頭のよさとは、二次元的に足し算をするような能力ではなく、三次元的に掛け算をする能力だと述べました。
足し算から掛け算に移るとき、一つのパラダイムの転換があります。簡単な計算ならば、慣れている足し算を猛スピードで行う方が早く答えにたどりつくかもしれません。しかし、問題が複雑になるにつれて、足し算のスピードアップは次第に限界近づき、掛け算の優位性がはっきりしてきます。しかし、足し算にいくら熟達しても、掛け算への飛躍はそこからは生まれません。足し算から掛け算に移るには、パラダイムの転換が必要だからです。足し算が量的に進化したものが掛け算なのではなく、足し算とは質的に異なった出自を持つものが掛け算だからです。
ところが、学問の世界では、足し算をがんばることが到達点になってしまうところがあります。哲学も、経済学も、物理学も、医学も、それらの学問自体が膨大な体系を持っているので、その学問に熟達した人ほど、パラダイムの転換が難しくなります。ある分野で頂点に達した学者であればあるほど、新しいパラダイムを受け入れることが困難になります。これは努力や心構えの問題ではなく、人間の能力の仕組みがもともとそうなっているからです。
では、人生において異なるパラダイムを身につける能力は、どこからやってくるのでしょうか。その最も大きな源泉は、年をとることです。年をとると、若いころには一方向からしか見られなかった社会や人生の様子が、異なる枠組みで見ることができるようになります。若者が、二次元的な能力で優れているときに、その二次元のレベルでは到底太刀打ちできない老人が、三次元的なレベルでは若者よりも頭のいい見方ができることがあります。
井戸を掘ることを考えついた海蔵さんは頭のいい人でした。そして、実行力もありました。今で言うやり手のビジネスマンにもなれた人です。そのお母さんは、井戸掘りなど考えつきもしません。年をとっているので実行力もありません。ただ年をとっているだけです。しかし、その年齢が、若い海蔵さんには見えない三次元的な視野を生み出したのです。「おまえは、悪い心になっただな」と言ったお母さんの発言は、三次元から来ています。二次元にいた海蔵さんは、そのひとことで、自分の発想の限界に気づいたのです。
もちろん、パラダイムの転換に必要なのは、年齢だけではありません。ほかにも、新しい経験や苦労、難しい読書、柔軟な姿勢などが、新しいパラダイムを形成することに役立ちます。
そう考えると、子供たちが読むべき本も、自ずからその方向性が決まってきます。それはひとことで言うと、パラダイムのある本です。人気のある本の中にも、パラダイム形成にあまり役立たないパターン化された本があります。目立たない本の中に、子供たちのパラダイム形成に大きく役立つ本があります。
もちろん、パラダイムという観点から意識的に文章を書いている作家はいません。いるとしたら、言葉の森長文作成委員会のメンバーだけです(笑)。だから、私たちが子供たちの本を選ぶ場合、その本がどれだけ子供たちに新しい視点をもたらすことができるかということを第一に考える必要があります。
しかし、本自体にパラダイムがあるとともに、ある本をパラダイム的に読むかどうかということも重要です。一見、パラダイム形成とは無縁のように見える本を、一つのパラダイムを提起した本として読むことができるのです。例えば、桃太郎や浦島太郎は、ただの昔話です。しかし、これを大人が、ある現実に当てはめて子供たちに話して聞かせれば、その本は、子供たちにとってパラダイム形成のテキストとなります。
パラダイム的に読むことが可能な本の典型が古典です。なぜかというと、古典は、異なる世代の大人にも子供にも共通して読まれた本だからです。東洋で言えば、四書五経、西洋では聖書が、その古典の役割を果たしてきました。四書五経や聖書の価値は、その本に書かれている内容だけにあるのではありません。その内容が、さまざまな時代の現実に当てはめられてきたという文化の厚みの中にあるのです。
パラダイム的な書物も大事ですが、それ以上に大事なのが、読書をパラダイム的にする文化です。大人も子供も共通の文化として読む本があれば、子供たちの世界認識や自己認識は飛躍的に高まります。
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