a 読解マラソン集 5番 このような集団に wapi3
 このような集団に強く組みこまれた個人にとって、世界とは集団そのものです。集団、または社会、または今此処ここの世の中、つまり此岸しがんということになるでしょう。死ぬと、日本人は、此岸しがんから彼岸ひがんへ移るのかどうか。必ずしもそうではなくて、彼岸ひがんさえも、実は此岸しがんの、具体的には所属集団の、延長と考えられている場合が多い。日本の文化が定義する世界観は、基本的には常に此岸しがん的=日常的現実的であったし、また今もそうである、といってよいと思います。小さな村の中に家族が住んでいて、その家族の中で、だれかが死ぬと、死者のたましいはどこへ行くか。しばらくの間、どことも定めず、空中に漂っただよ ている、という説もあります。たとえば多くの儒者じゅしゃは、それに近いことを考えていたのでしょう。しかし柳田やなぎだ国男によれば、典型的には、村の近くの山の上に行き、そこから村を見まもっている。村はたいてい、水のある所ですから、山のすそ、谷間など、下の方にあって、山の上からよくみえます。その山の上にたましいが、永久に居るわけじゃないけれど、しばらく居る。そして特定の機会に村へ帰って来ます。いろんな風俗ふうぞくや習慣があるようですが、とにかく適当な機会に帰って来る。だれでもよく知っている機会は、夏のお盆 ぼんです。帰って来るところは、隣村りんそんなどということは絶対にない、必ず自分の村、しかも自分の家族のところです。つまり生きていた時の集団への所属性は、死んでも変わらない。日本人の集団所属性は死よりも強し。そういうことです。あるいは、死後の世界が集団の延長だといってもよい。窮極きゅうきょく的には、此岸しがんから断絶し、独立した彼岸ひがんは、ない。本来の現実は、村そのものしかないわけです。家族、村、此岸しがん、それが唯一ゆいいつ窮極きゅうきょく的な現実です。
 そういう世界観の此岸しがん性は、どういうことを意味するでしょうか。仏教が入って来たときには、その大衆への浸透しんとう妨げるさまた  。それにもかかわらず、仏教が大衆のなかへ入ってゆけば、仏教そのものが、現世利益・此岸しがん的効用の方へ、変ってゆく。仏教からその彼岸ひがん
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性を奪ううば 変化を「世俗せぞく化」とよぶとすれば、徳川時代に仏教の世俗せぞく化が徹底てっていします。徳川幕府は仏教寺院を行政制度化して、だれも仏教徒でなければいけないということにした。仏教が政治権力と結び付いた時代は同時に、思想的には仏教の世俗せぞく化が徹底てっていした時代だと思います。この時代の政治倫理りんり的な価値体系、あるいは文学的・芸術的な表現は、早くも一七世紀から世俗せぞく的なものでした。儒教じゅきょう倫理りんり此岸しがん的です。文学作品や絵画に、仏教的・宗教的「モチィーフ」は、はなはだ少ない。そのころ、アジアの大部分の地域の文化は――中国の場合にはちょっと難しい問題があるけれども――仏教的です。ヨーロッパでは、教会が魔女まじょりをやっていました。日本ではそれが起こる程の排他はいた的で、教条的な宗教体系は、もはや生きていなかった。文化自体が世俗せぞく化していた、ということになるでしょう。(中略)
 個人が集団へ高度に組みこまれている条件のもとでは、個人がその所属集団、具体的には家や村やはんや国家に超越ちょうえつ的な権威けんいまたは価値へ「コミット」することは、困難なはずです。あるいは逆に、そういう絶対的な価値がないから、個人が集団の利益に対して自己を主張することができない、つまり高度の組みこまれが維持いじされる、ということもできるでしょう。これはにわとりと卵の関係です。どちらが先であるかは別として、とにかく、日本文化の一つの特徴とくちょうは、先に触れふ たように、集団に超越ちょうえつする価値が決して支配的にならないということです。明治以後の支配層は天皇を絶対化しようとしました。しかし天皇はまさに国民という集団の象徴しょうちょうであり、天皇の絶対化は、集団に超越ちょうえつする価値(たとえば儒教じゅきょうの「天」、キリスト教の「神」)の絶対化であるどころか、集団そのものの絶対化に他なりません。

加藤かとう周一「日本社会・文化の基本的特徴とくちょう」より)
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a 読解マラソン集 6番 アイスランドは、中世紀北欧において wapi3
 アイスランドは、中世紀北欧ほくおうにおいて一時勢力を逞したくま うした「北人」(North−men)が、西暦せいれき第九世紀ころに発見移住した北海中の一孤島ことうであるが、既にすで 法律生活に馴れな た北人が新たにこの無人島に移住して、漸次ぜんじ政治的社会を建設するようになったのであるから、その発見当時の歴史は、吾人ごじんに大いなる教訓と興味とを与えるあた  のである。ジェームス・ブライス氏がその著「歴史および法律学の研究」の中に載せの ている幽霊ゆうれいに対する裁判の話の如きごと はその一例である。
 昔アイスランドの西岸ブレイジフイルズ郷のフローザーという処に、トロッドと称するしょう  酋長しゅうちょうがおった。ある日海上で破船のわざわい遭いあ 、同船の部下の者らとともに溺死できし遂げと た。その後船は海浜かいひんへ打上げられたが、溺死できし者の死骸しがいは終に発見することが出来なかった。依っよ て、この酋長しゅうちょう寡婦かふスリッズと長子キャルタンとは、その地方の慣習に従って、近隣きんりんの人々を招いて葬宴催しもよお たが、その第一日のことである、日が暮れて暖炉だんろに火を点ずるや否や、トロッドおよびその部下の者が、全身水に濡れぬ たまま忽然とこつぜん 立ち現れ、暖炉だんろわりに着席したので、その室に集っていた客人らは、この幽霊ゆうれい歓待かんたいした。それは昔から死人が自身の葬宴に列するのは、彼らかれ が大海の女神ラーンの処で幸福なる状態にいるということを示すものであると信ぜられていたからである。しかし、これらの黄泉よりの客人らは、一向人々の挨拶あいさつに応ずることもなく、ただ黙々ともくもく して炉辺ろばた坐っすわ ていたが、やがて火が消えると忽然とこつぜん して立ち去ってしまった。
 翌晩にもまた彼らかれ は同じ刻限に出現して同じ挙動を演じたが、かかる事はただに連夜の葬宴の際に起ったばかりでなく、それが終った後までも、やはり毎夜打続いたのであった。それで終には召使めしつかいの者どもが恐怖きょうふ抱きいだ だれ一人暖炉だんろのある部屋に入ろうとする者がないようになって、忽ちたちま 炊事すいじに差支えるという事になった。それは火
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焚くた と直ちにトロッドの一行が出現して、その火を取巻くからである。そこでキャルタンは毎晩幽霊ゆうれい専用のために、大きな火を別室に焚くた こととして、炊事すいじには差支えないようになったが、しかしそれからというものは、家内に不幸が続出して、寡婦かふスリッズは病床びょうしょうに就き、死人さえ生ずるに至ったので、キャルタンは大いに困って、その伯父おじにあたる有名な法律家スノルリという人に相談し、その助言に依っよ て、この幽霊ゆうれいに対して訴訟そしょうを起すこととした。即ちすなわ キャルタンその他七人の者が原告となり、トロッドおよびその部下の幽霊ゆうれいに対して家宅侵入しんにゅうおよび致死ちし訴訟そしょうを提起し、いわゆる戸前裁判所の開廷かいてい請求せいきゅうし、トロッドの一行は不法にも他人の家宅に侵入しんにゅうして、その結果家内に死人病人を生ずるようになったから、戸前裁判所の開廷かいてい乞うこ 彼らかれ するむねを声高に申し立てた。ここにおいて、裁判官は通常の訴訟そしょうと少しも異なることなく、証拠しょうこ調しらべ、弁論などの手続を経て、幽霊ゆうれいどもに一々判決を言い渡しい わた たところ、その言渡いいわたしを受けた者は、一々起立して立去り、その後再び出現しなかったということである。
 この話が荒唐無稽こうとうむけいの作り話であることは勿論もちろんであるが、これが我国古代の作り話であったならば、必ず祈祷きとう「まじない」などで怨霊おんりょう退散という結末であろうのに、結局法律の救済を求めたということになっているのは、頗るすこぶ 面白い。けだし北人は幽霊ゆうれい葬宴に列するを信ずる如きごと 知識の程度であったがゆえに、比較的ひかくてき法律思想に富んでおり、殊にこと 烏合うごうの衆が新しき土地に社会を建設する初めに当っては、法律生活の必要、法的秩序ちつじょの重んずべきことが切に感ぜられるところから、かくの如きごと 作り話も生じたのであろう。そして、古代絶海の一孤島ことうにおける幽霊ゆうれいですら、なおかくの如くごと 法を重んじ裁判に服従すべきことを知っておったのに、現今の文明法治国に生活する者にして、動もすれば法をないがしろにする者があるのは、この作り話以上の不思議と言わねばならぬ。
穂積陳重『法窓夜話』〔初版一九三六年〕による)
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a 読解マラソン集 7番 フランスの神話学者デュメジルは wapi3
 フランスの神話学者デュメジルは、「神話をなくした民族は命をなくす」とまで言っている。つまり、神話はその民族を支える基盤きばんなのである。しかし、現代人の視点から見て、神話のような荒唐無稽こうとうむけいなことがどうして、といぶかしく思う人もあるかも知れない。太陽が男性か女性かなどと馬鹿げばか たことを考える必要はない。太陽は灼熱しゃくねつした球体であることは、だれもが知っている事実ではないか、とその人は言うだろう。
 古代のギリシャにおいても、太陽が天空に存在する球体であることを人々は知っていた。それにもかかわらず、古代ギリシャにおいて、どうして太陽は黄金の四輪馬車に乗った英雄えいゆうである、などと信じられたのだろう。
 神話の発生を理解するためのひとつの考えとして、分析ぶんせき心理学者のC・G・ユングは次のような話をかれの『自伝』中に語っている。かれは東アフリカのエルゴン山中の住民を訪ね、住民の老酋長しゅうちょうが、太陽は神様であるかないかという問いに対して、太陽が昇るのぼ とき、それが神様だと説明したのに心を打たれる。ユングは、「私は、人間のたましいには始源のときから光への憧憬どうけいがあり、原初の暗闇くらやみから脱出だっしゅつしようという抑えおさ 難い衝動しょうどうがあったのだということを、理解した」と述べ、続いて、「朝の太陽の生誕は、圧倒的あっとうてきな意味深い体験として、黒人たちの心を打つ。光の来る瞬間しゅんかんが神である。その瞬間しゅんかんが救いを、解放をもたらす。それは瞬間しゅんかんの原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は失われ、忘れられてしまう」と指摘してきしている。
 太陽は神であるかないか、などと考えるのが現代人の特徴とくちょうである。そうではなく、ユングが「光の来る瞬間しゅんかんが神である」と表現しているように、その瞬間しゅんかんの体験そのものを、「神」と呼ぶのである。あるいは、そのような原体験を他人に伝えるとき、それは「物語」によって、たとえば、黄金の馬車に乗った英雄えいゆうの登場とし
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てしか伝えられないのであり、そのような物語が神話と呼ばれるのである。
 神話の意味について、哲学てつがく者の中村雄二郎ゆうじろうは、「科学の知」に対する「神話の知」の必要性として的確に論じている。「科学の知」の有用性を現代人はよく知っている。それによって、便利で快適な生活を享受きょうじゅしている。しかし、われわれは科学の知によって、この世のこと、自分のことすべてを理解できるわけではない。「いったい私とは何か。私はどこから来てどこへ行くのか」というような根源的な問いに対して科学は答えてくれるものではない。
 中村雄二郎ゆうじろうは、「科学の知は、その方向を歩めば歩むほど対象もそれ自身も細分化していって、対象と私たちとを有機的に結びつけるイメージ的な全体性が対象から失われ、したがって、対象への働きかけもいきおい部分的なものにならざるをえない」と述べ、科学の知の特性を明らかにし、それに対して、「神話の知の基礎きそにあるのは、私たちをとりまく物事とそれから構成されている世界とを宇宙論的に濃密のうみつな意味をもったものとしてとらえたいという根源的な欲求」であると指摘してきしている。科学の知のみに頼るたよ とき、人間は周囲から切り離さき はな れ、まったくの孤独こどく陥るおちい のである。科学の「切り離すき はな 」力は実に強い。
 「物語」はいろいろな面で「つなぐ」はたらきをもっている。一本の木は科学的に見る限り、細かい事実は明らかになるとしても、あくまで一本の木である。人間はそれを「使用」したり「利用」したりはできるが、それと心がつながることはない。ところが、その木は「おじいさんが還暦かんれきの記念に植えた木ですよ」という「物語」によって、俄然がぜんそこに親しみが湧いわ てくる。あるいは、木を介しかい て祖父の思い出が浮かんう  できて、祖父との心のつながりを感じるかもしれない。いずれにしろ、そこに情緒じょうちょ的な関係が生じるのである。

(河合隼雄はやお著『神話と日本人の心』)
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a 読解マラソン集 8番 何について、責任が wapi3
 何について、責任が問題となるのか? まず何よりも、行為こういにかんして、である。しかも、みずから何かを行うという行為こういだけでなく、何事かをしないという無為むいも、また他人が何かをするのを助ける・やめさせる行為こういをもふくめ、まずは行為こういにかんしてこそ、責任が問題となる。
 もちろん、行為こうい無為むいにかんして「他のようにはできなかった?」と問われるとき、その問は、その人の心理的・人格的な特性や、そのときの思考・感情にまで及ぶおよ 。しかし、繰り返せく かえ ば、そうした事柄ことがらにまで責任の問題が及ぶおよ のは、行為こういのありようが問われるからである。そのかぎりで、まずもって行為こうい焦点しょうてんを合わせるのは不当なことではない。
 では、だれが責任を負うのか?「行為こういした個人が」という答は、自明のようにも思える。しかし事態は、つねにそう単純であるとはかぎらない。なるほど、行為こういするのは、個人である。少なくとも行為こういは、意味を帯びた身体のふるまいにおいて遂行すいこうされるかぎり、身体なき存在は、行為こういできない。しかし、だからと言って、行為こういの責任を負うのは、当の個人にかぎられる、ということにはならない。
 このことが如実にょじつに問題となるのは、会社や国家といった組織が「集合的な行為こうい」を遂行すいこうするばあいである。しかし、会社や国家は、個人が行為こういするのと同じ仕方で、行為こういするのではない。ここでは、もっぱら個人に焦点しょうてんを合わせて、行為こういの責任を考えてみたい。
 個人が行為こういするときには、何の前提もなしに、本人にもわけ(理由)も分からぬまま、体が動くのではない。その人は、その人なりに状況じょうきょうを認知し、自分の欲求や、まわりからの期待や、自分の願望にもとづいて決断し、意図的に体を動かして、行為こういしている。何気ないささいな行為こういにおいてさえ、状況じょうきょうの認知・周囲の人たちの
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抱いいだ ている予期・期待、当人の中長期の計画などなど、多くのことが前提となっている。
 もし、状況じょうきょう認知・周囲からの期待・本人の計画といった行為こういの前提のいっさいが、その個人に由来し、その人によって自由に制御せいぎょできるのであれば、そのばあいには、行為こういにかかわる責任は、すべてその人にある、ということになろう。しかし、実際には、そうではない。状況じょうきょう認知・期待・欲求などなどといった行為こういの前提の多くは、まわりの人たちとの関係によって生じている。したがって、誤った情報を与えあた られたまま、あるいは過剰かじょうな期待を負わされたまま、その人が決断したときには、「本人がそう選択せんたくしたのだから、かれ彼女かのじょに全責任がある」とは言えない。そう決めつけるのは、実態とずれており、ばあいによっては苛酷かこくである。
 もちろん、だからといって、「本人が編み込まあ こ れていた関係が悪かった、環境かんきょうが悪かった」といった責任転嫁てんかが、つねに正当化されるわけではない。催眠さいみん術にかけられていたとか、舞踏ぶとう病で体が勝手に動いたとでもいうのでないかぎり、私たちは、自分が行為こういした理由(わけ)を問われる。思わず、あるいは何気なく行為こういしてしまって、自分でも理由を説明できないとしても、舞踏ぶとう病で体が勝手に動いてしまったのでもないかぎり、私たちは、自分の行為こういに責任を負っている。しかし、もし誤った情報を与えあた られて、あるいは過大な期待を負わされて、あるいは脅迫きょうはくされて、そう行為こういすることを選んだのであれば、誤った情報を与えあた た者、過大な期待を負わせたり脅迫きょうはくした者にも、その責任があるはずである。

(大庭健『「責任」ってなに?』による。一部改変)
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