1ハマーショルドの日記はきわめて特異である。国連事務総長という要職にあった人の、またその職責にひたむきに献身していた人の手になるものでありながら、職務にかかわる記述が一行としてない。2それを読んだだけで書き手の職業を言い当てるのは、おそらく不可能だろう。世俗的な属性だけではなく、時間も空間もすべて超越しているかに見える。時折現れる日付さえ、この印象を拭い去りはしない。3それはそうだろう。この日記は彼と「神とのかかわり合いに関する白書のようなもの」(友人のレイフ・ベルフラーゲ宛の遺書)なのだから。
4神との対話は透徹した自己省察となる。もし神の視線が自分に照射されたなら明るみに出されるのは何か、それを測り尽くすとでも言うかのように、ハマーショルドは自分の弱さと卑小さを見つめ続けた。5「それから目をそらしたなら、たちまち自分の行動の誠実さを脅かすことになるから」(一九五七年四月七日)である。傲慢さや自己憐憫、怯懦や取るに足らぬ自尊心を徹底的に排除した。6彼にとって誠実な生の営みとは、存在にまつわるそれらの夾雑物をぎりぎりまで削ぎ落とすことだった。日記中に引用されている次の文章が、そうした彼の思考をあますところなく伝えている。
7大地に重みをかけぬこと。悲愴な口調でさらに高くと叫ぶのは無用である。ただ、これだけでよい。
――大地に重みをかけぬこと。(一九五一年・日付不明)
8「大地に重みをかけぬこと」とは、言いかえれば自己放棄つまりおのれを空しくすることを意味する。この自己放棄(ないしは自己滅却)という言葉はしばしば日記の中で用いられており、ハマーショルドの思想的中心点の一つだと言ってよい。9それは夾雑物に惑わされたり、自分自身にのみ拘泥したりせぬことである。こうして彼は、精神の高みに飛翔する瞬間のために準備を続けた。0
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