「もう海なんてすぐそこさ。フンドシ一つで走って行ける。」
と父は、何度目かの転勤でこれから行く南国の町について語ったことがある。
私は父の口調に照れくささもまじっていると思った。
その転勤は父にはどこか嬉しいかんじのするものだったろう。父は四十を越して脂ののりきった時期であった。家から褌のまま走って行けるという譬えが、息子には、どこかで本当と思えなくても、ただの上っ調子の誇張とはかんじられない。まぶしい、自信のようなものが伝わってきて、返事をし兼ねる思いで、
「はだかで?」
とびっくりした声を上げた。
「おお、かまわんさ。」
父は自分の冗談が通じたように笑った。息子はなんだかちょっぴりかなしくなった。
父はもともと冗談がうまく言えない性質だった。いや家では周りがそう決めていたのだ。私は、唐人の寝言とか、裏門から屁右衛門殿が、とかのふざけた言葉を父の口からきいたことはある。それはひびきがおかしいだけで父のユーモアでもなんでもなかった。ただそういう言葉に父の恬淡さへの努力が見出せた。母の方は関東育ちで父は関西育ちだが育ちがちがうとユーモアも食いちがうらしい。実際相手にされない諧謔ぐらいアホらしくみじめなものはない。私はなにも家族の笑いというのはお互いの人柄を尊重するところからうまれる、とは思っていない。むしろ逆かもしれないし、たいていの場合は、人格尊重にかかわりなく笑いは笑いとして、笑って過ごせるものだ。それがうまく行かないのは単に通じないからなのだ。私は、父にも、妻や子供を笑わせたいと思うことはあっただろうし、それなりの冗談や誇張や、落語の落ちのような会話も結構やりとりしていただろう、と考えるだけだ。
ともかく、褌一つで海まで走っていける、と言うのも、私を喜ばせようとして言ったもので、それを聞いて嬉しかった。家から裸で海辺に駆け出していけるのは、私には願ってもない生活だった。一足先に行ってきた父は、その町の生活に、自信をもっている
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