日本文化は、理屈を言わない文化です。
しかし、世界に対してはそれでは通用しません。
なぜ理屈で言わないかを、理屈で説明しないといけないのです。
ある人が、日本の子供の書いた詩を外国で紹介したことがあったそうです。
(そのことをどこで読んだか忘れたので、細部は多少ちがうかもしれません。)
その虹をうたった詩の中に、「虹の上に腰かけて、お母さんとそっと呼んでみたい」というところがあったそうです。
すると、外国の人たちから一斉に質問がありました。
なぜ、ここで、「お母さんと呼ぶ」というのが出てくるかというのです。
日本人であれば、小さな女の子が(空想の世界で)虹の上に腰かけて、そっとお母さんと呼んでみたいという感覚はわかります。
しかし、これを外国人には理屈で説明しないといけないのです。
【説明】
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この女の子は、虹の上に乗るという初めての珍しい不思議な経験をしています。
その気持ちを、自分がいちばん身近に感じているお母さんと共有したいと思ったのです。
しかし、それは、お母さんにも教えてあげたいということではなく、自分の気持ちを身近なお母さんと共有すること自体が嬉しかったのです。
その共感を味わう動作が、お母さんと呼びかけることでした。
だから、お母さんはその声に気づいても気づかなくてもいいのです。
自分がそっと呼びかけたことで、その子の心は幸福で満たされていたのです。
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しかし、こういう説明は、日本人と同じ文化的背景を持たない外国の人たちに対して行うものです。
同じ日本人でも、まだ日本の文化的背景を十分に持たない子供たちに対しては違います。
日本の子供には、理屈で説明するのではなく、そういう文化を味わう機会を作ることが大事です。
母「けんちゃん」
子「なあに、よんだ」
母「ううん、ただ呼んでみただけ。うふふ」
子「……おかあさん」
母「なあに」
子「うふふ」
父「何やってんでい」
(お父さんは、同じ日本文化でも少し守備範囲が違うのです。)