新しい経済のフロンティアを求めているのは、先進国だけではありません。新興国もまた新しい市場のフロンティアを求めています。
先進国も途上国も、それぞれの国内の格差は広がっていますが、国どうしの格差は逆に小さくなってきています。だから、先進国で新しいニーズが生まれれば、そのニーズの一部は、途上国にも波及していきます。このニーズの玉突き現象によって、通貨が動き出し、その動きは社会の他の層にも広がっていきます。
日本でこれから新しい仕事をする場合、そのマーケットは第一に日本国内であることは間違いありません。なぜなら日本の消費者は感覚的に洗練されているので、日本で売れるものであれば、それがガラパゴス的な付加価値でない限り、必ず他国に受け入れられる可能性を持っているからです。
日本でこれから売れるものが、個性を発見する教育、全教科のバランスのとれた学力、創造性を育てる教育、家庭学習をシステム化するようなミニ起業であるとすれば、同じようなものが途上国でも新しいニーズとして生まれてきます。
これまで日本と海外を隔てるものは、ひとつは海で、もうひとつは言葉の壁でした。
しかし、海による距離は、インターネットに載せられる情報量が増大したことによって、次第に障害ではなくなってきています。技術的には、既にMOOCと同じように日本の寺子屋教育を世界に広げることができるようになっています。
もうひとつの壁である言葉のギャップは、機械翻訳の進歩によってやがて壁として意識されないものになります。
日本語は、世界の中では特殊な言語ですから、自然な翻訳のレベルに達するまで時間がかかりますが、それでもその方向の進歩への流れは止まりません。
そしていったん機械翻訳が実用レベルにまで達すると、それは、翻訳メガネや翻訳ヘッドセットという日常的な使用に抵抗のない形で社会の中に溶け込んでいきます。
すると、まず壁のなくなったアジアが、日本の国内と同じような市場になります。しかし、この市場は大企業が自分の商品の売り先を確保するような意味の市場ではありません。なぜなら、売るものは工業時代の商品ではなく、文化時代の商品ですから、消費者だけでなく生産者も作り出す新しい市場となるからです。
この市場は、進出元の先進国を豊かにするだけでなく、進出先の新興国や途上国も豊かにします。
アジアの市場から始まる新しい経済は、やがて世界に広がります。言語の壁がなくなることは、言語の壁を大きなハンディとしてきた日本にとって、世界の日本文化を伝える大きなチャンスとなるのです。(つづく)
※次は、「アフリカの経済と教育について」です。