私はいろいろな植物の中で葱に強くひかれる。葱ぐらい身近で、優しくて、それでいてたくましいものを私は知らない。これは全く妥協がない。青と白と二つの色に徹して、いい加減な装飾などかえりみもしない。土中に入れば入るほど白に徹し、空に向かえば向かうほど青に徹する。どんなときでも独自の香に徹する。我が家の粗末な台所にあっても葱は葱だし、豪華な卓上の料理にあっても葱は葱以外のものではない。
これは何でもないようでいて実に鋭い。無数の葱の穂先が空に向くと、すばらしい鋼鉄のような威厳を持つ。それでいて触れると一つ一つ実に柔らかなのである。葱の集まったところはまさに庶民の怒りである。
(加藤秀俊「暮らしの思想」)
昔から本所にはおいてけ堀という堀があって、魚を釣りに行ったりすると、堀の底で太い声で、「おいてけ、おいてけ」と声がするので、釣りに来た人は魚も釣り道具もなんでもおいていかないといけないのだそうです。いったいその声の主はどんなバケモノなのだろう、山椒魚みたいにひらべったい姿をしているのか、がまがえるのかっこうをしているのか、いろいろとコワイ妄想がひろがって行きました。縁日の夜店も、世田谷の田舎では見られない賑やかさで、しんるいの徳平おじさんはステテコ一枚ではげしくウチワで蚊を追いやると、たいていボクに三十銭くらいくれました。当時の三十銭は大金で、ボクも何から先に買おうか迷ったのです。
(谷内六郎「心のふるさと」)
折り紙は、一枚の紙さえあれば、糊やはさみを使わなくても、ただ折ってゆくだけでいろんな形のものがつくりあげられる。つまり、素材を全然傷つけずに、素材をそのまま使って生かせるのである。これは、およそ世の中に無意味なもの、無価値なものは存在しないと考える日本人の考え方に通ずるものであろうか。生きとし生
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