ウェーバーは、十九世紀ロシアの
文豪、トルストイに非常に注目していて、合理化の問題を考えるときにトルストイにたびたび
言及しています。
そのトルストイの『人生論』の中にこんなエピソードが
紹介されています。
あるところに水車小屋で粉ひきをしている男がいました。
彼は自然の
恵みの中で朝から晩まで
一生懸命働いていたのですが、あるとき水車のメカニズムに興味を持ちます。そして、水車が引きこまれてきた川の水によって動いていると理解すると、今度は川の研究に熱中してしまい、気がついてみれば、本来の仕事である粉をひくことを忘れてしまっていた――というものです。
トルストイのテーゼは
徹底的に「反科学」です。科学はわれわれが何をなすべきかということについて何も教えてくれないし、教えてくれないばかりか、人間の
行為がもともと持っていた大切な意味をどんどん
奪っていくと考えました。
漱石も
彼らとまったく同じことを言っています。
「
野蛮時代で人のお世話には全くならず、自分で身に
纏うものを
捜し出し、自分で
井戸を
掘って水を飲み、
又自分で木の実か何かを拾って食って、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顔もせずに
我慢をして居れば、……生活上の知識を一切自分に備えたる点に
於て完全な人間と
云わなければなりますまい」(講演『道楽と職業』)
だからと言って、
漱石もウェーバーも、進んでいく時代の流れには
抗えないと考えていました。ウェーバーの言葉を借りれば、「認識の木の実を食べた者は、もう後には
戻れない」のです。
このような中で、私たちはどのような知性のあり方を信じ、あるいは選びとっていったらいいのでしょうか。
人類学者の
レヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」的な知の可能性を探ってみることです。ブリコラージュとは「器用仕事」とも訳されますが、目前にあるありあわせのもので、必要な何かを生み出す作業のことです。私はそれを拡大
解釈して、中世で言うクラフト的な熟練、あるいは身体感覚を通した知のあり方にまで∵
押し広げてはどうかと考えています。
科学万能の流れの中で、迷信や宗教などは
駆逐されていきましたが、それらは完全に消えたわけではなく、ニーチェ的に言うと「背面世界」となってこの世の
片隅にちりばめられて残りました。その中に「土発的」な知(自然の移ろいの中に生きて、そこから発するような知)の伝統がささやかに息づいていました。
それらは一時
絶滅寸前までいったのですが、いままた少しずつ見直されているような気がしています。
じつは、このことを考えるたびに、私は自分の母のことを思い出すのです。母は、言わば前近代的な宗教の伝統や習慣を守って生きていた人でした。四季の行事、
歳時記的なこと、人の生き死に、成長、
衰退への考え方など、そのありようはまるで
旧暦の世界のようでしたが、
驚くべきことに、それは
循環を
繰り返している自然の
摂理とぴったり
一致していました。ですから、人間が本当に知るべきことは何なのかを考えるとき、そこにもヒントがあるような気がしています。
(
姜尚中『
悩む力』による)