a 読解マラソン集 5番 父の会社が mi3
 父の会社が二度目の不渡りふわた を出したあと、父は家族にも行方を告げずにどこかへ姿をくらましてしまい、残された家族は散り散りに居を移した。成人してすでに勤めていた兄と姉は、それぞれ独立してやがて結婚けっこんした。が、まだ高校に入学したばかりだった英明は母と一緒いっしょに小さなアパートを借りることになった。
 ふたりきりの住まいには充分じゅうぶんな部屋ではあったが、どうにも処置に困ったのは以前の大きな家にあったもろもろの家財道具だった。
 父の会社もいっときは勢いの良かったころがあったから、大きなベッドや大量の衣類、さまざまな調度品、母の趣味しゅみあつめていた高価な絵、あらかたは処分したつもりだったのに、まだまだたくさんの物が英明たちの手もとに残されていた。けれど住まいが狭くせま なると、家具類はおろかレコードや本の類までもが、邪魔じゃま厄介やっかいなものに感じられるのだった。英明ははじめて、家という「いれもの」がなければいくら高価な物でも何の役にも立たないということを知った。
 幸い知人の厚意をけることができて、母は空き倉庫を安く借りてきた。英明と母はその倉庫のそばのアパートを借り、もろもろの物を倉庫に収めさせてもらった。そうしておいてもどうなるものでもないが、母にしてみればいつかまた役立つときが来るかも知れないという、はかない願いのような気持ちがあったから、残った家財道具を始末せずに保存しておく気になったのだろう。
 その倉庫から火が出たのは、英明が高校一年の年の冬だった。
 家事の原因は、近所の子どもたちが割れた窓から倉庫にしのびこみ、中で火遊びをしたことらしかった。火はもの凄い  すご 勢いで燃えさかり、倉庫は全焼した。
 未だに英明はその晩のことを思い出すと、ほお焦がすこ  火の熱気をそのまま感じるような気がする。消防車のサイレンに気付いて何気なく表を見たとき、頭の中は驚きおどろ のあまり真っ白になって、英明は一瞬いっしゅん考える能力を失った。
 母とふたりですぐに駆けつけか   たが、すでにもうなす術はなかった。英明と母はだらりとあごを下げて、かつて自分たちの身近にあっ
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たさまざまのものを火が焼き尽くすつ  のを見ていた。
 ――あらあ……。
 そのとき、隣りとな に立っていた母はぼんやりと呟いつぶや た。まるで他人ごとのような口ぶりだった。
 振り返っふ かえ た英明が見た母の横顔はほのおに照らされてオレンジ色に染まり、見開いたひとみにもやはりオレンジ色のほのおしか映っていなかった。たぶん母は、そのとき何も考えていなかったろうと英明は思う。
 そのときの母子は、泣き叫んな さけ わめき散らしてもいい立場だった。しかし英明も母も、たましい抜かぬ れたように呆然とぼうぜん 突っつ 立ったまま、何もせず何も言わずただただ燃える火を見ていた。
 あのときほど母が自分に近いところにいたことは、後にも先にもなかった。母も英明も、その一年足らずのあいだにとても安らかとはいえぬ時間を過ごして来ていて、そうしてひどく疲れつか ていた。自分たちには手の負えない勢いで燃えさかるほのおに対して、怒っおこ たり悲しんだりする気力さえなかったのかも知れない。

鷺沢さぎさわめぐむ朽ちるく  町』)
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a 読解マラソン集 6番 〔「わたし」はサワンという mi3
〔「わたし」はサワンというがんを飼っている。ある夜、サワンは屋根に登り、空を飛ぶ三羽のがんと鳴きかわしていた。〕
 わたしはサワンが逃げ出すに だ のを心配して、かれの鳴き声に言葉をさしはさみました。
「サワン! 屋根から降りてこい!」
 サワンの態度はいつもとちがい、かれはわたしの言いつけを無視して、三羽のがんに鳴きすがるばかりです。わたしは口笛を吹いふ て呼んでみたり、両手で手招きしたりしていましたが、ついにたまらなくなって、棒ぎれで庭木の枝をたたいてどならなければならなくなりました。
「サワン! おまえはそんな高いところへ登って、危険だよ。早く降りてこい。こら、おまえどうしても降りてこないのか!」
 けれどサワンは、三羽の僚友りょうゆうたちの姿と鳴き声がまったく消え去ってしまうまで、屋根の頂上から降りようとはしなかったのです。もしこのときのサワンのありさまをながめた人があったならば、おそらく次のような場面を心に描くえが ことができるでしょう。
 ――遠い離れ島はな じま漂流ひょうりゅうした老人の哲学てつがく者が、十年ぶりにようやくおきを通りすがった船を見つけたときの有様――を人々は屋根の上のサワンの姿に見ることができたでしょう。
 サワンがふたたび屋根などに飛び上がらないようにするためには、かれの足をひもで結んで、ひもの一端いったんを柱にくくりつけておかなければならないはずでした。けれどわたしはそういう手荒てあらなことを遠慮えんりょしました。かれに対する私の愛着を裏切って、かれが遠いところに逃げに 去ろうとはまるで信じられなかったからです。わたしはかれのつばさの羽を、それ以上に短くすれば傷つくほど短く切っていたのです。あまりかれを苛酷かこく取り扱うと あつか ことをわたしは好みませんでした。
 ただわたしは翌日になってから、サワンをしかりつけただけでした。
「サワン! おまえ、逃げに たりなんかしないだろうね。そんな薄情はくじょうなことはよしてくれ」
 わたしはサワンに、かれが三日かかっても食べきれないほどの多量のえさを与えあた ました。
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 サワンは、屋根に登って必ずかんだかい声で鳴く習慣を覚えました。それは月の明るい夜にかぎられていました。そういうとき、わたしは机にひじをついたまま、または夜ふけの寝床ねどこの中で、サワンの鳴き声に答えるところの夜空を行くがんの声に耳を傾けるかたむ  のでありました。その声というのは、よほど注意しなければ聞くことができないほど、そんなにかすかながんの遠音です。それは聞きようによっては、夜ふけそれ自体が孤独こどくのためにうち負かされてもらす嘆息たんそくかとも思われ、もしそうだとすればサワンは夜ふけの嘆息たんそくと話をしていたわけでありましょう。
 その夜は、サワンがいつもよりさらにかんだかく鳴きました。ほとんど号泣に近かったくらいです。けれどわたしは、かれが屋根に登ったときにかぎってわたしのいいつけを守らないことを知っていたので、外に出てみようとはしませんでした。机の前にすわってみたり、早くかれの鳴き声がやんでくれればいいと願ったり、あすからはかれの羽を切らないことにして、出発の自由を与えあた てやらなくてはなるまいなどと考えたりしていたのです。そうしてわたしは寝床ねどこにはいってからも、たとえばものすごい風雨の音を聞くまいとする幼児が眠るねむ ときのように、ふとんを額のところまでかぶって眠ろねむ うと努力しました。それゆえ、サワンの号泣はもはや聞こえなくなりましたが、サワンが屋根の頂上に立って空を仰いあお で鳴いている姿は、わたしの心の中から消え去ろうとはしませんでした。そこでわたしの想像の中に現れたサワンもかんだかく泣き叫んな さけ で、実際にわたしを困らせてしまったのでありました。

井伏いぶせ鱒二ますじ『屋根の上のサワン』)
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a 読解マラソン集 7番 この数年、おりおりに mi3
 この数年、おりおりに森を歩いている。
 日本列島で森といえば山のことだが、私のは登山ではなくて森あるきだ。頂上をめざしてひたすら登るという年齢ねんれいではなく、そんな体力もないのだが、山のすそや中腹の森をゆっくり歩いていると気が休まり心が満ちてくる。
 谷川の石河原で寝そべっね   てみたら若葉のざわめきと水の音と鳥の声につつまれている心地よさに、半日を過ごしてしまい、日暮れどきになってそのまま帰って来たこともある。紅葉のブナの森を歩いていたら、その前から立ち去りがたい大きな木があちらにもこちらにもあって、そのときも気がつくと半日が過ぎていた。その日予定していた別の森には行かずじまいだった。なにも数多くの森をせっせと歩きまわることはない。訪ねた森の数や歩いた距離きょりをだれかと競うわけではないのだから、森の豊かな時間のなかに身を置いて、森の大きないのちの鼓動こどうを静かに聴きき つづける。時を忘れさせる森では足はおのずとゆっくりになり、しばしば立ちどまってしまう。
 そういう森で見かけるのが、倒木とうぼくだ。三人がかえ四人がかえという大きな木が倒れたお ている。何百年かを生きてきて、半ば朽ちく て立っていた木が、ある日強い風に倒さたお れたのだろう。太い幹の途中とちゅうから折れて上部が地上に横たわっている。倒れたお たときの衝撃しょうげきでいくつかに分かれて縦に並んでいる倒木とうぼくもある。
 古くなった倒木とうぼくにはこけが生えている。倒木とうぼくの割れ目にたまった土に若木が育っていたりする。倒れたお た木そのものがもう半ば土のようになって、そこに育った木が倒木とうぼく同様に太くなり、倒木とうぼくをかかえて天にそびえているものも見かける。森はそういう生と死をはらんで大きないのちを生きつづけている。
 私の知るかぎり、時を忘れさせるほどに豊かな森は、倒木とうぼくのある森だ。人工林には倒木とうぼくがない。伐採ばっさいされて搬出はんしゅつを待っている木が寝かさね  れているだけで、自然の倒木とうぼくが次の世代の木を育てているということはない。日本庭園にも倒木とうぼくを見かけることはまれである。自然の森を模してあり、半ばは自然の森になっている庭園もあるのだが、ほんとうの森とちがうのはそこに倒木とうぼくのないことだ。若木を
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育てたり虫たちが巣くっている倒木とうぼくがない。まして、公園には倒木とうぼくがない。台風で倒れるたお  こともあるだろうが、何日かしたらクレーン車などがやって来て取り除いてゆくだろう。人工林にも日本庭園にも公園にも、自然の森に流れているあの豊かな時間はない。
 ある森で、三人がかえでは足りないほどの大きなブナの木が、上半分が折れ倒れたお て、下半分ばかりが立ち枯れか ているのに出会った。立っている幹は大きく割れていた。近づいてみると割れ目の上下に黒く焦げこ た線が走っていた。落雷らくらいでやられたのだろう。巨木きょぼくのこういう死もあるのだなと思いながら太い幹の裏にまわってみると、おどろいたことに一本の太枝が張り出して豊かな葉を茂らしげ せていた。
 生と死がさまざまなかたちを見せているのが、森というものだ。生と死を精妙せいみょうに織りなして、森という大きないのちが息づいている。

(高田ひろしの文章より)
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a 読解マラソン集 8番 その少年はまるまると mi3
 その少年はまるまると太っていて、いつも腕白わんぱくであった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
 といた。小さいころから「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽちや    の私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎あまがさき引っ越しひ こ てきて一カ月ばかりたったころ、私が小学校五年生のときである。
寝るね 前に、たこ焼きを食べるんや」
 少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎかせ でたこ焼きを買うのだと、だれにも内緒ないしょにしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎかせ 出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
ぼくも夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
 私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲けもう て、お父ちゃんにもおごってや」
 と許してくれた。
 当時、阪神はんしん電車の尼崎あまがさき駅周辺には、小さい屋台や小料理店がのきを並べ、ならず者たちが凍てつくい   露地ろじのあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇こわきに、飲み屋のノレンをくぐっていった。
 だれも夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらいよ    突き飛ばさつ と  れたり、しり蹴らけ れたりもした。寒風の吹きすさぶふ    大通りから、はだか電球のともる薄暗いうすぐら 露地ろじもぐり込み   こ 一軒いっけん一軒いっけん新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更けよふ まで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。
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「きょうは調子が悪いなァ……」
 と少年が立ち停まった。
「……ぼく、もう帰らんと怒らおこ れる」
 その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
ぼくはもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い露地ろじへと消えて行った。私は体中が凍えこご ていた。夜道を震えふる ながら帰った。家に入ろうとしたとき、誰かだれ の歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳をてのひらで包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように呟いつぶや た。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が違うちが んやでェ」
 それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、尼崎あまがさき歓楽街かんらくがいで新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっとけていてくれたことを聞いたのであった。
 いまでもときおり、場末の歓楽街かんらくがいを歩いているときなど、露地ろじのくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる幻想げんそうにかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、物陰ものかげからじっと私を見ているような気もするのである。

(宮本てる『夕刊とたこ焼』)
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