中学生や高校生の文章を読んでいて、ふと「この子は、日記を書いているんだろうなあ」と思うときがあります。それは、体験実例の書き方に内省的なものが感じられるときです。
小学生のころの日記は、事実の描写が中心になるので、文字どおり日々の記録にすぎませんが、中学生や高校生になってから書く日記は、事実よりも自分を振り返る内容のものになってきます。日記を書くことに目覚めた子は、だれに言われるわけでもなく、何の得をするわけでもなく、ただ自分自身を確認するためだけに日記を書き続けます。多感な中学生や高校生の時期に、このように日記をつける習慣を持った子は、ものの見方に陰影を持つようになってきます。ものの見方に対する微妙さは、現代の社会ではほとんど評価されていません。現実の社会で評価されているものは、成績や姿形などの外見に出たものです。しかし、たぶん、内面の深みはその人の生き方を何重にも豊かなものにしているはずです。
今の若い人たちが、昔に比べて日記を書かなくなったように思われるのは、日記を書くという時間の過ごし方があること自体を知らないためだと思います。携帯電話やインターネットで他人との交流をするための言葉は豊富になりました。しかし、そういう言葉とともに、自分自身と対話する言葉も人間には必要なのだと思います。
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