「鶴の恩返し」や「瓜子姫」のように、日本の昔話には、女の人が機を織る場面がよく出てきます。
布を織る仕事は、紀元前八〇〇〇年ほど前から始まりました。布を織るためには上から何本も垂らした経糸の間を一本ずつ緯糸を縫うように入れていきます。ですから、一枚の布を織るのも大変時間のかかる作業でした。
この作業は、次第に機織の道具が改良されるようになって早くできるようになりましたが、それでも手作業の機織は時間のかかる仕事でした。
しかし、十八世紀に、イギリスで機械の力を利用した機織機が発明されると、機織のスピードはぐんと上がりました。最初の機織機は水力を使っていましたが、やがて蒸気の力が使われるようになり、機織の仕事は更に能率が上がりました。機械のよいところは故障さえしなければ、疲れを知らずに一日中でも働けることです。このため、イギリスでは、それまでの手仕事を奪われた人たちが、機械を壊すという運動まで起こりました。
中国では紀元前後に複雑な模様を織る機織の道具が作られていました。それは、体重の軽い子供が機織の上に乗り、下からの指示で経糸を複雑に上げたり下げたりするというものでした。このような複雑な模様は、手作業でなければできませんでしたが、十九世紀に、フランスでカードに開けた穴の有無で経糸を上下させる自動織機が開発されました。この発明によって、複雑な織物も簡単にできるようになりました。
現代の日本では、手作業による織物は、伝統工芸のような特殊な分野に残るだけになっています。
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