上田さんは、落ちこぼれの小中高時代→東大合格→オーディオブック会社の経営、という経歴の持ち主です。
その著書「勉強革命」の国語の勉強法のところを読んで、言葉の森の普段の指導と同じような内容だったので、似たことを考えていた人もいるのだと少し驚きました。その引用です。
上田さんが、大学受験を前にして、偏差値30というどん底の中から編み出した勉強法は、徹底して音読するという方法でした。
まず、すべての学力の基礎は国語力だと認識して、国語力のアップに取り組みました。
国語力が最も大事だというのは、小中学生だけでなく、高校生にもあてはまる真理です。
小学生の場合は、計算ができても文章題が理解できないという子がときどきいます。高校生の場合は、英語の単語や文法は理解できても、その英語で書かれた内容で論説文の難しいものになると、国語力がないために読み取れないということが起こります。難関大学の英語力の半分ぐらいは国語力だと思います。
さて、著書の上田さんは、難しい文章を百回音読するということから始めました。
百回というのは、江戸時代の教育家である貝原益軒も述べている方法です。それは、論語を百字ずつ百回ずつ読み、空で読み空で書けるようにするという方法でした。
言葉の森の音読指導で、よく保護者から質問があるのは、「意味のわからない言葉があったらどうするのですか」というものです。言葉の森の回答は、「意味はわからなくていいです。わからなくてもすらすら読めるようになればいいのです」というものです。
意味がわからず、つっかえつっかえ読んでいる子に、辞書を引いて意味を調べさせるようなことをすれば、すぐに音読が嫌になります。そして、結局調べた意味も頭の中に残りません。
ところが、音読を続けて、すらすら読めるようになればいいと思ってやっていると、調べなくても自然にわからない言葉の意味が大枠としてわかってきます。その大枠がわかってくると、自然に身近な人に聞いたり自分で調べたくなったりするのです。
わからないから調べるのではなく、わかりかけてきたからはっきりさせたいと思って調べるのです。
だから、親は、「わからない言葉は調べなさい」などと言わずに、ただ「すらすら読めるようになればいい」とだけ言っていればいいのです。そして、繰り返して音読をしていれば、誰でも例外なくすらすら読めるようになります。例外なくできるようになるというのが、この音読のよい点です。
ところが、学校などの宿題として出される音読は、いくつか問題があります。第一に、もとになる文章が易しすぎるものであることが多い点です。第二に、繰り返しの回数があまりにも少ないのです。百回読むなどということはまずありません。第三に、宿題として出されたからという理由でやっていると、宿題がないとやらないようになるのです。音読は、基本となる勉強ですから、宿題としてではなく家庭学習として独自にやっていく必要があります。