私は、懐中時計を打紐でズボンのベルト通しに結わえつけておくのが習慣になっていたが、どういう弾みか紐が切れているのに気が付かず、時計を道路に落とした。時計に対してこのような無作法をしたことはほとんどなかった。若いころに、ズボンの隠しに入れたまま鉄棒に飛びつき、尻上がりをしてガラスを割った記憶はあるが、多分それ以来の失敗であった。
何度も振って耳にあててみたが鼓動は止まったままだった。その日宿へ戻る時にその時計屋へ持っていった。自分で落としておきながらこんなことを言うのは心苦しいけれどもなるべく急いで修繕を頼んだ。すると主人は裏側の蓋を開け、心棒が折れているのを確かめながら、急いでやるけれども、同じ心棒が手元にないので四日はもらいたいといった。心当たりの仲間の時計屋に連絡をして、そこにあればいいが……。
その時私は今向かいの宿屋に仮住まいをしていることを話すと、それは困るだろうと言って腕時計を貸してくれた。銀めっきが剥げて古いものだが、時間は正確だから、その間使ってくれと、遠慮する私に貸してくれたのだった。借り物の時計をなれない手首にはめて気になって仕方がなかったが、時計屋の好意が嬉しかったし、実際に大助かりだった。
今から三十数年前である。
小さい時計屋の店には、さまざまの形の掛け時計があったが、その幾つかは振り子が動いていた。それは売り物ではなく、一応修繕を終えてから調子を見ている預かり物であった。退院前に大事をとって様子を見られている回復期の連中であった。
その振り子の動き具合を見ていると、いかにもせっかちや、ゆったり構えているのやらいろいろいて、時計の性格がよく分かって面白かった。これらの時計と一緒に寝起きしている時計屋の主人が、それをどう感じているかちょっと尋ねてみたいような気持ちがあったのだが、別に親しくもなく、今店に来て話をしたばかりの人にそんなことを尋ねるうまい言葉も思いつかないままに黙っていた。
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