勉強の嫌いな子はもちろんいます。しかし、勉強が手につかないほど嫌いという子はいません。これに対して、作文が手につかないほど嫌いという子はたくさんいます。
勉強の場合は、嫌いでも手を動かしていれば何とかなります。作文の場合は、手自体が何をどうしても動かないということがあるのです。
勉強嫌いの子を作るのは難しいのですが、作文嫌いの子を作るのは簡単です。それは、作文を注意していればいいのです。
勉強の場合は、間違いを注意されても、正しい答えがあるので、その注意に子供は納得します。
作文はそうではありません。確かに注意されてすぐに理解できる間違いもありますが、注意されてもすぐ直せないものの方が圧倒的に多いのです。
注意する気持ちで見ると、作文にはいろいろな欠点が目につきます。しかし、その欠点の多くは主観的なもので、子供にとっては直しようがないものが多いのです。
例えば、「もっと内容のある話を書きなさい」とか、「もっと自分らしいことを書きなさい」とか、「もっと自分なりに考えたことを書きなさい」とか、「もっと具体的に書きなさい」とか、「もっと読む人にわかるように書きなさい」とかいう注意を受けても、「はい、それでは」とはできません。
そこで、書けば何か注意されると感じた子は、いつか、どんなにがんばっても書けなくなってしまうのです。
作文嫌いになる原因の半分は親、半分は先生にあります。特に熱心で真面目な親や先生ほどそうです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
そこで、必要になるのが言葉の森の指導法です。
まず、作文を書く前に、何をどう書くかということを指示できるようにします。
子供は、何を求められているかわかれば安心して書き出せるからです。
次に、作文を書き終えたあとは、その指示したことだけを評価します。だから、褒める評価ができるのです。
最初に指示していないことを注意するような評価の仕方が最もよくないやり方です。
例えば、「会話を使って書いてみよう」という指示をしたのに、作文を書いたあと、その子が努力して書いた会話には触れずに、「漢字をあまり使っていない」というようなちぐはぐな注意をするのが間違った評価の仕方です。
漢字を評価するなら、書き出す前に、「今日は漢字を10個以上書こう」という指導をする必要があるのです。