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ネット教育に必要なのは、ITテクノロジーではなく教育についての哲学  2014年2月3日  No.2072
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 ネットを使った教育には、大きな可能性があります。
 それは、まずネットが持つ利便性、「いつでも、どこでも、誰でも、限りなく無料に近く」というものがあるからです。
 更にそこに、「双方向性、リアルタイム性、リッチコンテンツ性」などが加われば、ネットは子供たちの教育に大きな力を発揮します。
 そして既に、その実践は、さまざまなところで行われています。

 ところが、ここにいくつかの問題もまたあるのです。
 それは、魅力的な教育コンテンツを作るために、教材が果てしなくリッチになっていくことです。
 そういったネット教育は、勉強がゲームをやるよりも面白いものになることを目指しています。ところが、このゲーミフィケーション的な面白さの追求に問題があるのです。

 その問題点は、大きく四つあります。

 第一は、従来から指摘されていることですが、ゲーム化できるような教材は、低学年の初歩的なものに限られるということです。
 小学校の低中学年で学ぶ簡単なものが、いくらゲーム的に面白いものになっても、それで子供たちの学力がこれまでよりも意味があるほど早くつくわけではありません。

 第二は、これもしばしば指摘されていることですが、勉強の内容が身につくのは、先生に教えてもらったり、画面に見入ったりしているときではなく、ひとりで静かに内容を反芻しているときだからです。
 ネットの勉強の面白さが、かえってその本当の勉強を定着させる時間を減らしてしまう可能性があるのです。

 第三は、これはまだ多くの人が気づいていないと思いますが、面白い教育というものが、人間の動物性を助長するような面白さになりがちだということです。それが、特に低学年のころに集中して行われることに、大きな問題があります。
 幼児や低学年のときに、刺激と感覚で面白い勉強の仕方を味わうと、確かに知識は多少は早くつくかもしれません。しかし、それによって、衝動的、感覚的、物質的、自己中心的な感性が身についてしまうのではないかと思うのです。
 数学者の岡潔(おかきよし)氏は、「情緒と想像」という著書の中で、幼児期に衝動的な判断や物質主義的な考えを持たせてしまうことの危険性を繰り返し述べています。
 ゲーム的な面白い勉強を低学年のうちにさせることによって、かえって人間らしい成長を阻害してしまう可能性があるのです。
 そして、学年が上がり勉強が高度になるにつれて、ゲーム的な面白い勉強というものは次第に作れなくなります。本当は、高校生ぐらいになれば、勉強そのものの持つ面白さに目覚めていくものなのです。

 第四は、教材や授業がリッチコンテンツになり、ゲーム的な面白いものになるにつれて、その教材作りを担うのが、資本のある大企業に限られてくるということです。
 教育は、社会全体の関心事です。子供にどういう勉強をしてほしいかを決定するのは、本当は親を中心とした社会全体でなければなりません。だから、教材や授業は、手作りが可能な範囲で、いつでも誰でも作成や編集に関与できるものであるのが理想なのです。
 ところが、ネットで提供されるゲーム的な面白い勉強というものは、その理想と逆行する旧時代的な教育になる可能性が大きいのです。

 以上、ネット教育について、四つの問題点を挙げました。
 教育に生かすネットの可能性はまだ未知の部分が広範囲に残っています。
 だから、ネットを使った教育を考えるときに大事なのは、ITテクノロジーではなく、教育についての哲学なのです。

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