学校で先生は「あなたの意見は?」というでしょう。お化粧ひとつにしても、洋服ひとつにしても、流行を追うのはおろかですよ、自分にあったお化粧をしなさい、自分にあった服を着なさい、自分がたいせつですよと先生はいうでしょう。
しかし会社にでると、みんな自分というものを中心にするのではなしに、会社に、みんなに、あわせようという具合になるのがふつうです。
だが、このような事なかれ主義、個性のなさだけでよいでしょうか。世の中を良くしようとする人は、しばしば異端の考えの持ち主の中から生まれるのではないでしょうか。一例をあげましょう。
アメリカの自動車会社、GMの小型車コルベアは、しばしば事故をおこしました。車が高速でまがるとき、うしろが浮きあがり、まがりきらず事故をおこすのです。やがて、この車には設計上のまちがいがあり、その原因は、少しでも安くしようとして材料を節約した点に問題があることが指摘されました。このことは、この車をつくっている人、したがってこの車をよく知っている従業員の指摘によって明らかになったのです。もしこうした指摘がおくれたら、さらに多くの人が事故にあったでしょう。だが、こうした指摘が従業員からでないような会社だったらどうなるでしょう。
日本では、おなじようなことをいった従業員に、「そんなことをいうのは会社を批判することで、われわれの敵だ」という目が会社の中から生まれ、現に、自動車会社にいられなくなったすぐれた技術者がいます。
会社のためよりもっと重要なことがあったとき、会社第一と考え、ほんとうのことをいわず、かくしやすい――こうしたゆがみが日本の会社にはないでしょうか。
このような日本的な社会の中にいる人間は、それに合うようなことばを使います。みなさんの使っている日本語と、学校でならう英語とをくらべてごらんなさい。英語は文章のいちばんはじめに、なにがきますか。主語がきます。「私が」とか「あなたが」というのがきます。なにかをするその責任の所在は、まず「?」なり「Y
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