a 読解マラソン集 5番 日本の理想の上役像は nngu3
 日本の理想の上役像は次のようなアンケートに明らかだ。二人の課長がいる。上役としての実務能力も充分じゅうぶんなことは二人とも一緒いっしょ。ところでA課長の方は無理な仕事もいいつけない。無理な怒りいか 方もしない。考課査定も公平だ。だが公務を離れはな て部下の面倒めんどうを見てくれない。
 B課長は無理な仕事もさせる。怒るおこ のも無茶なときがある。査定はだいたい公平だが、ときとして感情が入る。しかし部下の面倒めんどうは仕事関係を離れはな てもよく見てくれる。どちらの上役のもとで働きがいがあるか。そういう問いを出す。
 日本では八十パーセントがBを選ぶ。Aを選ぶのは十パーセント前後である。知識人でも七十対十五ぐらい。アメリカは正反対である(林知己夫『日本人の国民性』)。これは戦前戦後を通じ、共通した日本人の特性だ――もっともアメリカでもだんだん日本的になって来ているそうだが。――
 では部下のことを思っている上役とは、具体的にどういう人のことか。たとえば、部下を出張に出す、大事な契約けいやくである。午後八時までに成功したならば報告を入れよ、不成功ないしは努力中ならば報告するなと約しておいたとする。さて電話がなかった。そのときに、これがアメリカであったら、仕事の契約けいやくがうまく行かなかったということだけを考えればよい。そしてすぐそれに対応した処置をすることで上役の仕事は果たされる。
 ところが日本の場合は、職務上の処置をすると同時に、あの男は気が強いように見えるが、実は弱気で酒飲みで寂しさび がりやだ。だめだったとなるとヤケになり、バーへ行くにきまっている。そういうとき、とりわけあいつは女にもてない。今ごろは殴らなぐ れるか、大阪おおさかなら道頓堀どうとんぼりへでもはまっているのではないだろうか、というようなまったく会社と関係のない、個人への思いやりがきわめて自然に頭に浮かんう  でこないかぎり、日本では上役としてうまくいかない。部下を把握はあくできないのだ。部下は、上役というものは職務上の上役で、仕事がよくできるということだけで上役像を描いえが ているのではなくて、自分のこと、おれのことを知ってくれるという形で上役像を描いえが ているのである。
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 ある調査で、社員の行くバーへ盗聴とうちょう器をしかけ、上役の悪口を全部集め社員意識というものを考えようとしたことがあった。純粋じゅんすいに学問的な試みだったのだが、プライバシーを害するというわけで途中とちゅう廃止はいしされた。それによるとおもしろいことに、どこでも、いつでも平社員は集まるとみな上役の悪口をいっている。
 はじめの間は、その悪口は充分じゅうぶんに具体的なのだが、酔っぱらっよ    てくるとみな同じ文句になってしまう。それは上役は「おれという人間がちっともわかっていない」という文句である。それは今度の自分のやった仕事を認めてくれるとか認めてくれないというのではない。おれという者がわからないという駄々っ子だだ こ的不平なのである。つまり、部下は人間味のある付き合いを求めている。それが可能な上役には全幅ぜんぷく信頼しんらいをよせる。
 この人間的に裏打ちされている人間関係こそが、日本の会社のタテの関係のおそろしい強味であろう。(中略)
 そこから公私混同もよろしいという変な結論さえ引き出せるのである。わたしは友人とともにある会社を視察に来た外人と、夜中の十一時ごろ、バーへいったことがある。そこで、ある電子顕微鏡けんびきょうを作る会社の社員が喧々囂々けんけんごうごうと議論していた。十二時になっても終らない。そこでその外人が驚いおどろ て、いったいどこの会社の社員で、なにをやっているのだ、と聞く。こちらも悪口はいえないから、あれは会社の話で、今度売り出した電子顕微鏡けんびきょう販売はんばい法の検討反省会をやっているのだといってみた。まあ当たらずといえども遠からずであろう。かれは、日本の会社は偉いえら 超過ちょうか勤務手当も払わはら ずに、十二時まで人を使っている、とふしぎな感想をもらし、これだから日本の会社はこわいのだと感嘆かんたんした。
 たしかに向こうでいえば、仕事は勤務時間内しかやらない。勤務時間がすぎたとたん、自由な私的個人となる。それをこえて働くのは管理職だけである。日本は、八時間の労働の間はアメリカみたいに締めつけし   られないが、二十四時間中、会社員たることから逃れのが られない。それが可能なためには、終身雇用こようや年功序列にもよるが、公私混同が許されているという条件も大きく働いているのだ。
(会田雄次ゆうじ『日本人の意識構造』)
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a 読解マラソン集 6番 彼は地方公務員だ。 nngu3
 かれは地方公務員だ。
 東京郊外こうがいの市役所の健康保健課という、傍目はためには地味な職場で働いている。しかしだれかから職業を尋ねたず られた場合、かれはいたずらっぽい笑顔を浮かべう  ながらこう答えることにしている。
「ボクシングのレフェリーです」
 相手が意外そうな顔をして何か尋ねたず たそうにしたら、
「本業は公務員なんですけどね」
 とつけ加える。ボクシングのレフェリーだけで飯を食っている人間は、日本に存在しない。たとえ世界タイトルマッチのレフェリーをつとめたとしても、ギャラは高が知れている。ましてやかれのように初心者で、四回戦のレフェリーしかつとめたことがない者は、ほとんどがノーギャラである。ようするにボクシング好きがこうじて、趣味しゅみとしてレフェリーを選んだ者ばかりなのだ。
 もちろんかれも、そんなボクシング好きの一人だった。(中略)
 大学を出て、公務員としての地味な毎日を一年ほど送ったころになって、かれ唐突とうとつにボクシングに目覚めた。きっかけは、高校時代の友人がプロボクシングのライセンスを取得し、遅いおそ デビューを飾っかざ たことだった。応援おうえんにかり出されて、初めて訪れた後楽園ホールの客席で、かれは今までに味わったことのない興奮を覚えた。もちろん今までにテレビで観たことは何度かあったが、生の試合は全く別物だった。生身の人間と人間が、地位でもなく名誉めいよでもなく金でもなく、もっと崇高すうこうな何かのために殴りなぐ 合う。リングに上がったボクサーは、ただ相手を倒すたお ためだけにそこに生きている。その圧倒的あっとうてきな存在感は、曖昧あいまいきわまりない人生を歩んできてしまったかれにとって、まさに驚きおどろ だった。
 以来、かれひまを見つけては後楽園ホールへ通うようになった。別にタイトルマッチでなくとも、四回戦でも六回戦でもいい。ボクサーのそばにいて、同じ空気を吸い、同じ興奮を分かち合うことがかれにとっては大きな喜びだった。(中略)
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 初めてかれがリングに上がったのは、四月半ば――桜が散ったころだった。(中略)
 試合に先立ってかれは二人のボクサーをリング中央へ呼び、マニュアル通りに試合上の注意を与えあた た。声が震えふる ているのが、自分でも分かった。ゴングの前に客席を見回すと、四回戦にしては意外なほど客が入っていた。デビュー戦同士だから、応援おうえんの友人知人たちをできるだけかき集めたのだろう。全員が、二人のボクサーを食い入るように見つめるばかりで、レフェリーのかれに気を止める者は一人もいなかった。しかしかれは満足だった。
 試合は白熱した内容だった。二人の選手は技術こそなかったが、負けまいとする気迫きはくは世界ランカーに劣らおと ないものがあった。玉砕ぎょくさい覚悟かくごのやみくもなパンチの応酬おうしゅうで、三回半ばには双方そうほうとも血まみれになった。ブレイクを分けるために割って入るたびに、かれの白いシャツにも血糊ちのりがついた。
 三人ともに必死だった。
 結局、四回に赤コーナーの選手が放ったまぐれ当たりのアッパーで、青コーナーの選手はマットに沈んしず だ。壮絶そうぜつな試合だった。赤コーナーに近い客席からは、潮騒しおさいのような歓声かんせいが上がった。その歓声かんせいは、すべて勝者のものだ。レフェリーのかれのために拍手はくしゅをおくる者はだれもいない。しかしかれは、今までに感じた経験のない深い充実じゅうじつ感に浸るひた ことができた。
おれはリングに立った」
 控え室ひか しつで血のついたシャツを脱ぎぬ ながら、かれはつぶやいた。
おれ闘ったたか た」
 相手はいないけれど、お前は勝った。よくやった。よくやった。そう自分に言い聞かせている内に、かれなみだがこぼれてくるのを抑えおさ られなくなった。
 二十数年間の人生で、かれは生まれて初めて何ものかに勝つ喜びを、ひそかにかみしめていた。
(原田宗典「レフェリーの勝利」、『人の短編集』)
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a 読解マラソン集 7番 戦後教育システムは nngu3
 戦後教育システムは、生徒に希望を与えるあた  システムとして大変よく機能した。それは、
 (1)能力に合った職に送り出す機能を果たし、生徒に将来の見通しと安心を与えあた た。つまり、これくらいの学力があればこれくらいの学校を出て、これくらいの職に就ける(女性は、これくらいの人と出会え、これくらいの生活ができる)という期待ができた。
 (2)過大な期待を諦めあきら させる機能を果たした。特定のパイプラインに乗れなければ、特定の職に就くことを諦めるあきら  しかなく、パイプを流れる過程で、徐々にじょじょ 諦めあきら がついた(いくら医者になりたくても、医学部に入る学力がなければ諦めるあきら  しかない)。
 (3)階層上昇じょうしょうの機能(世代内上昇じょうしょう+世代間上昇じょうしょう)を果たした。少しでも頑張っがんば て勉強すれば、上の学校に行けて、よりよい生活が送れるという期待がもてた。そして、親よりもよい学校に行けば、父親以上の職に就ける(女性の場合は、そのような相手と結婚けっこんできる)という期待がもてた。
 一九九〇年代後半、経済社会構造の大きな転換てんかんが起こったと考えられている。それは、物を作って売るという工業が主要な産業であった時代から、情報やサービス、知識、文化などを売ることが経済の主流になる時代への変化である。これを、クリントン政権の労働長官だった経済学者のロバート・ライシュにならって、ニューエコノミーと呼ぶことにしよう。
 グローバル化によってニューエコノミーの日本への浸透しんとうが本格化すると、職業世界が不安定化する。これが、教育システムに波及はきゅうした結果生じたのが、学力低下を含むふく 教育システムの危機だと私は分析ぶんせきしている。
 ニューエコノミーでは、物作り主体のオールドエコノミーとは違っちが て、商品やシステムのコピーが容易である。そこで生じるのが、コピーのもとを作る人と、コピーをする人+コピーを配る人への分化、マニュアルを作る人と、マニュアル通りに働く人への分化なのである。それは、将来が約束された中核ちゅうかく的、専門的労働者と熟練が不要な使い捨て単純労働者へ、職業を分化させる。そして、
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グローバル化による競争激化や金融きんゆう危機がその傾向けいこうを加速させる。そして、その影響えいきょうはまず、若者を直撃ちょくげきする。
 企業きぎょうは、若者を選別して、能力のあるものは中核ちゅうかく社員、専門的社員として優遇ゆうぐう、それ以外は、派遣はけん、アルバイトなど保障のない労働者で置き換えよお か  うとする。その結果、非正規雇用こよう者が大量発生する。それが、日本では、フリーターの増大として表れるのだ。
 一方で、旧来型の産業・職は、徐々にじょじょ 衰退すいたい局面に入る。工場はアジアに移転し、メーカーは工員を大量に採用しなくなる。IT化は、営業や事務、販売はんばい職の(熟練を前提とした)正社員を不要にする。
 しかし、日本では、職に応じて学校数が調節されるわけでもなく、教育機関としての学校は残り続けた。(中略)
 工業高校を出ても正社員工員になれない人、女子短大を出ても企業きぎょう一般いっぱん職になれない人、文系大学を出ても上場企業きぎょうホワイトカラーになれない人、そして、大学院で博士号をとっても、大学専任教員になれない人が溢れあふ 出す。それが、さまざまなレベルでのフリーターの出現となって表れる。彼らかれ は、学校が想定する職に就くという「ささやかな夢」さえも叶えかな られなくなっている。
 そして、重要なのは、パイプがなくなったわけではないことである。大卒だからといってホワイトカラーになれないということは、大学に行かなくてもいいことを意味しない。大学に行かなければホワイトカラーになることはもっと難しいということである。
 その結果、パイプから漏れも た人は、「勉強」という努力が無駄むだになる体験を強いられることになる。別の職に転進したり、また別の学校に入り直したらと言えればいいが、それは、今までしてきた努力が無駄むだになることを自ら認めることになる。親は、自分の子どもの教育にかけてきたお金とエネルギーが無駄むだになることに、心理的に耐えた られない。

(山田昌弘まさひろ「希望格差社会とやる気の喪失そうしつ」より。一部を改める)
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a 読解マラソン集 8番 「則天去私」というのは nngu3
 「則天去私」というのは晩年の漱石そうせきが作った言葉です。天に則って私を去る、「私」なんてない、というのは「西洋近代的自我」すなわち「私は私であり、その個性は意識にのみある」という考え方に対する、日本人としての反発だったのではないでしょうか。
 戸籍こせき制度や漱石そうせきの思想から見れば、こうした近代化というのは明治時代に始まったと考えられます。しかし、日本の場合、こうした思い込みおも こ がここまで確立されたのは戦後でしょう。戦後は、それまでの日本的な考え方を「封建ほうけん的」の一言で片付けてしまった。
 今では葬式そうしきといえば火葬かそうがあたりまえですが、高度成長期の前までは土葬どそうも別に非常識な手法ではなかった。これがあっという間に、より死体を遠ざける方向に向かっていった。出来るだけ「死」を日常生活から離しはな ていった。考えないようになった。
 ほぼ同じ時期にトイレでも同じようなことが起きた。つまり水洗便所の普及ふきゅうです。あれは人間が自然のものとして出すものをなるべく見えないように、感じないようにしたものです。(中略)
 同様に戦後消えていったものはたくさんあります。お母さんが電車の中でお乳を子供に与えるあた  姿も見なくなって久しいように思います。
 肉体労働者がフンドシ一丁で働かなくなったのはもっと前からのような気がします。(中略)
 このへんのことにはみな、共通の感覚があるのがおわかりでしょうか。身体に関することが、どんどん消されていったのです。
 これは都市化とともに起こってきたことです。それも暗黙あんもくのうちに起こることです。世界中どこでも都市化すると法律で決めたわけでも何でもありません。それでもほぼ似たような状態になります。これは意識が同じ方向性もしくは傾向けいこうをもっているからです。
 都市であるにもかかわらず、異質な存在だったのが古代ギリシャです。ギリシャ人はアテネというあれだけの都市社会を作っておきながら、はだかの場所を残していたのですから。彼らかれ にとってははだかが非常に身近だった。
 だれもが知っているのがオリンピックです。これはもともとは全裸ぜんらで行っていた大会です。マラソンだって何だって全裸ぜんらです。マンガ
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や絵本のようにイチジクの葉なんか付けていません。
 スポーツに限らず、教育機関、当時のギムナジウム(青少年のための訓練所)でもみなはだかでした。
 もともとギムナジウムという言葉は「はだか」を意味していたのです。おそらくはだかであることの根拠こんきょは今で言う「はだかの付き合い」というのに非常に近かったのではないか。
 アテネ型の民主主義の前提は、市民全員が平等だということです。これはだれでもはだかの付き合いが出来る、ということでしょう。着ている物や何かで判断を受けない。若い人たちはギムナジウムでは平等だった。民主主義の原点は「はだかの付き合い」にあった、というのは興味深いことです。
 ギリシャとは異なり、ローマ帝国   ていこくにはこうした「はだかの文化」はなかった。もちろん共同浴場とかそういう場所でははだかになっていました。しかし、別にそれは社会の制度と結びついていたわけではありません。
 ルネッサンス時代の彫刻ちょうこくは、ギリシャ時代のはだかのモデルの彫刻ちょうこくを写したものですが、別にルネッサンス時代の人々がはだかだったわけではない。レオナルド・ダ・ヴィンチはだかで暮らしていたわけではありません。彼らかれ 彫刻ちょうこくの題材がはだかであっても、それは着物を着た連中がはだかを創っているわけです。よく一緒いっしょにされてしまいがちですが、ギリシャ彫刻ちょうこくのように、もともとはだかで過ごしていた人たちがはだか彫刻ちょうこくを創るのとでは、意味がまったく違うちが のです。
 もちろん、今ではなぜ古代ギリシャ人たちがはだかだったのか、文献ぶんけんで証明することは出来ません。そんなことの理由をくわしく書いている本はないのです。こういう共同体全体が持っている無意識のルールというのは、往々にして記録されません。
 ただし、彼らかれ にとって今の私たちよりも身体というものが身近だったのは間違いまちが ないし、それが社会的に何らかの作用をしていたと考えていいのではないでしょうか。

(養老孟司たけし『死のかべ』による)
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