最近、さまざまなところで音読や暗唱の効果が言われるようになってきました。声を出して文章を読むことは、脳の活性化にも役立つようです。これまで、音読ということに半信半疑だった方も、実際に試してみて音読の効果を実感するようになってきました。
しかし逆に、「学校で教科書音読の宿題が出るので、言葉の森の長文音読まで手が回らない」というような状況も出てきているようです。
音読をすることは大事ですが、何を音読するかを選択することも更に大事です。単に、日本の伝統的な音読教育の復活ということで音読をとらえていると、昔ながらの古典を読むことそのものが目的になってしまいます。「声に出して読みたい日本語」(斎藤孝著)は、音読の役割を多くの人に知らせたという点でいい本でしたが、言葉の森であまり評価しなかったのは、内容が雑然と昔からの有名な文章を並べたものだったからです。
私たちが音読の役割を考える場合、それは文章を書く力とセットでとらえています。現代において文章を書く力とは、第一に正確な説明文・意見文をしっかり書く力です。ところが、日本の国語教育は、文学的な文章を味わう教育にかなり偏っています。更に、俳句や短歌のような短い詩で、言葉の微妙なニュアンスを察し合う力が国語力の重要な一部となっています。文学や俳句や短歌を味わう力はもちろん大切ですが、それは国語教育というよりも日本文化の教育として位置づけられるべきものです。
江戸時代までの音読教育は、論語孟子などの四書五経が中心でした。ところが、これこそが当時においては説明文・意見文の典型的な教材でした。明治時代までの知識人は、論語や孟子で培った説明文・意見文の思考力の上に、日本の近代化を思索することができたのです。
ところが、日本の国語教育は、明治以降大きく文学的なものに偏っていきます。しかも、当時の文学の多くが、科学に疎い文学者によって担われたために、日本の文学は近代の科学と対峙するほどのたくましさを持たず、個人の感覚世界を重視する私小説的なものを中心にして成長していきました。現代の国語教育には、この私小説の文学教育が色濃く反映されているのです。
ですから、音読の役割を考えるときにまず大事なことは、子供たちが将来社会人になったときに、理路整然と自分の考えを説明できるような表現力をつける基盤となる文章を読むということです。しかし、それは、味気ない文章を読むということではありません。説明文・意見文でありながら、人の心を打つような名文は数多くあります。
問題は、まだ、現代にふさわしい説明文・意見文の教材が充分に開発されていないことです。言葉の森の長文は、このような教材を目指して編集していきたいと思っています。
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