センリョウ
●動画:https://youtu.be/_AqE5OhYYrw
大人は、「書く」という結果を見がちだが、「書く」前提として「読む」がある。
読む量が少なければ、うまく書けない。
そのうまく書けないことを添削でいくら直しても、やはりうまく書けるようにはならない。
しかし、読む量が増えれば、直さなくてもうまく書けるようになる。
小学校では、2年生ぐらいで日記を書く指導が増える。
たいていの親子は、そこで、何を書いていいかわからなくなる。
「何を書くか」というところに目が向くから、書くことがなくなる。
作文通信教育講座ブンブンどりむの監修者、齋藤孝さんの「こども文章力」でも、「日記は『したこと』を思い出すところからスタート」(P16)と言っているが、これは日記指導の本質を知らない人の話。
「( )を食べた、( )を見た、( )に行った」などいくら穴埋めの言葉を入れても、すぐに書くことはなくなる。
日記は、「何を書くか」ではなく、「どう書くか」と考えるのが大事。
例えば、「たとえを入れて書く」「会話を入れて書く」「どうしてかというとという言葉を入れて書く」「色や音を入れて書く」「ダジャレを入れて書く」という書き方だ。
これなら、毎日、その日の朝ごはんのことを書いたとしても、毎日新しいたとえやダジャレを思い出して書ける。
そして、何よりも、目標があることと、自分なりの創造があることが楽しくなる。
勉強は、つまらないことを義務感としてやらせるのではなく、主体的で楽しくできることを親や先生が工夫してやらせることだ。
※私は、人を批判するのは好きではありません。
批判するよりも、自分で新しいものを創造することが大事だからです。
しかし、勘違いした作文教育の方法が広がれば、それは多くの人にとってマイナスです。
だから、あえて名前を挙げて、どこが問題なのか、そしてどうしたらいいのかを書くことにしました。