a 読解マラソン集 9番 家の中で飼っているイヌが、 tu3
 家の中で飼っか ているイヌが、自分の足で部屋のドアを開けるところをみたことがある人もいると思います。このときわたしたちは、そのイヌを「頭がいいなあ」と感心してしまいます。もちろん生まれつきそうするようにイヌののうのなかに組み込まく こ れていたわけではなく、おそらくご主人様のすることをみて学習したのでしょう。いずれにしても、何かの課題かだいに対する動物の行動が、ヒトのとる行動と同じであったとき、わたしたちはその行動を「賢いかしこ 」と思います。
 イルカについてみてみましょう。これまでおこなわれてきた種々しゅじゅ認知にんちかんする研究では、イルカの示ししめ た行動や、結果けっか内容ないようそのものにヒトやチンパンジーと共通きょうつうした点が多くみられています。言語に関しかん た研究では、イルカが、人間の文法ぶんぽうをある程度ていど理解りかいできることがわかりました。また、イルカの社会生活を観察かんさつしてみると、そこにはヒトと同様の高い社会せいを見いだすことができました。
 しかし、「だからイルカは『賢いかしこ 』」と断言だんげんするのは危険きけんです。よく考えてみると、イルカの知能ちのう程度ていどを知ろうとしたはずのこれらの実験じっけん観察かんさつは、実は、ある課題かだい状況じょうきょうに対する対処たいしょのしかたが、いかにヒトのやり方に近いかを測っはか ているに過ぎす ないのです。
 動物の知能ちのう序列じょれつをつけた研究は少なくありませんが、いずれの場合も必ずかなら ヒトが第一になるような基準きじゅんになっています。ハトやラット、あるいはチンパンジーやイルカが、ヒトより「頭がよい」ではいけないのです。しかし、実際じっさいにはどうでしょうか。
 動物の行動や生活はじつにさまざまで、空を飛び回ると まわ 種類しゅるいもあれば、地中を自由に動き回るものもいます。また、昼に活発に活動するものもあれば、夜しか行動しない動物もいます。このように、動物はそれぞれ異なっこと  生態せいたいをもっているわけで、したがって、その動物にはその動物にあった環境かんきょうへの適応てきおうの仕方があるのです。そんなそれぞれ異なること  動物間で、知能ちのう比較ひかくすることなどできるのでしょうか。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 動物の知能ちのうについて考えるとき、わたしたちは自分たち人間に「できる・できない」、「ある・ない」で知能ちのう優劣ゆうれつ判断はんだんしてしまいがちです。イルカは、ちょう音波でものを探り当てるさぐ あ  ことができます。もちろんヒトはそんなことはできません。しかし、そういったヒトにはできないことがあると、どうしてもそれだけが強調されて、「イルカは人間を超えこ 知能ちのう能力のうりょくをもっている」という話になってしまいます。また、イルカがパズルのような課題かだいをどうしても解くと ことができないと、わたしたちは、「イルカはその問題についての処理しょり能力のうりょく劣っおと ている」と考えます。
 けれども、イルカにしてみれば、そんなパズルが解けると  かどうかより、真っ暗な海のなかでいかにしてえさをとるかのほうがはるかに重要じゅうようです。要するによう   、イルカにはイルカの「生き方」があり、その生き方に応じおう 必要ひつような「知恵ちえのめぐらせ方」があるわけですから、「かしこさ」あるいは「知能ちのう」とは、自分の必要ひつよう度に応じおう て、いかに環境かんきょうやその場の状況じょうきょう的確てきかく対処たいしょ適応てきおうしているかということなのです。もちろん、そういった適応てきおうのしかたは、ヒトとは全然ぜんぜん違っちが ているはずです。ヒトにとって大切な能力のうりょくだからといって、イルカにしてみればあってもなくてもどちらでもいいようなことで、知能ちのう優劣ゆうれつ測らはか れたのでは、さぞかしイルカも無念むねんでしょう。
 動物間で知能ちのう比較ひかくするということは、眼科がんかのお医者さんと皮膚ひふ科のお医者さんとで腕前うでまえ比べるくら  ようなものです。知能ちのうを表すのにすべての動物に共通きょうつうした基準きじゅんなどありません。イルカなりの基準きじゅんで、彼らかれ 知能ちのう程度ていどについて考えてみてください。

(村上つかさ笠松かさまつ不二男ふじお「ここまでわかったイルカとクジラ」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 10番 ある辞書で tu3
 ある辞書じしょで「かかし」というところをひいたら、ほんもののかかしの意味のつぎに「見かけだおし」と書いてありました。かかしが、役にたちそうに見えて、さっぱりききめがないことから、そんなたとえがうまれたのだろうと思われます。(中略ちゅうりゃく
 ところで、たいていのかかしは、人のすがたに似せに てあります。スズメは、それを、ほんものの人間とまちがえて、おどろいたり、おそれたりするでしょうか。
 そういうことは、まず、ありません。いままで、なにもなかったところに、見なれないものが立った――ということで、ちょっとのあいだ、用心するだけです。
 渋谷しぶや直衛なおえさんという人が、あるとき、こんな実験じっけんをやってみました。「たんぼに糸(白糸と赤糸)をはる。」、「やっこだこ(白いものと、赤いもの)を立てる。」、「なわをはる。」、「人形を立てる。」この四つを、つぎつぎにやってみて、そのききめをためしたのです。
 さあ、どんな結果けっかが出たと思います? スズメがおそれたのは「糸はり」、「やっこだこ」、「なわはり」、「人形」のじゅんでした。つまり人形は、もっともききめがうすかったのです。
 それでは、なぜ、人間のすがたをしたかかしを、むかしから、たんぼに立てるのでしょうか。
 遠いむかし、かかしは、いまのような、スズメおどしの役につかわれたのではない――といっている学者もあります。(中略ちゅうりゃく
 むかしの人は、いろいろな願いごとねが   を、神さまにたのむことが多かったようです。大きなお宮やお寺におまいりするほか、道ばたの野ぼとけや、おじぞうさまにも、ちょっとした願いねが をかなえてくれるようにと、おいのりしました。
 それと同じく、かかしにも一種いっしゅの神さまのような資格しかく神格しんかくといいます)をあたえて、
「かかしさま、そういう、みの、かさつけたかっこうで、雨をよび、いつも、田に水をたたえておいてください。」
願っねが たものだろう――というのです。つまり、雨ごいの目的もくてきだったというわけです。時代とともに、だんだん、かかしのねうちがさがって、のちには、ただのおまじないとして立てておくだけになったのでしょう。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 これを「鳥おどし」としてつかうようになったのは、むかし、備中国びちゅうのくちにいた玄賓げんぴんという、えらいぼうさんだったとつたえられています。つまり、「鳥おどし」の目的もくてきは、あとからつけくわえられたものだというわけです。
 しかし、かかしのなかには、みの、かさをつけたものばかりではありません。農家で仕事のときに着るのら着や、古くなって着られなくなったボロ着物をつけ、手ぬぐいをかぶっているものなども、たくさんあります。
 これは、どういうわけでしょうか。それについては、こんな意見があります。
「着ふるした着物や、かぶりつけた手ぬぐいなどには、人間のにおいがしみついている。それらをかかしにつけて、田畑に立てておくと、夜、作物をあらしにきたイノシシやシカを、追いはらうことができる。
 それらのけものたちは、とても鼻がよくきくので、人間のにおいをおそれて、いちはやく逃げに ていく。人間の着物をきたかかしは、そんな目的もくてきで作られはじめたのだ。」
 なるほど、人間のにおいが、雨や風にうたれて、うすくならないあいだは、いくらか、ききめがあるかもしれません。
 そうだとすれば、もともと、けものを相手に作られたかかしが、同時に、スズメおどしの役に、つかわれたのかもしれないのです。
 しかし、けものの住む山から、ずっとはなれた土地のたんぼでも、かかしを立てます。これには、まえの考えかたは、あてはまりません。
 すると、「雨ごいのかかし」にたような意味で、かかしに、神格しんかくをあたえ、「スズメを追ってください。」という、いのりをこめて、たんぼに立てた時代も、あったのかもしれません。
 人間というものは、一度一つのしきたりができると、それを、ずっと守りつづけるくせがあります。むかしの人は、ことにそうでした。
 たとえ、たいして役にたたないことでも、祖父そふがやったから、父もやったから――というので、何代もつづけたものです。かかしも、そのひとつでしょう。

(小林清之介きよのすけ新編しんぺん スズメの四季しき」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 11番 近ごろ、わたしたちは tu3
 近ごろ、わたしたちは地面を歩くことが少なくなりました。道が、コンクリートやアスファルトでおおわれたからです。
 あそび場の原っぱも少なくなりました。工場や家が建てた られてしまったのです。林や空き地が切り開かれ、土はかぎられた所にしか見られなくなっています。こんなことでは、夏の暑さは、ますますきびしくなってしまうのではないでしょうか。わたしは、それが心配です。
 林のそばはすずしく、アスファルトの上は暑い。わたしは、それはどうしてかという疑問ぎもんを、ひとつひとつ解決かいけつしてきました。
 林の木は、土とともに気温の上昇じょうしょうをやわらげてくれていました。水の蒸発じょうはつという現象げんしょうや、植物の蒸散じょうさんという活動を通じて、地表近くで、ものすごいりょう熱量ねつりょうのやりとりが行われていたのです。
 また植物は、二酸化炭素にさんかたんそ光合成こうごうせいによって、自分の体にたくわえるはたらきをしています。
 今、地球の温暖おんだん化が世界てきに大きな問題となっています。わたしたちの石油・石炭の使いすぎによって、空気中の二酸化炭素にさんかたんそりょうがふえているためです。
 目に見えないけれど、植物は光合成こうごうせいにより、地球の温暖おんだん化のいきおいをもおさえる役目もしているのです。
 また、水田のそばがすずしいのも、水面からの水の蒸発じょうはつがあるからであるということも、これまでの実験じっけんから理解りかいすることができました。
 日本の美しいけしきを代表する水田が、一日あたりやく五ミリメートルの蒸発散じょうはっさんを行い、気温をやわらげる作用を行っていることをもわすれてはなりません。
 また、わたしは夏の暑さについて考えてきましたが、冬の寒さに、土が関係かんけいしていることもつけくわえておきます。
 それは、土に保たたも れている水が、あたたまりやすく、さめにくいという性質せいしつをもっているために、昼間あたためられた土の中の水が、夜間、外の空気が冷えひ きってしまってもさめにくいので、ねつを空気中にはきだすのです。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 さらに、土の中の水が冷えひ て氷になるときも、ねつをはきだします。ですから、土は地球全体が冷えひ すぎないような役目をしてくれているといえるのです。
 土や植物は、わたしたちにとっては、すごしやすい気温の状態じょうたい保ったも てくれている、エアコンのようなはたらきをしているといえるでしょう。
 身のまわりにある、ごくあたりまえの林と土。わたしは、あらためてそのはたらきがわかり、林や土をたいせつにしなければならないと思うようになりました。

塚本つかもと明美「土は地球のエアコンだ」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534 
 
a 読解マラソン集 12番 Kがのぼれるかぎりの tu3
 Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう水夫すいふたちの声がしだいに近づいてきた。
 Kはえだのしげみに、身体をかくすようにして彼らかれ の声に注意を配っていた。
 水夫すいふたちが、家の前にあらわれた。
 水夫すいふたちは、声高にしゃべりあっていた。
 ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で仲間なかま告げつ ていた。
 水夫すいふたちは雨戸をたたいたり、交互こうごに入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
 Kはそれを見て、彼らかれ が悪者でないことを心に感じとった。
 家の中から、何の返事もないので、水夫すいふたちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
 水夫すいふ一群いちぐんの中で、いちばん最後さいごに、入口をのぞいた男が榕樹ようじゅの下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズックせいのからバケツをさげていた。ほかの水夫すいふたちより少し年をとった白人であった。かれはズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけたむねや、うであせをふいた。オールのように太いうでは日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この水夫すいふ榕樹ようじゅのかげで少し涼んすず でいくつもりらしかった。
 あんのじょう、かれ煙草たばこをとりだして火をつけた。
 Kは息をのんで、見つめていた。
 男は、煙草たばこをうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、榕樹ようじゅ眺めなが まわした。
 Kがあわてたしゅんかん、持っていたえだがゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
 Kと西洋人の水夫すいふは、視線しせんをあわせてしまっていた。
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

 水夫すいふは、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい笑いわら 浮かべう  ていた。
 Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
 おりている途中とちゅう、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
 Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。うでには金色の毛が生えている。
 男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
 Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
 Kは、バケツを持って井戸いどばたへ案内あんないした。
 その男は、大声を出して仲間なかま呼びよ 集めた。水夫すいふたちは騒ぎさわ ながら、ひきかえしてきた。彼らかれ は、大げさすぎるほどの表情ひょうじょう喜びよろこ の気持ちをあらわしていた。
 Kがつるべで水をくもうとすると、水夫すいふたちは、いっしょに手伝ってつだ て、勢いいきお よくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を満たしみ  てひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった水夫すいふ握手あくしゅした。
 エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から姿すがたを消した。
 Kは最初さいしょの夕方、エビア号を見て以来いらい、美しい帆船はんせん姿すがたを二度と忘れるわす  ことはできなかった。

庄野しょうの英二えいじ「白い帆船はんせん」)
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534