教師の指示もなしに 読解検定長文 高1 冬 1番
教師の指示もなしに、日直が号令をかけたり、朝会が行われたり……。だが、こうした日本の小学校の情景を見て、ローレンス校の教師たちが、日本の児童たちが教師の指示もなくまったく 彼ら独自の判断によって動いているのだと考えたならば、早合点である。確かに、日直は自分の判断に基づき、「今日はここまで」というような教師の言葉を手がかりとしつつ、授業の終わりを察して号令をかける。しかし、最終的権限は教師にある。これは、日直が時として「もう号令をかけてもよろしいでしょうか」と教師の顔をうかがったり、教師が日直に号令のやり直しをさせたり、日直が号令をかけやすいように、「静かに」とクラスを注意をすることからもうかがうことができる。
日直や係が中心になって行う学級の話し合いなどでも、「困った」方向に向かっていると考えた場合には、教師は方向づけをする。たとえば、児童に お互いのよい点と悪い点を話し合って反省の材料にしてもらおうとするようなときに、クラスの 嫌われ者が 皆からの集中 攻撃にあって、 誰も助けないような場合は、教師は、その子供のよいと思われる点を 皆に思いださせることによって、個人 攻撃をやわらげようとするかもしれない。
アメリカ人は、時として、日本の会社などでの小集団活動は、権力を 握る人々が背後から操る、従業員の統制手段に過ぎないという理解を示す。集団や他者から自立した「個」を強調し、権力に対する 警戒もことさら強いアメリカ人からすると、日本の小学校での小集団活動も、このように映るかもしれない。
確かに、日本の学校の小集団は、権力に 対抗するために児童によって結成されたのではなく、反 権威主義的な 色彩を持つものでもない。児童の管理に利用されている面もあると思われる。だが、このような側面のみを強調したならば、日本の教師は心外に思うに 違いない。集団自治を目指す以上、 彼らには、児童の集団自治活動になるべく 介入すまいという心理的規制が働いている。その意味では、直接的に児童に指示を下すことをためらう必要のないアメリカの教師以上に、行動を規制されていると感じる面さえあるかもしれない。
こうした日本の学校の小集団活動の 特徴は次のように考えられ∵る。
(1)目標、手順、役割が明確である
(2)活動がルーティン化されている
(3)児童 相互の集団規制を利用している
朝の会を例にとると、どのようなことが、いかに行われるべきか、その中での参加者の役割は何かが示され、それがルーティン化されるのである。つまり、「型」が示されるのである。活動内容、手順、役割がはっきりしているため、従わない者に対しては児童 相互の規制が働きやすく、実際にそのような行動が 奨励されている。ルーティン化は教師の側から見ると、期待とは大きく外れた結果が出ることを未然に防ぐ役目があると言えよう。こうして、日本の教師は、絶えず指示をあたえなくとも、時として自分が不在でも、活動がいつも通り 滞りなく行われることを期待できるわけである。
簡略化すれば、アメリカの小学校では教師が個人リーダーとして、自ら指示を下して児童を率いていく仕組みであるのに対し、日本では教師が集団による役割分担と児童 相互の規制を利用しつつ、直接統治と間接統治とを 併用する形になっている。一定期間固定された班などの小集団の中での児童 相互の規制が 奨励され、教師は背後からそれを 誘導するのである。
一方、授業外の小集団活動が発達していないアメリカの場合、児童は担当教師を初めとする教職員の、「上から下」への指示に直接、従う形となる。
( 恒吉僚子『人間形成の日米 比較』より)
「まち」とは、自分たちが住み 読解検定長文 高1 冬 2番
「まち」とは、自分たちが住み、暮らし、働き、学び、遊び、楽しむための共同の空間というハードと、その人々の生活、それを動かすシクミやルールというソフトを 含めた全体をいう。ヨーロッパ中世都市は、ブラーニッツによると一年に一度全員が集まって 宣誓を行う 宣誓共同体であったという。そういう 儀式を実際に行ったかどうかは別として、大勢の異なる人々が、自分たちでルールを定めて、それに従って協働して暮らす社会とその器である。
「まち」は自然にできるものではない。多くの人が集まり、その意思の集積としてつくられる。だが、日本では、東京始め 巨大な都市が形成されてきたが、「まち」をつくるという意識がないままに、それぞれの営みをしてきた結果が、現在の街の姿になっている。
住民は「まち」をつくるという意識をもっていただろうか。 無秩序に都市が 膨張していく有様を、「自然発生のまち」と表現するが、自然現象として発生したのではない。ここで言う「自然」とは 比喩的な表現で、実際には一つ一つ人間の意志による行動の集積だが、「まち」をつくろうという意思も意識もないために、あたかも自然にでき上がったように見えることを言っている。その結果は、とても美しいとは言えない姿になってしまった。全体はとりとめなく乱雑でまとまりがなく、なくてもよいものが至る所に散乱し、個性を失っている。
一個一個の建築や構造物では、それなりに 魅力的なものも造られている。新たに開発された地区には、広場や水辺や緑もあって、けっこう整った姿もあるのだが、都市全体としてみると、 互いのつながりもなくバラバラだ。
なぜ「まち」が美しくなくなったのか。日本人に美的感覚がないのだろうか。そんなことはない。美的センスや造形能力では、世界に通用する優れた個性を発揮してきた。問題は、「まち」という意識がないために、そのセンスや能力が「まち」に発揮されてこなかったからだ。多くの人々が「まち」をつくることに関わっているはずなのに、個人なら自分の家だけを造ると思っている。 企業ならいかにして自社の利益を上げるかを考えて建築物を建て、広告物を作る。優良な 企業ならば、目の前の利益だけでなく、長期的な利益や 企業イメージも考えるはずだが、自分たちも「まち」をつくってい∵る一員だという意識は 乏しいままだった。
これは教育面でもいえる。子供のときから 環境や「まち」についてほとんど学習してこない。現在の「まち」のオーナーは市民だし、それを美しくするのも、使いこなすのも市民のはずなのに、自分本位の世界に閉じこもらせてしまった。
また専門の建築教育では、白図の上の自由に設計する課題を 与え、周囲との関係を考えることを教えていない。単体のデザイン能力だけが評価されてきた。あたりかまわず 与えられた自分の 敷地内で思い切りデザインすればよい。そうした考えで育った専門家では、美しい「まち」ができるはずはない。道路や河川を造る土木技師も、自分の所管する構造物の設計・ 施工をするだけで「まち」という全体を考えない。
さらに困ったことには、都市全体を考える立場にあるはずの国や自治体などの公的機関も、目的別に組織され、「まち」をつくる意識がない。タテワリ組織ごとに建築を造り、河川を整備し、道路や橋を建造する。ヨコワリの「まち」全体を意識するよりも、まず自分たちの 縄張りを拡大し、そのなかで専門領域の中に 埋没してきた。
都市の景観は、ひとつずつの行動が積み上がってきて形成される。一つの建築物や構造物を設置しようとするときに、その周辺や、もう少し広い地域への関心をもっていれば、全体としての景観は整ったものになるだろう。だが実態は、政府機関までが自己中心に動く。政府も自治体も 企業も市民も、全員あげて「まち」を考える発想も 余裕もなく行動してきた集積が現在の都市の景観である。
(田村明『まちづくりと景観』より)
かつて、「若者の活字離れ」と 読解検定長文 高1 冬 3番
かつて、「若者の活字 離れ」と言われた。しかしこれだとてあまりにも不正確だ。これは、「かつて本を読んでいた若者の活字 離れ」で、「大学生の活字 離れ」というものでしかない。その昔、世の中には大学生以外の若者だとて大勢いた。初めから本なんか読まないでいた「若者」だとてゴマンといたのだ。「今の若者は難解な思想書など読まない」とこの二十年ばかり言われ続けて、しかしその一方で、平気で難解な思想書を読む若者だとて増え続けてはいるのだ。もっと物事を正確に言ってほしかった――「今の若者は、私達が読んだような思想書は読まずに、別の思想書を読んでいる」と、それだけのことだった。本を読むやつはいつだって読む。本を読まない人間は、いつの時代にもいる。そしてこの近代という期間の日本は、その両者に対して、「本を読むべきだ。本を読むということが自身の思考力を身につけることなのだ。人は言葉で思考し、その思考を言葉によって整理する。人にとって思考と認識とは、人である限り続く義務であり権利であるはずのもので、そのことの結果によって得るものが「自由」と呼ばれるものだ」と、知性なるものが言い続けてきた時代だ。その、強制力にも似た声があればこそ、ともすれば 怠惰になりがちな若者達は、かろうじて本を読み続け、思考というか細い力を持続させて来たのだ。その努力を捨てて、活字の側が「活字 離れ」などという安易なレッテル 貼りで、 啓蒙という義務を 怠ってよい訳がない。にもかかわらず、活字はそれを 怠ったのだ。
世の中には、大学なるものと 無縁のままの人間がいくらでもいる。がしかし、それらの人間が知性と 無縁である訳ではない。がしかし、大学に代表されるような知性は、そうした「異質な知性」の存在を拾い上げられなかった。
世の中には、文章以外の表現はいくらでもある。絵という視覚表現は、文字以上に古い人間の表現手段だ。がしかし、「これをこう読め」と活字なるものに命令されることに 馴れてしまった活字人間は、その「どう読み取ってもいいよ」と言っている視覚表現の読み取りが下手だった。まるで「役所の書式に 合致していないのでこれは受け付けることができません」と言う 頑なな役人のように、自分達とは系統の 違う文化の読み取りを、活字文化は 拒絶し続けて来た。すべての文化には、それが文化であるような構造が 隠されてい∵る――だから、読み取りという作業が 必須になる。その構造を自身の頭で読むということが、そんなに難しいことだろうか? 偏見のない人間は、未知の人間であっても、「この自分の目の前にいる人間もやはり人間なのだから、必ずコミュニケーションを成り立たせる道はあるはずだ」と考えるものだ。人は、現実生活の中で、無意識の内に自分とは異質な異文化―― 即ち「他者」との接点を見出そうとしているものなのに。
活字 離れというのは、活字文化という 閉鎖的なムラ社会に起こった 過疎化現象だ。「ここにいても自分達の生活は成り立たない、ここにいても自分のあり方というものは理解されない」と思った若者達は、トカイという 雑駁な 泥沼に消えて、もう山間のムラには帰って来ない。次代の 後継者はムラを去って、ムラはさびれる。さびれてしまったことを理解しない 閉鎖的なムラの住人達は、ただ「 寂しくなった」という 愚痴ばかり 繰り返して、そんな 愚痴が、人をそのムラから 追い払う元凶の一つでもあることに気づかない。ムラはさびれ、そのムラを発展させてムラ社会という 閉鎖性を解き放つはずだった 後継者達は、 焦点を欠いたトカイの中で無意味な 浪費を 繰り返す。 退廃の 元凶はどこにあるのかと言われたら、私には、「ムラにある」としか言えない。活字の責任というものは、想像を絶して重いのだ。
(橋本治『 浮上せよと活字は言う』より)
アイヌの世界観において 読解検定長文 高1 冬 4番
アイヌの世界観において 驚くべきことは、動物も植物も天の世界ではすべて人間の形をして、家族生活を営んでいると考えられていることである。その天の世界では、われわれと同じ人間である動物や植物がこの世界に現れるときには、ハヨクベ 即ち仮装をつけて現れるというのである。何のために仮装をつけて現れるのか。それは人間の世界にミヤンゲ 即ち土産を持ったマラプト 即ち客人として訪れるためである。つまり、アイヌにとって、 熊も木もすべて人間と同じものであるが、 彼らはその身をわれわれに提供するためにこの世に仮装をつけて出現するというわけである。
アイヌの社会で最も重要な祭りであるイヨマンテ、 即ち熊送りの 儀式は、このような客人の 携えた土産をいただき、その代わりその 霊を無事天に送り届ける宗教的 儀式なのである。アイヌは子 熊が 捕れると、それを大事に育て、その身が美味しくなる秋 頃に子 熊を殺す。この殺し方もまたすべて決められた礼に従って行わねばならぬが、この 儀式の中心はやはり殺した 熊の 霊を天に送ることにある。それがイヨマンテ、イ(それ)をオマンテ(送る) 儀式なのである。殺された 熊の頭を 祭壇に 祀り、そこに日本のゴヘイにあたるイノウ 即ちケズリカケを立て、そこに、 熊に人間からのミヤンゲとしてドングリや穀物や魚や酒を供え、それを持たして、おそらく鳥のイメージであるにちがいないイノウに乗せて 熊の 霊を天に送るのである。こうして丁重にもてなされた 熊が人間にもらった土産を天に持ち帰ると、その土産は数十倍になり、それをもって 宴会を開くと天にいる 熊たちは寄ってきて、天に帰った 熊から、人間に大切にもてなされ無事天に送り返された話を聞き、それでは自分も行ってみようと思うというのである。そして翌年は多くの 熊が生まれて、豊 猟であるということになる。
熊ばかりか、すべての動物、草木すらここでは神であり、天の世界では人間の形をとって生活しているのである。それゆえすべての動植物、特に人間によって殺され食用にされるものは人間と同じく丁重に 葬られ、無事に天へ送り届けられなければならないのであ∵る。
このような世界観をわれわれはどのように考えたらいいのであろうか。もとよりこれらの思想が全体としてそのまま真理であると私は主張しようとは思わない。もしも 熊に「あなたは土産を持ってこの世界に訪れた客人なのですか」と 尋ねたら、 熊はきっと「ノー」と答えるにちがいない。それはあまりに人間の勝手な考え方だと 熊は 抗議するにちがいないが、しかし私はキリスト教の考える、神は山や川やすべての動植物をこしらえた後に、最後に人間をつくり、人間に神と同じ理性を 与えた、それゆえ、人間はすべての動植物を支配する権利を持つ、という思想よりはるかに勝手な考え方ではないと思う。なぜなら、人間がすべての動植物を支配し、殺害することのできる権利を神によって 与えられているというのでは、人間は動植物を殺してもいささかも良心の 呵責を感じないであろう。この考え方は 熊は本来、人間と同じものであり、したがってわれわれはこの客人の好意に従って客人を殺した場合、必ずその 霊を天に送らねばならないという考え方とはかなりな差がある。前者は本質的に人間と動物の差別の上に立つ世界観であるが、後者は人間と動物とを本来同一とみる世界観なのである。
人類は長い 狩猟採集生活の末に、動物の殺害を合理化する 哲学を考えたにちがいないのである。おそらく動物の殺害は不快感を 伴ったにちがいない。その不快感を除去し、動物の殺害と食肉を合理化する 哲学として、 彼らは、動物は土産を持って人間社会に現れた客人であるという神話を考え出したのであろう。このような神話は動物の殺害や植物の 採伐を最小限度にとどめることになろう。 彼らは動植物に「私が生きていくためには、あなたの身が必要なのです。どうかあなたの命を下さい」と言わないと、動植物を殺すことができないのである。アイヌ語で「ありがとう」という言葉は、「ヤイライゲ」というが、「ヤイライゲ」というのは、私を殺してくれという意味である。この 狩猟採集時代の厳しい自然 環境のなかでの最も強い感謝の表現は、私を殺して私の肉を食ってくれという言葉なのである。 (梅原 猛『伝統と創造』による)
|