学生さんが引き取ってほしい、と小説を二十冊ほど運んできた。全部、一人の作家の著作。現在活躍中の若い著者で、残念ながら古書価はつかない。大事にしなさい、とおひきとり願った。大事にせよ、は古本屋のお断り辞令である。だが学生には通用しない。若者に人気のある作家だから確実に売れる、と演説を始めた。ひいきにする著者ゆえ無理もない。しかし商売は別だ。
何度も固辞したが、無料でよいから棚に並べてほしい、と哀願する。敬愛する作家がかわいそうだ、と泣き言を言い出した。まさかタダでもらうわけにはいかない、なにがしを払って引き取った。わずらわしくなったのである。こっそり捨てればよい、という腹だった。
ところが翌日やってきて、売れましたか? と聞く。彼は自分の旧蔵書が棚に並べられていない不当をなじりだした。買えば当方の勝手だ、と私は抗弁した。いや本の場合は別だ、客がゆだねたのであって、古本屋は売らねばならぬ使命がある、とご託を並べ始めた。
古本屋に作家の作品を殺す権利はない、と気色ばんだ。うるさくてかなわないので、棚の一隅に全部陳列した。学生はこれを見て満足して帰った。
どうせ売れるわけがないのである。古本屋の評価は根拠があいまいとは言うものの、食いぶちに即はね返るので勘の働きは鋭いのだ。
一カ月たった。案の定、一冊も売れない。手に取る客もいない。ほおれ見たことか、と私は思わず手を打ったが、喜んでいる場合じゃない。勤労奉仕ではないのである。学生がやってきて、まだ売れませんか、とあきれている。ご主人が販売に不熱心だからだ、と八つ当たりするので一喝した。あやうく作家の悪口を言いそうになった。そんなに気がもめるなら、いっそ君が引き取れ、とふてくされると、そうしますと素直に応じた。
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