個人主義的な功利主義傾向に 読解検定長文 高3 秋 1番
個人主義的な功利主義 傾向にもとづいて「自分探し」がおこなわれるとき、「他者」がいかなる位置を 占めるかを考えてみよう。各人が各人の「自分」を探し求めるとき、社会的空間はすべての「自分」実現を保証するようには構成されていないから、「自分」の 獲得をめぐって必然的に客観的競争状態(受験競争など)が生じ、結果として社会関係が解体するということもたしかに重要である。しかし、それと並んでアイデンティティを問題に 据える観点から重要なのは、 獲得され実現されようとしている「自分」にとって、他者はその実現を承認するだけの道具的存在とみなされているのではないかという点である。本来的に人間は社会的動物であり、その社会性とは「他者」との 相互的認知・承認関係に他ならないとすれば、その関係は、 錯綜する「自分探し」と表裏するかたちで 互いに道具主義的な「他者」探しとなっているのではないかということである。とすれば、「自分」がついに探し当てられたとして、その「自分」とはどのようなもので、どこにいるのであろうか。道具的存在でない「他者」といかにして出会うのであろうか。「他者」を道具的存在とすることに勝利して「生き残った」「自分」は、やはりそのようにして生き残った他の「自分」たちとどのような関係に入るのだろうか。そこでも、相手からの承認を求める道具主義的な関係――承認の 争奪関係――に入るのではないだろうか。そしてその絶えざる運動のなかで人格的存在としての「他者」が失われるとき、「自分」もまた非功利主義的な人格を 喪失していくのではあるまいか。かくして、 排他的な道具主義的「自分探し」は、その「自分」と非道具的・人格的に関係することのできる「他者」の 喪失過程であり、同時に人格としての「自分」を 喪失する過程なのではないか。ひっくるめて言えば、人間同士の非道具的な人格的関係を 喪失する過程なのではないかということである。
では、なぜこうした帰結が生じるのか。それはやはり、そのような「自分探し」が原理的に近代社会のものだからである。つまりそれは、人を「自分探し」に追いやる社会的 状況を作り出している主要な社会的原理と同じロジックでおこなわれているからである。たとえば、「自分探し」において参照されている 書籍群の主たる∵ 執筆者を思い起こせばよい。心理学を代表として、多くはいわゆる「こころ」を研究対象とする学問分野のひとびとである。近代心理学や近代精神医学とは、まさに近代科学であり、したがって近代社会の一部を成しているのではあるまいか。私たちは、「自分」であることをじつは私たちに可能としない近代社会のなかで、近代的手法によって「自分」を求めているのではないか。これを皮肉といわずして何といおう。「自分探し」はいまや二重の皮肉のなかにあるわけだ。
問いを先に進めよう。ではなぜ人は功利主義的な「自分探し」に 突き進んでしまうのか。それを個人の自由と片付けたのでは、社会学的認識は生まれてこない。アイデンティティの個人主義的 獲得という発想、功利主義的「自分探し」の動きがどこから生まれてくるのか。答えはじつは簡単である。先に 触れたように、「自分」を 獲得することを 阻害する社会的な要因や 環境に置かれているために、人間という存在にとって不可欠の「自分」を形成することが原理的に困難だからである。個性重視という社会的な 美辞麗句と、「自分」 獲得のための社会・文化的 基盤が欠落しているという 状況との 矛盾に 引き裂かれて、個人主義的で功利主義的な「自分探し」という手法を採用せざるを得ないからである。
( 景井充「アイデンティティの行方」による)
自身の創造性や潜在能力を 読解検定長文 高3 秋 2番
「自身の創造性や 潜在能力を信じろ」というのはたやすい。ところがまさに、この「 潜在能力イデオロギー」が、私たちの生を苦しめてもいる。格差社会のなかで、私たちはこのイデオロギーに 押しつぶされそうになることがある。
ここ数年、日本では格差社会論が大きなテーマとなっている。いまや格差社会論は、時代の流行言説となったといえるだろう。しかし実際のところ、日本の経済格差が急激に広がっているのかといえば、そうともいえない。大竹 文雄の 分析によると、所得格差の拡大は、一九八〇年代からの 傾向であって、近年になって急激に拡大しているわけではない。また、最近の格差拡大の主な原因は、人口の 高齢化によるものであって、三十代から五十代の世帯主の所得不平等度は、ほとんど変化していないという。
(中略)
私たちは、低所得の人々に対して、救いの手を 差し伸べるべきだという。低所得の人々は、教育や職業訓練の機会を 奪われているのだから、さまざまな政策を通じて、希望の道を 与えるべきだという。あるいは私たちは、反対に、低所得の人々を道徳的に非難することがある。低所得の人々は、総じて人生に対する意欲が低く、やる気がないからダメなのだ(自業自得)と非難することがある。低所得層をめぐるこうした同情/非情の両論には、しかし、一つの共有前提があるだろう。すなわち、現代社会においては「意欲をもって 潜在能力を開花させること」が「よいこと」であって、ところが低所得の状態では「希望」や「意欲」を失ってしまう、という認識だ。
格差を批判する人も 肯定する人も、あるいは、格差社会の「負け組」を 哀れむ人もそうでない人も、論者たちは総じて、 潜在能力を実現することが大切とみなしている。そしてこの 潜在能力イデオロギーの観点から、勝者と敗者の格差を問題にしている。格差社会論の本質は、実体としての経済格差よりも、むしろ「 潜在能力イデオロギー」を 投影することから生じているのではないか。つまり、「勝ち組」は自己実現しているからすばらしいが、「負け組」は 潜在能力を開花させていないからかわいそう、というわけである。∵
けれども、こうした 潜在能力イデオロギーの「 投影」の仕方は、どこか 間違っていないだろうか。はたして、経済的に成功した人たちは、本当に 潜在能力を開花させることに成功しているのだろうか。成功者といわれている人たちの多くは、むしろ職場では自分の可能性を試すことがあまりなく、長い残業労働に苦しめられているのが実状ではないだろうか。
また反対に、低所得の人々は、本当に 潜在能力を開花させていないのだろうか。むしろ、「ナンバーワンよりオンリーワン」を目指しつつ、自分なりの 潜在能力を開花させている人も多いのではないだろうか。低所得層の人々が総じて 潜在能力を実現していないというのは、私たちの 偏見であるだろう。にもかかわらず、多くの人々は、「低所得層ほど自己実現していない」という 錯覚を 抱いている。そのよい例は、「ニート批判」である。
「ニート」とは、 年齢十五 歳から三十四 歳で、仕事も通学も家事もしていない者を指しているが、その数は二〇〇二年以降、しだいに減少してきた。にもかかわらず、人々は、ニート批判に強い関心を示している。その理由はおそらく、人々は「 潜在能力イデオロギー」の観点から、意欲のない者や自身の 潜在能力を試さない者を、以前にも増してはげしく 軽蔑するようになったからであろう。ニート批判は、自らの 潜在能力を開花させずにストレスを 抱えている人たちが、自分よりももっと 潜在能力を開花させていない人を非難するという、いじめの構造から生じているように思われる。
(橋本努『自由に生きるとはどういうことか』による)
メリトクラシーを 読解検定長文 高3 秋 3番
メリトクラシーを社会の編成原理のひとつに置く近代社会において、不平等の生成と正当化は、学校にゆだねられた重要な役割である。教育を通じて測定される「業績(メリット)」をもとに、人びとを社会経済的地位に配置する。先進産業社会ではどこでも、教育を通じたメリトクラシーが、社会的不平等の生成と正当化に大きくかかわっている。
ところが、教育を通じたメリトクラシーといっても、その具体的なプロセスには、社会によって大きな 違いがある。たとえば、イギリスやフランスでは、教育の場で業績を測定する際に、論述式の試験や口述試験が重視されている。このような場合、正しい語法やアクセント、レトリックの使い方といった、主に言語表現にかかわる出身階層の文化が、業績評価のプロセスに 入り込む。出身階層の文化と試験で測られる文化との 距たりが小さいのである。その結果、学校での成功のチャンスは、どのような階層文化を身に付けたか――いいかえれば、どのような家庭に生まれたのか――によって左右されることになる。
フランスやイギリスにおいて、あるいは人種間の問題として見た場合のアメリカなどで、「文化的再生産」の議論が盛んに行なわれるのも、階層文化を 媒介とした不平等の生成が、可視的でリアリティをもつからだ。学校は、どの階層の子どもたちに対しても、公平な 扱いをしている。どの子どもにも、学校で成功するうえで、同じ条件が 与えられているはずだ――そうした信念への疑義の提出。「文化」の 顕在性ゆえに、これらの社会では、学校を通じた不平等の再生産が、その過程で不覚にも 綻びをみせてしまうのである。
それに対し、日本の学校は、そのような 綻びをほとんど外に見せることなく、見事に不平等の再生産を果たしてきた。日本でも、家庭で伝達される文化資本が、学校での成功を左右していることはたしかである。文字や数字などの記号を操る能力、 丹念に論理を追う能力、ものごとをとらえるうえで具体から 抽象へと 飛躍する能力。これらの能力の 獲得において、どのような家庭のどのような文化的 環境のもとで育つのかが、子どもたちの間に差異をつくりだしていることは否定しがたい。そして、こうした能力の 違いが学校での成功と失敗を左右するであろうことも容易に想像できる。それ∵でも、日本の場合には、学校で測られる学力は、特定の階層の文化から「中立的」であると見なされている。しかも、生得的な能力の差異をなるべく否定し、「子どもにはだれでも無限の能力、無限の可能性がある」と見る能力=平等観が広まっている。そして成育 環境の 違いと成績との関係をむすびつけて見ること自体にも、子どもに差別感を 与えるのではないかと 慎重な態度がとられるのである。がんばればだれでも「一〇〇点」がとれるとする努力主義 信仰も根強い。日本でも「客観的」に見れば、子どもの出身家庭と成績との間に相関関係を見いだせるのだが、そうした事実自体を、教育 実践の前提とはしない 傾向が強いのだ。それゆえ、大衆教育社会が完成の域に達した以降は、特定の階層や集団にとって日本の教育システムが有利にはたらいているという見方それ自体が、多くの人びとにとってはあまりピンとこない現実となっている。それほどまでに教育を通じた社会の大衆化が進展したのだ。実際には学校を通じて不平等の再生産が行なわれていても、そのような事実にあえて目を向けないしくみが作動しているといえるのである。
( 苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』による。一部改変)
徳川家康自身は 読解検定長文 高3 秋 4番
徳川家康自身は、戦国武将の常として、漢詩文の読み書きはできなかった。しかし 彼は、「漢文の力」をよく理解していた。
家康が「漢文の力」を実感した最初の 契機は、一五七二年の三方ケ原の合戦であった。若き日の家康は、「孫子の兵法」に精通した武田 信玄と交戦し、 生涯最大の大敗を 喫した。武田家の 滅亡後、家康は武田家の遺臣を多く 召し抱え、 信玄の兵法や軍略を研究させた。
(中略)
日本史上、「漢文の力」を活用して日本人の思想改造に成功した統治者は、聖徳太子と徳川家康の二人であった。
江戸時代は、王朝時代に次ぐ日本漢文の二番目の黄金時代であった。 江戸期の漢文文化の 特徴としては、
(一)漢文訓読の技術が、 一般に公開されたこと
(二)史上空前の、 漢籍の出版ブームが起きたこと
(三)武士と 百姓町人の上層部である中流実務階級が、漢文を学んだこと
(四)俳句や小説、落語、演劇などの文化にも、漢文が大きな 影響を 与えたこと
(五)漢文が「生産財としての教養」となったこと
などがあげられる。
室町時代まで、漢文訓読の方法、例えば訓点の打ちかたは、平安時代以来の学者の家の秘伝とされていた。訓点が 一般に公開され、われわれが見慣れている「レ点」「一二点」「送り仮名」などの訓点を 施した 漢籍が広く出版されるようになったのは、 江戸時代からであった。
(中略)
日本に来た 朝鮮通信使は、日本側の文人と漢詩の 応酬をした。これは 国威をかけた文の戦いでもあった。初期のころは、日本側が作る漢詩のレベルは低かった。あとになると日本側の漢詩のレベルが急速に向上したため、 朝鮮側も一流の漢詩人を選んで日本に送るようになった。
例えば、 新井白石は、幕府に仕える漢学者として、 朝鮮通信使∵と礼をめぐって激しい論争をかわした。 朝鮮側は、論争は別として、白石の漢詩を高く評価した。白石のほうも、自分の漢詩集の序文を 朝鮮通信使に書いてもらうなど、 彼らの文学的能力に対して深い敬意を 払った。政治では対立しても、文化では友好をつらぬく、という態度が、日朝 双方に見られたことは、興味深い。
戦国時代まで 野蛮だった武士は、 江戸時代の漢文ブームによって、 朝鮮や中国の士大夫階級とわたりあえる文化的教養人になった。
日本に 渡ってきた 朝鮮通信使は、 華夷思想の立場から、日本固有の文化や 風俗を低く見る 傾向があった。そんな 彼らさえ、日本の出版業の盛んなこと、とくに 漢籍の出版物の豊富さと値段の安さには、 驚きの目を見張った。
(中略)
江戸末期には、下級武士のみならず、ヤクザの親分や農民までもが漢文を学んだ。当時の漢字文化 圏のなかで、このような中流実務階級が育っていたのは、日本だけである。日本がいちはやく近代化に成功できた理由も、ここにあった。
中国でも、医者だった孫文のような中級実務階級は存在したが、 彼らの力は士大夫階級より弱く、そのため中国の 辛亥革命(一九一一)は日本の 明治維新より半世紀も 遅れた。
もし、初代将軍・徳川家康が 儒学を幕府の官学にするという構想をもたなかったら。もし、日本に漢文訓読というユニークな文化がなかったとしたら――。
日本の近代化は、もっと困難な道をたどっていたに 違いない。
( 加藤徹氏の文章に基づく)
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