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通学でも通信でもない第三の学習スタイル、ICT教育の今後  2014年10月4日  No.2235
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 これからの勉強の環境はどうなっていくかというと、通学でも通信でもない第三の学習スタイルが出てきます。
 それは、ICT(Information and Communication Technology 情報通信技術)による教育です。わかりやすく言えば、パソコン(スマホなども含む)とインターネットを利用した教育です。

 現在のICT教育の多くは、まだ従来の通学型の授業と教材をそのままネットで配信するようなものとして考えられています。
 しかし、ICT教育の本来の授業の場は、家庭です。反転授業(家庭で学習をし、学校はその学習内容を発表したり交流したりする場となる形の教育)の普及に伴って、家庭での学習をいかにうまく組み立てていくかということが、今後のICT教育の成否を握るようになります。

 家庭での学習を進めるいちばんの動機は、人間の関わりです。単なる優れた授業や優れた教材が、子供たちを勉強に向かわせるのではありません。
 もし、優れた授業と教材だけで熱心になる子供がいたら、それは人間よりもむしろ機械に近い子供と言っていいでしょう。人間は、他の人間との関わりによって意欲を持つのです。

 しかし、パソコンとインターネットの利用は、もともとは勉強の効率化ということで考えられてきました。
 パソコンとインターネットを利用するときに、人間との関わりが必要だとなると、それは昔のパソコンやインターネットのない時代の一斉授業よりも能率の悪いものになる可能性があります。

 そこで、勉強の仕方そのものの変革が必要になるのです。
 しかし、今のICT教育は、勉強の仕方そのものは従来のままで、パソコンとインターネットを中心に、人間はできるだけ介在しない低コストの教育を目指しています。
 その方向は、面白い授業、面白い教材のほかに、試験、競争、順位付け、賞罰を活用することです。

 もちろん、多少の競争や賞罰はあってもよいのです。それは、人間どうしのコミュニケーションの一種として行われるのであれば全く問題ありません。
 しかし、今広がりつつあるICT教育は、競争や賞罰以外の動機付けを見出していないようなのです。

 なぜかというと、今のICT教育の根底にある教育観は、優れた教材と競争と賞罰の結果、優れた子が優れた教育を受けられるようになればいいというところにとどまっているからです。

 日本の江戸時代の寺子屋における教育観は、すべての子供が同じように優れた教育を受けられるというものでした。
 その根本には、人間にはもともと大きな差はないのだから、だれでも勉強の仕方次第に同じように優れた人間になれるという人間観がありました。

 これからのICT教育は、この江戸時代の教育観と結びついた形で行われる必要があります。
 そのためには、勉強の仕方そのものを、従来の「教える教育」から「教えない教育」に変えていくことが必要になります。

 教育における人間との関わりを、教えるための人間と教わるための人間の関わりとして考えれば、ICT教育は、従来の黒板での一斉授業よりも能率の悪いものになるかもしれません。
 そうではなく、教えない教育の中で人間どうしの関わりを実現していくことが、これからの新しい日本的なICT教育の学習スタイルになっていくのです。

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