「小学生のうちに身につけたい英語力。脱『日英変換』のための5つの視点」という広告記事を読みました。
その記事には、「英語脳をさらに伸ばしていくために、幼稚園児か小学生の低学年から英語脳で味わうという習慣をつけておくことが大切だ」ということが書かれていました。
英語を英語で理解しながら読むという「英語脳」を作ることは、一見、英語学習の近道にように見えます。
しかし、それは、「日本語脳」が失われることと裏腹の関係にあるのです。
小学3年生までは、日本語脳がまだ十分に形成されていない時期なので、この時期に英語の学習をすれば、たやすく英語脳にすることができるかもしれません。
しかし、それは日本語脳が不完全にしか成長しないというリスクをおかしての上でのことなのです。
日本語脳が確立すると言われる小学4年生以降に英語脳を鍛える練習をするならば問題はありません。
むしろ、中学生以降に英語の学習をするよりも、英語になじむ度合いはずっと高くなるでしょう。
中学生になると、英語を日本語のフィルターを通して、知識と理屈で理解する面が強くなります。
小4から小6にかけては、英語を英語のまま聞き取る力が、まだ十分に発達しているからです。
しかし、小4以降の、日本語脳がある程度形成された時期から始める英語の学習は、日本語脳が十分に形成されていない幼児や小学校低学年のころから始める英語学習よりも進度が落ちるはずです
だからといって、幼児や小学校低学年のうちから英語の学習を始めるというのは短絡的な発想です。
低学年のうちに英語脳をつくるということは、低学年のうちの日本語脳の発達を止めるということと同じです。
この弊害が出てくるのは、子供たちが高学年になってからです。
今、幼稚園や小学校低学年で英語の勉強をしている人は、英語ができるようになったというよい面しか見ていません。
日本語の生活自体がまだ初歩的なレベルなので、日本語脳が阻害されているとは感じられません。
だから、英語も日本語も同じようにできている気がするのです。
しかし、学年が上がり、難しい日本語の文章を読む時期になると、日本語を実感的に読み取れないという弱点が次第に強くなってきます。
ただし、英語で遊ぶ程度の英語教育は、こういう心配はありません。
英語の音声をシャワーのように聞かせ、親子でも英語で話をし、英語の本を日本語の本よりも優先して読ませるというようなやりすぎの幼児英語教育の場合に、弊害が生まれてきます。
英語教育に真剣に携わっている人は、英語の基礎となる幼児期の日本語学習の大切さを理解しています。
私の知っている人の中にも、そういう人はたくさんいます。
しかし、それ以上に多くの人が、幼児期や低学年の日本語の土台の大切さを理解していないようなのです。
そのひとつが、冒頭の広告記事にあるような考え方です。
では、なぜそのような英語教育が行われているかというと、言語というものを単なる伝達の手段として考えているからです。
言語は、伝達の手段ではなく思考と文化の手段です。
言語は、ものの見方や考え方を身につける枠組みであって、単に情報を人に伝えるための入れ物ではありません。
人に伝える道具としてので言語は、これから急速に機械化されていきます。
今でもすでに、さまざまな言語を他の言語に翻訳するソフトが、不十分ながら実用に近いレベルで開発されています。
伝達の精度を100パーセント保証できるようになるまでは、まだ時間がかかるでしょうが、実用性のレベルでは100パーセントに近いという程度で十分です。
そういう先のことを考えると、子供たちの学習の重点は、第一に日本語、第二に算数数学、第三に英語です。
学習以外のことも含めれば、第一と同じところに「遊び」も入ると思います。
英語教育を行っている人の仕事の邪魔をするわけではありませんが、こういう、ごく当然のことを書く人があまりにも少ないように思ったので、敢えて書きました。
▽参考図書
「日本語人の脳: 理性・感性・情動、時間と大地の科学」角田 忠信
「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」 渡部 昇一
233-0015 横浜市港南区日限山4-4-9
●言葉の森オンラインスクール 電話045-353-9061
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コメント欄
人が物事を本気で考えるときは、母語でなければ考えられません。
この本気で考えるときに、母語の充実度が重要になってくるのです。
普通の日常会話のレベルでは、母語でも習熟した外国語でも差がありません。
だから、多くの人は、両方同じようにできると考えてしまうのです。
英語教育に関しては、いろいろな論議があるはずですが、コマーシャルレベルで発言する人の声が大きすぎるところに問題があります。
英語教育は、単に英語の教育と考えるのではなく、子供の言語能力を高めるための英語教育と考える必要があります。
基準は、子供の方にあります。
だから、英語を話せることよりも、何を話すかということが大事です。
英語の本を読めるのはいいことですが、どんな本を読むかということの方がもっと大事です。
学力は、何を話し何を読むかといいう「何」の方にあるのです。
私もそう思いました。しかし、何故か世の中には、まだその考え方は常識としては浸透していないようです。幼少期の英語教育の塾が見受けられます。人の能力に関わることなので、やすやすと見過ごせません。。
Kさん、ありがとうございます。
幼児期から英語を詰め込めば、誰でも英語はできるようになります。
しかし、その弊害として日本語が不確かになるのがわかるのは、学年が上がってからなのです。
以前投稿した英語教育の記事について、コメントを書いてくれた人がいました。
言語の学習は、算数や理科・社会などの学習に比べるとずっと大きい影響力を持っています。
それは、早期に始めれば効果があるが、同時に日本語の学習とぶつかるということです。
小学校低学年のうちは、英語も日本語も両方できるような気がします。
しかし、学年が上がると、次第に日本語が不十分になっていたことがわかってくるのです。
この反対に、英語の勉強を全くしなかった子が、中学生や高校生になったときに英語が苦手になるかというと、そういうことはありません。
今の大人で英語が得意な人のほとんどは、中学生から英語の勉強を始めているのです。
以前、小学校3年か4年で英検2級を取得した生徒がいました。幼児期から英語のキャンプなどに参加していたようです。読書不足のせいもあったと思いますが、作文の方は、簡単な英語を訳したような細切れの文が多く、表現を工夫したり、細かな描写をしたり、自分らしい感想を書いたりすることが苦手でした。ぴったりの表現を探したり、思考を組み立てたりする基盤となるのは母国語なので、幼いころに外国語の習得の方に力を入れすぎると、後に問題が出てくるのでしょう。外国語で考え、表現を工夫することができるならまだしも(日本人なのにそれもどうかと思いますが)、どちらの言語も表面的にしか使えなくなってしまうのはかわいそうなことだと思います。
Aliceさん、コメントありがとうございます。
そうなのです。簡単なことは、英語でも日本語でも同じように使える気がするのです。
しかし、深く感動したり、深く考えたりするのは、もともとの母語がしっかりしていないとできません。
英語教育に携わっている人でも、良心的な人は、早期英語教育のやりすぎの弊害というところをちゃんと押さえています。
しかし、そうでない人やそうでない教室もかなり多いのです。
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