In Deepというブログを主宰している岡靖洋さんが、6月17日の記事で、ジェイコブ・バーネット君という当時13歳の天才少年の講演の話を載せていました。
これを見ると、これからの勉強の大きな方向がわかる気がします。この少年の言っていることは、ひとことで言えば、何かを学ぶことに時間を費やすのではなく、自分で考えることに時間を使おうということです。
現在、子供たちが勉強しているものの多くは、本質的に必要な学力からかけ離れてきています。特に、受験勉強になると、人間に必要な学力というよりも、テストで差をつけるための学力というものが勉強の中心になってきます。
現在の受験勉強の本質は、パズルのようなものです。だから、解き方がわかれば誰でも解けるようになります。しかし、解き方を知らずに自分で解こうとすると長い時間をかけないと解けません。その解き方をたくさん知っておくというのが今の受験勉強になっています。そして、その傾向は年々加速しています。
この高学年での受験勉強の影響で、低中学年の勉強も、その時期の子供が学ぶ必要の全くないものが入るようになってきています。それは、例えば、算数の問題で、わざとわかりにくい書き方をした文章題などです。それが、低中学年の勉強の難問のように思われていますが、それは難問でも何でもありません。それで何か学力がつくわけではありませんから、そういう難問を解かせる勉強は、ほとんど時間の無駄だと思います。
この時間の無駄と思われる勉強が子供たちの生活時間の多くの部分を占めているために、子供の時期に本当に必要な、自由な遊びや経験や読書や対話や思索の時間が圧迫されているのです。
子供たちが社会に出るころに必要になっている学力は創造力です。これからは、自分の目で世の中を見て、自分の力で新しいものを作り上げていくことが必要になります。しかし、従来の勉強生活に適応しすぎた子は、他人から提供される情報を咀嚼することが中心になり、与えられた目標に合わせることが自分の人生の目標のようになりがちなのです。
しかし、創造力にも土台となるものが必要です。それが、本質的な学力です。差をつけるための勉強ではなく、高校までの教科書レベルの基本的な知識と技能は、誰でも身につけておく必要があります。
そして、もう一つ大事な学力は、思考力です。思考力は、読解力と表現力とセットになっています。社会に出てどんな仕事をするときでも、何かを読み取り、何かを表現する必要が出てきます。その読解と表現には、広義に考えればもちろん数学や理科も含まれます。しかし、多くの人にとって直接必要になるのは、国語的な意味での読解力と表現力です。
ところが、現在の勉強では、国語はさまざまな理由で後回しになっています。その理由は、国語は勉強の仕方がわからない、勉強しても成果が上がらない、そのかわり勉強しなくても0点のようなひどい点数にはならない、からです。
そのため、学校でも学習塾でも、国語は、教科書を読み、漢字の読み書きをし、問題集を解くといような勉強になっています。しかし、これで国語力がつくと考えている先生は、たぶんひとりもいません。
国語の勉強で大事なのは、難しい文章を繰り返し読み、その内容と表現を自分のものにすることです。しかも、それを短時間でよいので、毎日続けることなのです。(つづく)