そもそも本能を定義することはきわめてむずかしいが、とにかく本能というのは行動と切り離せない概念である。人間をも含めて動物の行動のごく基本的なモデルとして、ローレンツの古典的なモデルがある。ここに一個の水槽があり、上からたえず水が流れこんで水槽内にたまる、このたまった水がいわゆる衝動にあたる。水層の下部には蛇口が一個あり、それに栓がついている。適当な刺激によって、この栓がひっぱられてぬけると、蛇口から水が噴きだす。この水の噴出が行動を示すものとするのである。
水が噴出するかどうか、つまり行動がおこるかどうかは、衝動の大きさ(水槽内の水圧)と刺激の強さによってきまる。しかし、どんな型の行動がおこるかは、蛇口の形によってきまる。同じ衝動にもとづく同じ種類の行動でも、その型は動物の種類によってちがう。つまり、動物の種類によって蛇口の型がちがうのである。多くの動物では、蛇口は生まれつき完成されており、その型は遺伝的に決まってしまっていて、同じ種類の動物は、同じ条件のもとではほとんど同じように行動する。学習する必要はほとんどなく、たとえその必要が多少あったとしても、蛇口をすこしけずって変型する程度のもので、型の本質的な変更には至らない。このように、種によって一定の、遺伝的に型のきまった蛇口にしたがった行動がおこる場合を本能というのが、動物行動学での共通見解であるようにおもわれる。
このような観点に立って人間をみたら、どうなるであろうか。書店にいくと、育児百科のような本や別冊付録がたくさんある。もし、人間に育児行動のための蛇口が遺伝的に備わっているのなら、こんな手引書はいらないだろう。子供を産んだ女性は、何一つ教わらなくとも、本来もっている遺伝的蛇口にしたがってすらすらと育児ができるはずだからだ。しかし現実にはそうでない。人間には、動物行動学でいうような育児本能はないのだと考えたほうがよい。あるのは育児衝動だけなのである。(中略)
人間について日常安易にいわれている「本能」は、すべて衝動と
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