a 読解マラソン集 5番 食事を済まし ru3
 食事を済まし、支度ができたのは一時過ぎだった。K君には私の古洋服、古あみあげを貸し、私とH君とはゴムの長靴ながぐつをはいた。H君はパンの他にコーヒーを入れた大きな魔法まほうびんかたにかけた。雪の遠足、子供のころほどには勇みたてなかった。しかしまだまだ年にしてはこんなことを興ずる方だった。
 ぬまべりの田圃たんぼ路を行くと雪はもう解けかけ、くつの下でびちゃびちゃ音をたてた。苅りか 田の切り株に丸く残っていた。
 警察分署の横から町を横切り、踏切ふみきりの方へ行く。S大工の家の前には夏のころ所望したが譲らゆず なかった「合歓木ねむのき」がさびしい姿で立っていた。駅員相手に掛けか 茶屋のような事をしていたから、夏、その下に縁台えんだいを出す繁っしげ た木を取られては困るのだ。S大工がひげだらけの達磨だるま顔を当惑とうわくさしていたのを思い出した。
「夏になると、これがなかなかいいんだ。花もきれいだし」未練がましく、私は木を仰いあお で過ぎた。
 線路を越すこ と広々とした畑になる。この辺、まだ一面に雪が残っていた。うねなりに波打つ雪の表面から麦がところどころにその葉先を見せていた。
 やはりいい気持ちだった。私たちは立ち止まった。その時ふと十間ほどうしろにうちの子犬が来ている事に私は気がついた。子犬もそこで立ち止まっている。
「帰れ!」私は大声にいって追いかえそうとした。子犬はを垂れ、わきへ身を隠しかく た。
「歩けないかな」
「歩けない。富勢の植木屋へ回ると三里あるからね」
 とにかく、追いかえす事にする。雪をぶつけるとしりを丸くして逃げるに  が、少し行っては立ち止まり、またこっちを見ている。追えば追っただけ逃げに て同じ事だった。(中略)
「しかしそんなに馴れな ないくせについて来るのが変ですね」
「それが変だよ。そうなると、雪の中に置いてきぼりを食わすのも気持ちが悪いしね」
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「止まってると少し寒くなる」
 で、私たちは路へ出て、また歩き出した。そして間もなくそれが近道で、大きな松林の中へ入って行った。水気を含んふく だ雪が時々高い枝から音をたてて、落ちて来た。
 松林を出て細い路からいったん田圃たんぼ路へ降り、さらにダラダラ坂を登って私たちはある村落へ入った。村には飼い犬がいて、子犬は脅かさおびや  れ、よく見えなくなった。その度、私たちは後もどりをしてさがさねばならなかった。
 見つけて、「早く来い」こういうと、子犬はを下げたまま臆病おくびょうにその先を振るふ が、近づけば逃げに た。何者をも決して信じない子犬の態度はいくら子犬でも腹が立って来た。
「これじゃあ、夜になっても帰れないぜ。どこかでなわをもらってつないで行こう」
 私は農家で一間ほどのわらなわをもらって来た。しかし、村なかでなく、村を出はずれてから捕まえるつか   事にした。
「何くわぬ顔で先へ行ってくれないか」
 私は道ばたの木の中に身を隠しかく た。子犬が通り過ぎた所を挟撃きょうげきするつもりだった。だんだん遠ざかる二人の足音を聞きながら、私は今にも現われる子犬を待ったが、二人が一丁ほど行ってもまだ子犬は現われなかった。私はそっとのぞいて見た。子犬はそこに立っている。そして私の姿を見ると、すぐ逃げに た。
 私は子犬が農家の納屋へ逃げ込んに こ だ所をとうとうつかまえた。子犬は夢中になって、私の手にかみつこうとした。私は上顎うわあごと下あご一緒いっしょ握っにぎ て、あいた手でなわを首輪へ通した。それから犬のしりを五つ六つ平手で打ってやった。子犬は鳴き声もたてずに、食いつこうともがいた。癇癪かんしゃくからこっちも殺気立った。二本に短くなったなわでつる下げてやると、子犬は歯をむいたままふなのように空で跳ねは た。

(志賀直哉なおや「雪の遠足」)
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a 読解マラソン集 6番 米国で耳学問が ru3
 米国で耳学問が発達していることを示す例として、よくいわれることだが、米国人は日本人と違っちが て質問するすべがうまい、ということがあげられる。うまいのではなく、要するに、わからないことは何でも質問する習慣があるということにほかならない。
 わからないことは何でも質問するということで思い出すのは、コロンビア大学にいたころの私の教え子だ。
 その学生の姿を遠くから見かけたら、どんな教授でも避けさ て通るほど、会うたびに質問をする学生だった。大学内だけではなく、夜遅くおそ ても教授の自宅に電話をかけてきて、一時間余り質問攻めぜ にするという風に、それは徹底てっていしていた。(中略)
 この学生に典型的な例を見るように、米国では、質問して学ぶ、つまり耳から学ぶ「耳学問」が学問の一法としてまかり通っている。日本人はとかく「いい質問」と「くだらない質問」を分けたり、あるいは、本当は答えはわかっているのに自分の才能とか、発想とかをひけらかすために質問したりする傾向けいこうがあるようだが、米国人にはそれがない。いい質問とか、くだらない質問とかに頓着とんちゃくしないで、とにかくわからないことは何でも質問し、できれば質問することだけで学びつくしてやろうという姿勢が、米国人全般ぜんぱんにあるのだ。
 確かに一流大学の学生なら、この耳学問だけで、短期間にかなりのレベルまで学ぶことができる。例えば三、四百ページの本に書かれていることを学ぼうとしている時、学生は教授のところへ行って、「この本には何が書かれているのですか?」と、日本の大学では考えられないような質問をする。実に幼稚ようちで、おおざっぱな質問であるが、質問された教授はそれに対して懸命けんめいになって説明する。するとその説明に対してまた質問を浴びせ、それを何時間かにわたってくり返しているうちに、その本のエキスの大概たいがいを学生はつかんでしまうのだ。大部の書を十ページ読んで、わからなくて放棄ほうきするより、まるで目を通さずに質問したほうが、結果としては、格段にいいわけである。もちろん、こまかい点は読まなければならないが、大体のエキスあるいは骨格がつかめていれば、本に対する理解は早い。
 私はよく学生との間で経験していることなのだが、日本の学生の場合は質問する時に、「WHY」とか「HOW」という聞き方が非
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常に多い。いうまでもなく「WHY」というのは「なぜか」ということなのであるが、これは「真理」(truth)を尋ねたず ているわけである。これに対して米国の学生は「WHAT」という形の質問が非常に多い。「それはいったい何なのか」という聞き方をする。これは「事実」(fact)を聞いているわけである。
 要するに日本の学生のほうは、事実の背後にある真理を求めていると解釈かいしゃくできる。「WHY」と問うのは事実だけでは満足できないからだというのであれば、これはこれで立派なことだと思う。しかし真理などというのは、場合によっては情報がいつの間にか真理と錯覚さっかくすることもあり、事実も知らないくせに「真理」という言葉をふり回して自己満足に酔っよ ている場合もあり得る。一方、事実をはっきり知ることから出発しなければ危険だ、事実から真理を見抜くみぬ のは自分の仕事で他人に聞くものではないという態度もある。どちらがよいかという判断はつきかねるが、ともかく日本でそういう違いちが があることを知っておくのもよいだろう。
 ところで、こうした耳学問は、単に学問の上ばかりではなく、さまざまな局面で利用される。例えば日本のことを知りたがっている米国人は、日本について書かれた本を読むより、まず身近な日本人にどんどん質問するわけである。私も、周囲の米国人から逐一ちくいち日本のことを質問されたことがあった。質問されれば、答えなければならない。答えなければ、こちらも相手に向かって、それに似たことを質問できないからだ。答えるには、どうしたらいいか。日本とはどういう国か、日本人とはどのような性格をもった国民か、自分で考えたり本を読んだりして、学ばなければならないのである。教えるためには学ばなければならない。いいかえると、学ぶための方法の一つは、人に教えることにある、ともいえるのだ。
 それはともかく、こうした経験をくり返す中で、日本という国の見えない特性、日本人特有の生活感情や思考法などについて私が発見したことは、ずいぶんあった。国際化したこれからの社会では、この耳学問が大いに重要な意味をもっているに違いちが ない。

(広中平祐へいすけ「生きること学ぶこと」)
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a 読解マラソン集 7番 目が心の窓だという諺は ru3
 目が心の窓だということわざは、旅をする者には一番よくわかる。二十の紹介しょうかい状、五十の名刺めいしをくばってあるくよりも、さらにはるかに好都合なのは、自分の心の窓のすりガラスでないことと、田舎の心の窓の風通しのよいことである。よく旅から帰って、その地は人気がよいの悪いのという人も、その確信を証拠しょうこだてるまでに、多数の地方人と交渉こうしょうまたは取引をしたのではない。やはり口では言い現しえぬ目の交通が、しだいに空な感じと思われぬまでに、強くその印象を与えるあた  からである。電車や汽車の中でもいろいろな眼の光に接するが、それは主として草野を行くような変化の興味である。これに対して村里に入れば、その種類がほぼ揃っそろ ているために、いよいよ言語にかわる程度に、濃厚のうこうに人を動かすのである。
 窓のたとえをなおくり返すならば、旅人は別に所在もないために、終始この窓にもたれているのである。その窓前を多数の内部を知らぬ建物が動いていく。建物にはおのおのまた窓がある。のぞかずにおられぬではないか。またあちらでも窓の側に立っているらしい。もちろん中で喧嘩けんかをしたり昼寝ひるねをしたりしているのもずいぶんあるが、もともとこういう旅人を見るために開けておく窓だから、ちょっとでも利用しようとするのが普通ふつうである。全体に口の少ない社会だから、われわれが言語を傭いやと または耳を利用するような場合にも、人々は目の窓だけですまそうとする。したがって見るためよりも見られるために、語るあたわざることを語らんがために、田舎の目ははるかに有効に用立っているようである。都会の目は多くは疲れつか ている。こちらでは澄んす でおるから中の物もよく映るのであろう。民族性というほどのものではないであろう。
 小児には何十回となく、目をもって商売を問われ行く先を尋ねたず られ、または手に持つ本やタバコの名をきかれたが、別にそれ以外にそれよりも交渉こうしょう淡くあわ 、人間としてははるかに有力なる宣言を、今度の旅行にもこの目をもって二度聞いた。石巻から乗った自動車が、おかふもとの路を曲がって渡波わたのはの松林に走り着こうとする時、遠くに人と馬と荷車との一団が、斜めなな に横たわって休んでいると見た瞬間しゅんかんに、その馬が首を回して車を引いたまま横路に飛び込んと こ だ。小学校を出たばかりかと思う小さな馬方が、つなを手にしたままころ
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んだとみた時には、もうその車の後の輪が一つ、ちょうど腹の上を軋っきし て過ぎた。それでも子供はまっすぐに立って、三足ほど馬を追って振り返っふ かえ てちょっとこちらを見て、腹を両手で押さえお  てまた倒れたお た。反対の側の輪に力が掛かっか  ていたともいい、路面に深いくぼみがあって、あたかもその中に転んでいたからともいって精確でない。とにかく病院に連れて行かれてその時は助かったが、ただの一瞬いっしゅん間の子供の目の色には、人の一大事に関する無数の疑問と断定とがあった。その中で自分に問われたように感じたのは、おりもおりこの時刻に、どうしてここを通り合わせることになったのかという疑問で、それがまた朝からいろいろの手配の狂いくる 、計画の数回の変更へんこうが、ちょうどこの場へ今われわれの自動車を通らせることになったのを、一種の宿命のようにも取ることができたからである。
 中一日おいて次の日には、自分は十五浜いそはまからの帰りに、追波おっぱ川を上ってくる発動機船の上にいた。大雨の小止みの間に、釜谷かまやの部落を見ようとして甲板かんぱんに立つと曳船ひきふね頼むたの といって濡れぬ ふねが一つ、岸に繋いつな である所へ一群の人が下りてくる。石巻の医者へつれて行くチフスの病人と聞いて、事務員が面倒めんどうな条件ばかりを出すのを、一々首をもって承認して釣台つりだいを担いで乗ろうとする。年をとった女が二人付いてくる。荷の軽さが子供らしいので、なるべくこの窓だけはのぞくまいとしていたのに、やはりはずみがあってその子供と目を合わせた。「今昔物語」に鹿しかの命に代わろうとした聖が、猟人かりゅうど松明たいまつの光で見合わせたという類の遭遇そうぐうで、ほとんど凡人ぼんじんの発心を催すもよお ような目であった。たぶんは出水の川船の数里の旅行の後、石巻で亡くなったことと思うが、それは十一、二ばかりの女の子であった。草のつつみをやや下りに、船を見ようとして私を見つけたのである。目の文章は詩人にも訳しえまいが、あるいは自分を医者かと思って、お医者さんなら遠くへ行かずともすむのにと、考えたらしかったのが哀れあわ であった。

柳田やなぎだ国男「子供の眼」)
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a 読解マラソン集 8番 そのとき、はじめて ru3
 そのとき、はじめてお悔やみ く  を言いました。
「おちょう小母さんが亡くなられて、私もさびしくなりました。」
 すると、私のまんまえでこちらを向いていた栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立の姿勢をくずさないでいるのでした。まわりに同じ村の人たちが四、五人はいたのですが、敏感びんかんにその場の気配を察して、私と栄作さんの間の雰囲気ふんいきをそっとしておくために、心をくばったようです。瞬時しゅんじのことです。
 妻をなくして、もうだいぶ月日がたっているのに、夫である栄作さんのつらさが、私に挨拶あいさつされて、そんなにも新しくよみがえったことに、まわりの人たちがいたわりを見せたのでした。細身で、どちらかといえば背の高い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻筋のとおった顔は、陽が照り残っているようなつやを見せています。七十は越しこ ているのにかみも黒く、目も切れ長に黒い。その人が少年のように、口もきけず横を見たまま、まっすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれてくるものを見せまいと、背筋を張っていたのに違いちが ありません。その姿は木のように素朴そぼくで、悲しみがつっ立った感じでした。いきなり横を向かれた私にも、すぐそのことが会得されました。私はちっとも困りませんでした。そして黙っだま て立ちました。隣り合わせとな あ  た一本の木のように。(中略)
 横浜よこはまでの、心のシャッターチャンスがとらえた一枚のスナップについての、これが簡単な説明です。私はこの無形の写真をときどき思い浮かべるおも う   と、どうしてか気持ちがほうっとふくらんで、くちびるの辺りがほころびてくる。これをユーモアと名付けてよいものか、どうか。ふだんは礼儀れいぎ正しい明治の老人が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはいえ、私がかすかなおかしみを味わうとしたら、これは第三者の残こく以外のなにものでもないのですが、私にはやはりユーモアと名付けるのがいちばんふさわしく思われます。なめれば甘いあま 、というような単純さで、笑ったからユーモアだ、というのとは別種のもの――。
 伊豆いずの、山家やまがの、炭焼きさんの、という、うたうような語り口。なぜかあの村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズムがあるのを
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感じます。一軒いっけんの家の囲炉裏いろりとなり近所のひとが寄ってきてかわす会話の機知に富んだ軽妙けいみょうさ。ひとつひとつ覚えておかなかったことが残念ですが、覚えるほどのことではない、また覚えきれることではない日常性が、小川の流れのように、上手に時間を、人と人との間柄あいだがらをとりもって運び続けているのかも知れません。それはまちがいなく「ことば」の果たす役割でした。遠慮えんりょのなさ、気取りのなさ、かなりな冗談じょうだん。それでいてふっと黙るだま 部分がある。それが動作に出る。
 先ごろ田舎に帰ったとき、栄作さんはからだが弱くなってている、というので、その庭先からたずねると、いまはあるじの息子が出てきて私に言いました。「ハイ(もう)年ですからノ。年に不足はないガです。」いちおう声をひそめているものの、障子越しご につつぬけなのはわかっていて、それを、ハラハラなどしないで聞いている自分に、私は確かにここは岩科だ、と思うのでした。通常、あととり息子が親に対して、そんな陰口かげぐちをきいたら、お互い たが どんなメクジラをたてるだろう? 「年に不足はないガです。」そんなことをサッパリと、他人向けに言ってみせる。息子は充分じゅうぶん親孝行で、親は親で、案内された囲炉裏いろりばたで茶をすすっている私のところへひょっくりあらわれ、きちんとひざをそろえるのでした。「この蜂蜜はちみつは、自分のに採ったガです。東京へ持ってって下さい。」挨拶あいさつや説明はすでに家族がすっかり済ませているのを承知で、栄作小父さんはいきなり四合びんを私のかたわらに置くのでした。透明とうめいな器の中で、とろりと濃いこ みつが、びんの首まで届いています。
 私はまだまだ顔色のいい栄作さんに目をあて、小父さんはいい耳をしていると、つくづく思いました。

石垣いしがきりん「ほのおに手をかざして」)
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