ご近所へ引っ越してこられた奥さんがご挨拶にお見えになった。
「……この辺の様子がわかりませんので、なにかとお願いいたします。家族は五人なんですの。中学生の娘と小学校、幼稚園の男の子がおりますので、おやかましいことがあるかもしれませんが……ゴミはお宅の横へ出させていただくうえ、ご迷惑でしょうが、どうぞよろしく……」
三十五、六だろうか。明るい笑顔で、しっとりした優しい言葉が、なんともさわやかであった。
その日一日、私は晴れ晴れしていた。若い奥さんから、こんな行き届いたご挨拶をきいたのは久しぶりだった。広い東京で、なにかのご縁があって、お互い近くに住んでいるのに、チラと眼があったりしても、間が悪そうに顔をそむけて、ほとんどものを言わない人が多く、下町育ちの私は最近なんとなく侘しい思いをしていたからである。挨拶は潤滑油である。(お早よう)(今晩は)とひと事をかけあうことが、お互いの気持ちのきしみをとかしてくれる。(お暑いですね)(お寒うございます)など、ゆきずりのなんということもない言葉が世知辛い毎日の暮らしの中では、やさしいいたわりのように聞こえたりする。
「俺は口べただから……」
古くからの私の知り合いで、ひどくもの言わずの人がいる。働きもので正直で、親切だという人柄は、長いつきあいでよく知ってはいるのだが、そのムッツリした無愛想さに、つい、こちらのほうが気をつかう。機械相手の職業だから、なんとかやっているけれど、初対面の人たちからは、よく誤解されていた。
ある日、めずらしく重い口を開いて、五歳になった娘をどういうふうに育てたらいいだろうか、と相談にきた。四十近くになってやっとさずかったその女の子を、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
「そうね……とにかく他人さまにご挨拶が出来るように、今からしつけることね。小さいときからそういうふうにしこまないと、大人
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