a 読解マラソン集 9番 かつて私は、 ri3
 かつて私は、ある作曲家に、作曲家が自分の名を冠するかん  ことのできる曲は、時代がくだるにつれて可能性がかぎられてゆき、やがて種切れになるのではないかと、質問したことがある。作曲家の答えは、まだまだ無限といってよい音やリズムの、組みあわせの可能性がある、ということであった。
 まもなく私は、音楽より絵の方が、種切れになりつつあるのではないかと思うようになった。特に、現代にさかんな公募こうぼ展という発表形式は、画家の自己主張の工夫と、みじめなあせりとの悪循環あくじゅんかんをあおっているように、私は思えてならなかった。「制作」と「売り絵」を描きえが 分けている人では、売り絵の方に、その人のもっている良いものが、かえって素直に出ていると思われることがある。
 数年前パリで、ジョルジオ・モランディの遺作展をみて深い感銘かんめいをうけてから、私はこうした種切れ論など、たいそう浅はかな見方にすぎないことを感じるようになった。このつつましい現代イタリアの絵かきは、それまでの何万何十万人の画家が描いえが てきたものにかれの独創をつけ加えようなどとは、決して考えなかったにちがいない。かれはただ透明とうめいな目と心の指示するままに、ものの色とか形とかから、不純なものを取り除いていったのであろう。その精進が、あれほど単純で、ありふれてさえみえる静物画や風景画に、あれほど大きくて深い力を与えあた ているのであろう。こうした精進によって、私たちの前にとりだされた色と形に向かって、絵画種切れ論など頭を垂れるほかはない。ジャン・フォートリエの作品のような、感性が、そのまま色の濃淡のうたん、時として絵の具のわずかなもりあがりになって流れ出ていると思われる絵にすら、私は「創造」よりは「発見」への努力の、謙虚けんきょ崇高すうこうさを感じずにはいられない。
 同じことは、学問についてもいえるかもしれない。真に深い洞察どうさつは、先人の業績におのれの独創をつけ加えてやろうとするかたをいからした精神からは決して生まれないようだ。それなら、宇宙の構成要素と、それらをつなぐ原理は、古来一定不変で、ただその組みあわせの変化の多様さや、動きの複雑さが、歴史の進行に新しい創造があるかのような錯覚さっかくを、人間に与えあた てきたといえるであろうか。そのことは、これから先も、おそらく人間に決してわかることがないだろう。
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 一番大きいものと、一番小さいものは何かという問いすら、永遠に答えられないことを自分でも承知していて、あいまいに、ある程度の時間だけ生きている人間にとって、かれが宇宙のなかで明らかにしえた既知きちの部分など、未知の部分にくらべて微々たるびび  ものでしかない。人間にとって、未知の部分は永遠に残るどころか、人間が既知きちの領域を骨折って拡大すればするだけ、それに外接する未知としてじかに感得できる領域も、ますます拡がってゆくことはたしかなのだから。
 人間の営みを扱うあつか 人文・社会科学と自然現象一般いっぱん扱うあつか 自然科学という、比較的ひかくてきあとの時代になって人間が問題とするようになった区別も断絶した対立ではなく連続した差異にすぎないことは、サバンナの中で考えていると全く自明のことのように思われてくる。どれほど精密な電子顕微鏡けんびきょうをのぞくのも、人間の目であり、あらゆる計算を可能にする数の体系を、ひとつの約束事として考察したのも人間である一方で、言語を頂点とする意思の伝達や、後天的に得られた知識や技能の同類への伝達は、決してホモ・サピエンスだけのものではない。
 人間は、自分たちだけが自然のなかにたまたま見つけたものは、したり顔に「発明」と呼び、他の動物のすることは、どんな精巧せいこうでも、あれは本能だという。自然の一部分である人間の自然のなかでの優位の主張は、人間の自然認識がある程度すすんだ段階で、人間が示したいくらか子供らしい拒絶きょぜつ反応であったように、私には思われる。人間が自然と連続した関係においてとらえられることが、ほかならぬ人間が考察し精密化した手段によって明らかになるにつれて、逆に人間は主体性とか価値ということに、ますます執着しゅうちゃくせざるをえなくなったのであろう。
 自由への道は、人間が自然に対して自分勝手に振るふ まうのではなく、自然と人間の関わりあいについての認識を拡げ、明白にする努力のうちに、少しずつ明らかになってゆくものなのかもしれない。

(川田順造『曠野こうやから』)
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a 読解マラソン集 10番 ある作家の全集を ri3
 ある作家の全集を読むのはひじょうにいいことだ。研究でもしようというのでなければ、そんなことは全くむだごとだと思われがちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」ということばがあるのだがこの言葉の深い意味を了解りょうかいするのには、全集を読むのがいちばんてっとり早い。しかも確実な方法なのである。一流の作家ならだれでもよい。好きな作家でよい。その人の全集を、日記や書簡の類に至るまで、すみからすみまで読んでみるのだ。
 そうすると、一流といわれる人物は、どんなに色々なことを考えていたかがわかる。かれの代表作などと呼ばれているものが、かれの考えていたどんなにたくさんの思想を犠牲ぎせいにした結果、生まれたものであるかが納得できる。単純に考えていたその作家の姿などは、この人にこんなことばがあったのか、こんな思想があったのかという驚きおどろ でめちゃめちゃになってしまうであろう。その作家の性格とか、個性とかいうものは、もはや表面のところに判然と見えるというようなものではなく、いよいよおくの方の深い小暗いところに、手探りで捜ささが ねばならぬもののように思われてくるだろう。ぼくは、理屈りくつを述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしているうちに、作者にめぐり会うのであって、だれかの紹介しょうかいなどによって相手を知るのではない。こうして、小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握っにぎ たというぐあいなわかり方をしてしまうと、その作家の傑作けっさくとか失敗作とかいうような区別も、別段たいした意味をもたなくなる、というより、ほんの片言隻句せっくにも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。これが、「文は人なり」ということばの真意だ。それは、文は目の前にあり、人はおくの方にいるという意味だ。書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるのは、相当な時間と努力とを必要とする。人間から出てきて文学となったものを、再びもとの人間に返すこと、読書の技術というものも、そこ以外にはない。もともと、出てくる時に、明らかな筋道を踏んふ できたわけではないのだから、もとに返す正確な方法があるわけではない。
 要するに読者は暗中模索あんちゅうもさくする。創った人を求めようとして、創った人の真似をするのだ。なるほど、作者という人間を知ろうとし
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て、その作家に関する伝記その他の研究を読んだり、その時代の歴史を調べたり、というような色々な方法があるが、それは、将棋しょうぎでいえば、定石のようなものだ。定石というものは、勝負の正確を期するために案出されたものには相違そういないが、実際には勝負の不正確さ曖昧あいまいさを、いよいよ鋭いするど 魅力みりょくあるものにするだけだ。人間は厳正な知力を傾けかたむ て、曖昧あいまいさのうちに遊ぶようにできている。

(小林秀雄ひでお『読書について』)
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a 読解マラソン集 11番 子供たちは、どこでも、 ri3
 子供たちは、どこでも、英雄えいゆう物語を与えあた られる。英雄えいゆうたちを、いわば自らを映す鏡として子供たちは育ってゆく。誘惑ゆうわくに負けそうになったとき、意気がくじけたとき、子供たちは英雄えいゆうの事績を思い出し、歯を食いしばって頑張るがんば のだ。少なくとも、発展途上とじょう国の友人たちの話を聞いていると、国家的英雄えいゆうこそが希望の星であり、それに向かって人々が日々の努力を重ねている、という社会的事実がひしひしとよくわかる。
 そうしたことを考えながら、日本の現実をながめてみると、私は一つの重大なことに気がつく。それは、現代の日本には、生き方のモデルになるような英雄えいゆうがあんまり見当たらない、ということだ。いや、そもそも、どう生きるか、についての教育があんまり行われていない、ということだ。
 まず教科書の中に、英雄えいゆう物語が少なくなった。皆無かいむとは言わない。いくつもの感動的な物語はある。しかし、たとえば、一時代昔にわれわれの世代が学んだような愛国的英雄えいゆうは、もはや今日の日本の教科書には見当たらない。偉大いだいな政治家や科学者の伝記がいくつかあるけれど、それらの過半数は外国人である。日本の国家とかかわりあう英雄えいゆうは、今日の子供たちの文化の中から姿を消してしまったようなのである。
 課外の読みものでも、英雄えいゆうの話はあんまり好まれていないようだ。児童図書の売り場には、たしかにキューリー夫人、リンカーンなど内外さまざまな偉人いじんの伝記がならんでいるけれども、必ずしもそれは人気のある書物ではない。子供たちは、マンガや探偵たんてい小説の方に手を伸ばすの  。伝記を買ってやっても、あんまり読む気にはなれないらしい。
 これは、日本の現代文学史を考えるにあたって、きわめて重大なことであるように私には思える。少なくとも、私が子供のころには、たくさんの伝記があり、それらの伝記を私たちは、次から次へと読んだ覚えがある。もちろん、伝記というのは一般いっぱん的に言って、子供にとって小説ほど面白くもないし、またマンガほどわかりやすいものでもない。しかし、私たちの時代には、たとえば少年講談といったような、面白い文学形式があった。ややもすれば平板になり
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がちな伝記を、子供向きの講談につくり換えか 、それを活字にした少年講談は、私たちの同世代人に、大げさに言えば、血湧きわ 踊るおど 経験を与えあた てくれたのである。豊臣秀吉ひでよし、西郷隆盛たかもり楠木くすのき正成……いろんな歴史上の人物の生き方は、一連の少年講談によって与えあた られた。レオナルド・ダ・ビンチ    だのも、私はこうして本で学んだ。もちろん、いくつかの人物の選び方や、描きえが 方は時代の産物であって、したがって、今日の基準から見ると、私が子供のころに読んだ伝記は不適切であったり、あるいは間違っまちが ていたりしただろう。しかし、これまで歴史上に生きた人々の人生を学ぶことによって、自分の人生を考える、という行動の仕方が、昔の子供文化にはあった。それが今は、かなりの程度まで失われてしまっている。
 そのことが悪いことだ、というのではない。時代が変わったのである。新しい時代の子供たちは、旧時代の人間とは違っちが た価値の中で、新しい生き方を発見してゆくのであろう。それは、それでよい。だが依然としていぜん   、私は少なからず気がかりなのである。お手本になるような人生のモデルが貧困な時代に、はたして、子供たちはどんなふうにして人生の意味と方向を学んでゆくことができるのだろうか。
 そのうえ、よしんば教科書的に、こう生きよう、という生き方のモデルが与えあた られたとしても、子供文化をとりまくマスコミは、あんまり崇高すうこうでない英雄えいゆうたちを次々につくり、それをばらまき続けている。子供マンガの主人公は、不良グループのリーダーであったり、あるいは暴力的な超人ちょうじんであったりする。それらの主人公の生き方をモデルにして、子供たちが悪い方向に引きずられる、などと即断そくだんすることは間違いまちが だけれども、現代の若い人たちにとって、生きてゆく方向性は相対的に弱くなっている。少なくとも混乱している。若い人たちが、しばしば「生きがい」の喪失そうしつをうんぬんするのも、私の見るところでは、このへんのところと深く関係しているようだ。生きたいように生きる、という思い上がりで、他人の人生から学ぶことを怠っおこた た世代は、結局のところ、人生の意味をつかむ手がかりを失ってしまったのである。
加藤かとう秀俊ひでとし『独学のすすめ』)
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a 読解マラソン集 12番 近ごろは、ロンドンにいる、 ri3
 近ごろは、ロンドンにいる、あるいはイギリスにいる日本人はかえって英語を使わなくなったのではないか。日本から同日に配達される日本経済新聞と朝日新聞を読み、衛星放送で日本のテレビを見る。そうすれば英語など使わなくていいのである。そういう考え方の人がふえているのではないだろうか。
 こういう生活をして、本人たちはたいへん気楽なつもりでいるが、イギリスの側からいわせると、こういう日本人はイギリスに来ていったい何をしているんだろう、となる。お金儲けかねもう 以外なにもしていないのではないか。イギリス人をわかろうともしないし、イギリス社会について知ろうともしないじゃないかと。
 こうして、イギリス人の胸の中にひそんでいる時間はしだいにふくらんでくることは間違いまちが ない。彼らかれ はこんなふうに思うのだ。――日本人はイギリスに来て、したい放題のことをしている。お金は使ってくれるし、企業きぎょうも進出してくれるかもしれないが、実際にやっていることはマナーもないし、イギリス人に敬意を払おはら うともしない。自分たちだけで好きなことをやって、ここがまるで自分たちの治外法権の場所みたいな顔をしている。いま若い日本人がますますそういう傾向けいこうになっていくとしたら、将来はかなり心配である。日英関係にかならず悪影響あくえいきょう及ぼすおよ  のではないか――。
 いうまでもないことだが、イギリスにいる日本人のすべて、日本のビジネスマンのすべてがそうだということではない。特に企業きぎょう人からも尊敬され、公の場所で意見もいうし、イギリス政府にたいしてアドバイスもする。
 こうした日本の企業きぎょう人とイギリス企業きぎょう人との大きな違いちが は、日本の企業きぎょうのトップは、ビジネスができるだけでなく、教養があるという点である。彼らかれ は文学や芸術のことも話せるし、実際、そういうことに興味をもっている。イギリスのビジネスマンは、サッチャーさんの高等教育拡大方針にもかかわらず、お金儲けかねもう はできるし、マネジメントの才もあるが、じつは教養や文化にかかわりのない人が多いのである。お金がたまったらそれを持って外国へ出ようとか、ホリデーをたっぷりとろうとかいうことばかり考えていて、自分の教養を深めるということはしないし、本を読むこともしない。
 そういうビジネスマンが多いイギリスで、日本のトップクラスのビジネスマンは、詩の本を読んでいるとか芸術のこともわかるとか、とてもすばらしいと思われている。もちろんイギリスにもそう
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いう人もいるが、マナーもすばらしいし、英語もきちんと話せる、いわば世界レベルの日本のビジネスマンがふえていることもまた確かなのである。
 そうしたトップクラスのビジネスマンと、日本からやってきたとたんに、日本にはお金があって、イギリスから習うものは何もないと、まるで植民地にでも来たように威張っいば てみせる若い人たちとの差がひじょうに拡大してきているのではないか。
 長いあいだイギリスにいて、日本企業きぎょうの地位を高めるのに努力してきた日本のトップクラスのビジネスマンの苦労は、日本が経済的に世界で大きな地位を占めるし  ようになってから生まれた若い人たちの軽はずみな言動やバカげた行為こういによって覆さくつがえ れてしまうのではないか――そんなことが危惧さきぐ れるようになってきたのが当節のイギリスなのである。

(マークス寿子ひさこ『大人の国イギリスと子どもの国日本』)
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