a 読解マラソン集 9番 ハマーショルドの日記は nnzi3
 ハマーショルドの日記はきわめて特異である。国連事務総長という要職にあった人の、またその職責にひたむきに献身けんしんしていた人の手になるものでありながら、職務にかかわる記述が一行としてない。それを読んだだけで書き手の職業を言い当てるのは、おそらく不可能だろう。世俗せぞく的な属性だけではなく、時間も空間もすべて超越ちょうえつしているかに見える。時折現れる日付さえ、この印象を拭いぬぐ 去りはしない。それはそうだろう。この日記はかれと「神とのかかわり合いに関する白書のようなもの」(友人のレイフ・ベルフラーゲあての遺書)なのだから。
 神との対話は透徹とうてつした自己省察となる。もし神の視線が自分に照射されたなら明るみに出されるのは何か、それを測り尽くすつ  とでも言うかのように、ハマーショルドは自分の弱さと卑小ひしょうさを見つめ続けた。「それから目をそらしたなら、たちまち自分の行動の誠実さを脅かすおびや  ことになるから」(一九五七年四月七日)である。傲慢ごうまんさや自己憐憫れんびん怯懦きょうだや取るに足らぬ自尊心を徹底的てっていてき排除はいじょした。かれにとって誠実な生の営みとは、存在にまつわるそれらの夾雑きょうざつ物をぎりぎりまで削ぎそ 落とすことだった。日記中に引用されている次の文章が、そうしたかれの思考をあますところなく伝えている。
 大地に重みをかけぬこと。悲愴ひそうな口調でさらに高くと叫ぶさけ のは無用である。ただ、これだけでよい。
 大地に重みをかけぬこと。(一九五一年・日付不明)
「大地に重みをかけぬこと」とは、言いかえれば自己放棄ほうきつまりおのれを空しくすることを意味する。この自己放棄ほうき(ないしは自己滅却めっきゃく)という言葉はしばしば日記の中で用いられており、ハマーショルドの思想的中心点の一つだと言ってよい。それは夾雑きょうざつ物に惑わさまど  れたり、自分自身にのみ拘泥こうでいしたりせぬことである。こうしてかれは、精神の高みに飛翔ひしょうする瞬間しゅんかんのために準備を続けた。
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まさにたましい彫琢ちょうたくとでも呼ぶほかはない。
 何がこれほどまでに、かれたましい彫琢ちょうたく駆り立てか た たのだろうか。この人の「憧れあこが 」は何であったのか。ここで私たちは、「よき死のための成熟」という一つの答えに出会う。
「死はおまえから生に捧げるささ  決定的な贈物おくりものたるべきであり、生に対する裏切りであってはならない」(一九五一年・日付不明)、そうかれは自分に語りかけている。そこに見られるのは、漠然とばくぜん した死への恐怖きょうふなどではなく、躍動やくどうする生の営みの果てに積極的に死を迎え入れよむか い  うという、確固たる姿勢である。みずから命を絶つあきらめでもなければ、他人の生を踏みしだくふ    傲慢ごうまんさでもない。
 死を「生に対する贈物おくりもの」にすべくかれが求めてやまなかったのは、「成熟」ということだった。一九五三年四月七日、国連事務総長に就任した日の日記には、くり返しそれへの渇望かつぼうが書かれている。たとえば、「成熟なかんずく、子供が仲間と遊んでいるときのように、現在の瞬間しゅんかんに明るく澄んす だ無心さで遊び、仲間と心がひとつになりきってかげひとつささぬ境地」。遊びほうける幼子との結びつけが意表を衝くつ が、この「無心さ」が、実は自己滅却めっきゃくと同じものであると考えるならさほど不思議はない。こうしてかれは、国連事務総長という、「世界で最も不可能な仕事」(初代事務総長T・リー)を、気負いもたかぶりもせずに、成熟と自己滅却めっきゃくという自分自身の原則を静かに再確認することだけで始めたのだった。

(最上敏樹『国境なき平和に』による)
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a 読解マラソン集 10番 すべてを知り、すべてを見下ろす nnzi3
 すべてを知り、すべてを見下ろす作家の特権的地位というものは現代では失われています。文学における真実の問題もおびやかされています。小説家がいくら社会を描くえが 威張っいば ても、かれの告げるところは、専門家から見れば、常に疑わしいものです。文章と趣向しゅこうの必要から来る歪曲わいきょくは、対象の忠実な「再現」とはいい難い。「かれがこう思った、こう感じた」と書いても、「うそをつけ。実はああも、感じたろう」といわれれば、それに抗弁こうべんする手段は小説家にはないのです。こうして小説における真実は、内容的にも技術的にも疑われているので、フランスで「反小説」と呼ばれる流派が現われ、人称にんしょうを混乱させたり、ものを固有の名で呼ぶことをやめたりしたのも、こういう苦悶くもんのあらわれだと思われます。
 しかし視点を変えて考えれば、こういう技法上の工夫も、小説の普通ふつうの作法をひっくり返し、小説の小説性を否定することによって、かえって小説の現実性を回復しようという試みと見られないこともありません。
 しかし一方小説家が「かれがこう思った」と書けば、必ずそう信じる読者、小説家にされるのを喜ぶ読者というものは必ずいるものです。この領域では錯覚さっかくを生ぜしめる手腕しゅわんがあるかないかにかかって来ます。結局は作者が読者の前に押し出すお だ 人物に読者の注意を惹きひ つけることが出来るかどうかにかかって来ます。
 作者がよい主人公を選んで、かれに読者の喜ぶような行動を取らせ、読者の考えそうなことを考えさせればよい、という伝奇でんき小説の原則は現代でも生きているので、雑誌小説や新聞小説が小説読者という集団を維持いじしているのは、多くの金儲けかねもう のうまい作家が、この原則に忠実だからです。
 しかし、小説は十九世紀以来、小説に固有ではない多くの要素を取り入れて肥って来ました。白痴はくちにかえったムイシキン公爵こうしゃくの行動は、本で読んでは「幽霊ゆうれい」の幕切れほどの肉体的緊張きんちょう伴わともな ないかもしれない。「吾輩わがはいねこである」がいくらくすぐりに充ちみ てい
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ようとも、浅草の喜劇一座のように、われわれを苦しいほど笑わすことは出来ません。しかし一方ムイシキン公爵こうしゃく舞台ぶたいのぼらせても、「白痴はくち」の読後と同じ感動を与えるあた  ことは出来ません。映画「坊っちゃんぼ    」を観た後には、原作の読後のさわやかな快感は残りません。
 すべてこれらの物語は全部読まれ、人物は隅々すみずみまで知られることを要求しているのです。こういう突き詰めつ つ た関心は、われわれの生活に、個人の自由の判断によって、左右される部分が増えた時代の産物でした。それ以前は権威けんいとか因習に従ってさえいればよかった(またそうするほかはなかった)のですが、個人の自覚と共に小説も変わりました。要するに市民社会の自由というものと関係がありました。
「いかに生くべきか」を考えさせる小説が、いい小説だといういい方をぼくは好みませんが(なぜならそのようにして考えられた生き方が、人を幸福にするとは限らないからです)いい小説がことに当ってわれわれの選ぶべき行動について、考えさせるのは事実です。近代の小説の主人公は、外部から強制されたにせよ、自ら進んで求めたにせよ、なにかを行うについては、行う前に考えるということを、存在の意義とするような生活を送るのです。

大岡昇平『現代小説作法』による)
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a 読解マラソン集 11番 一七九〇年、フランス革命政府議会は nnzi3
 一七九〇年、フランス革命政府議会は、それまでのように人体を尺度にした、地方ごとに違うちが 長さの測り方をやめ、世界中同じ単位で長さを測れるようにしようという決議をした。この時代には、グローバリゼーションの震源しんげん地はアメリカではなく、フランス革命政府だったのだ。
 だが同様に普遍ふへん指向が強かった古代ギリシャの生んだ哲学てつがく人プロタゴラスは、「人間は万物の尺度なり」という、特殊とくしゅ指向こそが普遍ふへん的だという、見事な逆説的命題を吐いは た。実際、人体のさまざまな部分を規準にした尺度は、十八世紀末までは、まさしく普遍ふへん的に、だれもそれを怪しむあや  ことなく、国ごと、地方ごとに用いられていたのだ。
 フランスで当時用いられていた、長さを測る単位には、アンパン(片手の指をいっぱいに広げたときの親指の先から小指の先まで)、クーデ(ひじから伸ばしの  た中指の先まで)、ピエ(足の意。ヤード・ポンド法のフィート「足」に対応)、プース(足の親指の意。一ピエの十二分の一)、トワーズ(身の丈み たけの意。六ピエ)、ブラス(両うで伸ばしの  て広げた長さ。五ピエ。日本のひろに対応)等があった。クーデに対応する日本の尺は、呉服尺ごふくじゃく鯨尺くじらじゃく曲尺かねじゃくでも違うちが が、やはり前腕ぜんわんの骨の長さから来た尺度だ。布などを測るのにひじを曲げたかたちは測りやすいのか、西アフリカのモシ社会でも、細長い帯状に織った綿布を売るとき、曲げたひじから中指の先までの長さを単位にして測る(カンティーガ、複数でカンティーセという)。日本語で前腕ぜんわんの小指側の骨を尺骨しゃっこつと呼ぶことからも、この測り方と前腕ぜんわんとの関連が窺わうかが れる。尺骨しゃっこつを指すラテン語の解剖かいぼう用語はulnaだが、これは古代ローマでの長さの単位でもあった(三七センチに対応するから、日本の呉服尺ごふくじゃく鯨尺くじらじゃくのあいだくらいの長さだ)。尺という漢字は手の親指と中指を開いた象形で、日本ではあただ(てのひら下端かたんから中指の先までともいわれる)。
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 一七九一年、フランス革命政府は学者を招集して、地球の北極点から赤道までの経線の距離きょりの一千万分の一を、世界に共通する長さの単位とすることを決定した。だが実際にこの距離きょりを測ることはできないので、フランス北岸のダンケルクから、地中海に面したスペイン領バルセロナまでを精密な三角測量で測り、両端りょうたんの地点の緯度いどから、北極点・赤道間の距離きょりを算出するという方法がとられた。
 この二地点のあいだは山岳さんがく地帯が多く、革命直後で政情も不安定であり、測量は困難を極めた。それでも一七九八年に測量を完了かんりょうし、翌年には白金製のメートル原器が作られた。地方ごとに人間中心で作られていた尺度を、ヒトを離れはな た「地球」(グローブ)の寸法から割り出すことにしたのだから、これこそ語義通りの「グローバリゼーション」の先駆けさきが というべきだろう。
(中略)
 アメリカ合衆国は一八七五年の国際メートル条約の原加盟国だが、ヤード・ポンド法は「慣習的単位」として禁止されていないどころか、日常生活ではこちらの方が普通ふつうに用いられている。しかもアメリカの影響えいきょうが強い航空・宇宙関係の国際用語では、メートル法を採用している国も、アメリカの「慣習的単位」に合わせざるをえない状態だ。国際線の旅客機でも、高度や距離きょりの表示に、メートルとフィートが併用へいようされていることは、よく知られている。
 現代におけるグローバル化の中心にある米英が、かつてのフランス主導のグローバル化に対して、ローカルな「慣習的単位」に固執こしつしている事実を見ても、グローバル対ローカルという関係が、文化外の要素も多分に含むふく 「力関係」の上に成り立っていること、普遍ふへん指向と特殊とくしゅな慣習的価値の尊重という対立も、状況じょうきょう次第、「力関係」の都合次第でいかに変わるものであるかがよく分かる。

(川田順造『もう一つの日本への旅』による)
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a 読解マラソン集 12番 生成という時 nnzi3
 生成という時、死滅しめつを反対概念がいねんとして排除はいじょするかと思われるが、「おのずから」の中核ちゅうかく的意味内容としての生成は、死をつつみこえるものとしての生成である。元和年間(一六一五―二四)に書かれた『見聞愚案ぐあん記』に、「世話に、自然じねん呉音ごおんへば自然天地の様に心得、自然しぜんと漢音にへば、もしの様に心得るなり」とあるという。特に中世において顕著けんちょであるが、自然はジネンと訓まれる時、今日一般いっぱんにいう自然・必然の意となり、シゼンとまれる時、偶然ぐうぜん・万一の意となったことが知られる。このように、「おのずから」も自然も、一見、相反する二義を持っていた。特に「シゼンの事」が万一の最たる死そのものを意味することもあったことが注目される。
 どうしてこのような相反する二義を「おのずから」・自然がもつことになったかが問題であるが、人間にとって死のような不慮ふりょな事態も、あるいは偶然ぐうぜんと思われる事態も、高い次元に立つ時、成り行きとして当然のこととして受けとめられるという理解があったからではないかと思われる。高い次元に立つとは、宇宙的地平に立つことではないであろうか。宇宙的地平に立つ時には、人間に万一・偶然ぐうぜんとして受けとられる事態も、当然の成り行きと受けとられる事態と何ら変るものではなく、したがって一つの「おのずから」、一つの自然に統括とうかつしうると理解されたのではないだろうか。
 たとえば、世阿弥ぜあみわき能『養老』に次のようなことばがある。「それ行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。流れに浮ぶうか うたかたは、かつ消えかつ結んで、久しく澄めす る色とかや。」いうまでもなくこれは鴨長明かものちょうめいの『方丈ほうじょう記』冒頭ぼうとうの文をうけて、これをわば逆転させたものである。後半を長明は「淀みよど 浮ぶうか うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし」と仏教的な無常観を語っていた。しかし、同じ『方丈ほうじょう記』の「不知。生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」などとともに、ここには日本人のより一般いっぱん的な実存感覚が示されているのではないで
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あろうか。だが、ここでいたいのは、世阿弥ぜあみが、その実存感覚をつつみこえ、これを「久しく澄めす る色とかや」と無窮むきゅうの流れを謡っうた ていることである。うたかたの浮沈ふちんをつつみこえる無窮むきゅうの流れが語られている。それは人間の死をこえる宇宙の無窮むきゅうの生成を思うものであろう。「何方より来たりて、何方へか去る」も、『養老』においては、無窮むきゅうの生成から成り来たり、生成そのものへ帰することになるであろう。「おのずから」や自然の二義性も、このような事例によれば納得しうるであろう。
 宇宙を無窮むきゅうの生成とみるが故に、人間は万一の事態を、また死を「あきらめ」ることができた。「あきらめ」は、日本人の伝統的な死生観の最も根源をなすものであるが、それがこのように「おのずから」としての自然観によってはじめて可能であったことは注目される。ここにう「あきらめ」は、今日、日常的な場でわれる消極的なものではなく、それなりに精神的な緊張きんちょうの高い「あきらめ」である。武士が強調し、その行動性の精神的な心構えとした覚悟かくごも、この「あきらめ」をふまえたものである。
 「あきらめ」は、己れの願望、広くはこの世の生の肯定こうていをふくんでいる。肯定こうていしつつもなおそれを思い切るのがまさに「あきらめ」である。ところで日本人は、時に現実主義的な人間であるとわれる。しかしまた、日本人ほど生に恬淡てんたんであり死に親近感をもつものはないとわれる。この相い反するような二つの指摘してきも「おのずから」の生成という宇宙観をもってくることによって統一的に理解される。それは、この世の生は無窮むきゅうの生成より成り現われたものであり、この世の生に生きること自体が無窮むきゅうの生成の一齣ひとこまに生きることであったからである。ここから現実肯定こうてい的な姿勢が生れた。しかしまた、死は無窮むきゅうの生成そのものに帰することであり、生の終りを悲しみつつもなお「あきらめ」うるものであった。

(相良「「おのずから」としての自然」(一九八七年)による)
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