世の中にあるものは、すべてわかるようにできている。
 わかるためには、それをできるだけ小さく分けて、わからないものがなくなるまで細分化していくことだ。……


 こういう考え方の差異が、勉強の仕方の違いにも結びつきます。
 日本的な「老」の勉強法の典型的なものは、「読書百遍意自ずから通ず」でしょう。欧米的な「若」の勉強法は、「わからないところがなくなるまで分けるスモールステップ」です。
 この二つの異なる方法論をうまく組み合わせることがこれから必要になってきます。

 老の文化と若の文化の差は、教育の分野だけでなく、政治の世界にも経済の世界にもあてはめることができます。
 今、政治の世界で常識のように思われている三権分立や多数決による民主主義などは、もともと人間が個々ばらばらの存在で、個人のエゴイズムによって行動するという人間観をもとに成立しています。その前提自体を見直すこともこれから必要になってきます。

 近代の資本主義と科学技術の文明は、欧米の若い文化を基盤にして成立しました。
 しかし、その文化が今行き詰まっています。環境の破壊、科学技術の暴走、戦争の危機、金権の政治と文化などがその端的な例です。

 この行き詰まりを切り開くことができるのは、日本で育まれていた老の文化です。なぜなら日本の社会は、外見上欧米化は進みましたが、その精神の中ではまだ日本古来の文化が息づいているからです。

 欧米の若い文化と日本の老の文化を融合する際に大事なことは、外見上の欧米と外見上の日本にとらわれるのではなく、その背後にある文化としての欧米と文化としての日本を見ることです。
 教育の方法論についても、この文化的な見方がこれから必要になってくるのです。

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