魚の顔にはえらが 読解検定長文 小2 秋 1番
魚の 顔にはえらがあります。 魚が水の中で 呼吸ができるのは、このえらのおかげです。
人間は 肺を 使って 体の中に 酸素を 取り込みます。 息を 吸い込むときに 酸素を 取り入れ、 吐くときに 二酸化炭素を 捨てています。これを 肺呼吸と 呼びます。それ に対して魚はえらを 使います。これをえら 呼吸と 呼びます。
水の中にはたくさんの 酸素がとけていますが、目で見ることはできません。 砂場で 使うふるいがありますが、ふるいをえらだと 想像してみます。そして、石は 酸素、 砂粒は水です。 砂場の 砂をふるいにかけると、ふるいの上には石だけがのこって 砂粒はサラサラと こぼれ落ちます。 魚は口から水を 飲み込み、えらから 吐き出していますが、えらというふるいで 酸素だけを 体の中に 取り込むのです。えらが 酸素を 選んでいるわけです。
しかし、えらが 取り込める酸素は、水の中にとけているものだけです。空気の中からは 取り込めません。ですから、 魚は水の 外では 呼吸ができません。
水の中の 酸素が足りなくなると、 魚が 水面に出て口をぱくぱくさせることがあります。これは、空気を 吸っているのではなく、 水面近くの水に空気を 混ぜて 吸っているのです。
人間も、 お母さんのお 腹の 中にいる一 ヶ月目のころにエラのようなものがあります。これは、 昔、 人間が水の中にいる 生物だったころの 名残りだと 言われています。
言葉の森 長文作成委員会(ω)
雨が落下するスピードは 読解検定長文 小2 秋 2番
雨が 落下するスピードは 雨粒の大きさによって 変化します。
霧雨とよばれる 霧のように小さな 雨粒の 直径は、〇・五ミリメートル 以下です。この大きさで雨のスピードは、 秒速ニメートルです。 時速にするとおよそ七キロメートルです。
ごく 普通の雨は、 直径ニミリメートルくらいだといわれています。この大きさでは 秒速七メートルになります。 時速にすると、およそニ十五キロメートルで、 気持ちよく自転車をこいでいるくらいのスピードです。
体に 当たると 痛いと 感じるほどの 大粒の雨、たとえば 夏の夕立などの雨になると、 雨粒の 直径は五ミリメートル 以上にもなります。この 大粒の雨では、 秒速は十メートル。 時速では三十六キロメートルになるのです。
雨に 比べるとハラハラと 踊るように 舞い降りてくる 雪は、もっとゆっくり 落ちてきます。 雪も、雨と 同様に 様々な大きさがありますが、だいたい 秒速で五十センチから一・五メートルです。
雷とともにふることが 多いものに 雹がありますが、この 雹が 驚くべきスピードでふってくるのです。 直径五センチの 雹で 秒速三十メートル 以上、 時速にして 計算すると 時速一〇八キロメートル 以上ということです。これは 高速道路を 走る自動車のスピードぐらいですから、車のボンネットがへこんだり、 農作物に 被害をもたらしたりすることもあるのです。 雹の 標的になったらたまりません。
雨粒が 落ちてくるときは、 細長い形でも 丸い形でもありません。あんパンやメロンパンのように、上が 丸くて下が 平らな 形です。しかし、あまり 速く落ちてくるので、 人間の目には雨が 線のような 形で 降っているように見えるのです。∵
「雨が 降ろうが 槍が 降ろうが」というのは、「どんなときでも」という 意味の 言葉ですが、 本当に槍が 降ってきたらどのくらいのスピードになるのでしょうか。そんな 実験はあまりやりたくありませんね。
言葉の森 長文作成委員会(ω)
夜空を明るく照らす 読解検定長文 小2 秋 3番
夜空を 明るく照らす丸い月。 昔から、月にはウサギがいて、おもちをついていると 言われています。 確かに、月の 模様をよく見ると、 杵を 持ったウサギがおもちをついているように見えます。しかし、月に 住んでいるのはウサギだけではないようです。 北ヨーロッパでは、月の 模様を、本を 読むおばあさんや水を 運ぶ男女に 重ね合わせています。さらに、 南ヨーロッパでは、大きなはさみを 持ったカニ、 東ヨーロッパでは 横向きの 女性、アラビアではほえているライオン、カナダではバケツを 運ぶ少女など、 同じ模様でも 国によってとらえ 方はさまざまです。
では、どうして月には 模様があるのでしょうか。それは、月にはクレーターや 海などがあり、 地球から見ると、クレーターは白っぽく、 海は 黒っぽく見えるためです。この 海の 部分がウサギになったり、カニになったり、ライオンになったりするのです。 海と 言っても、 地球の 海のように水があるわけではなく、 濃い色の 玄武岩でおおわれた 平原となっています。月の 海は、月の 地表の十六パーセントを 占め、そのほとんどが月の 表と 呼ばれる 地球を 向いている 側にあります。ですから、 地球に 住む私たちは、その 模様を 楽しむことができるのです。まるで、月がこちらを 向いて、 私たちにつきあってくれーたーかのようです。
月は 地球よりも小さいために 重力も小さく、大気をつなぎとめておくことができません。 地球に 落ちてくる 隕石のほとんどは、 地球の大気との 摩擦で 燃え尽きてしまいますが、月には大気がないので 隕石がそのままぶつかります。 隕石がぶつかった 跡も、月の 模様となっています。
ガリレオは、 初めて望遠鏡で月のクレーターを見たとき、「 青眼をちりばめたクジャクの 尾のようだ」と 言ったそうです。 望遠鏡で見る月には、 肉眼で見るのとはまた 違った 感動があります。 望遠鏡∵のなかった 昔の人たちが月を見て 想像をふくらませたように、ときには、 夜空を見上げて 自由に 空想を 広げてみるのもおもしろいものです。
言葉の森 長文作成委員会(Λ)
奈津は幼いころから 読解検定長文 小2 秋 4番
奈津は 幼いころからとても 利発で、本を 読むことや文を 書くことが 大好きな女の子でした。ひとたび本を 読み始めると、 友達が 遊びに 誘っても 全く応じません。なぜなら、 友達と 遊ぶより本を 読むほうがずっと 楽しいのです。一 冊の本を 読み終わると、 もう一度はじめから 何度も 繰り返して 味わうように 読むのです。まるで本の 世界に 入り込んでしまったかのように 熱中してしまうのでした。
そんな 奈津は、学校でも 大変熱心に 勉強に 取り組みました。あまりに 熱心なので、先生も 驚いてしまうほどです。学ぶことが 楽しくて 仕方がないのです。 砂が水を 吸うように 勉強を 理解していくのですから、 成績も 大変優秀でした。
ところがある日、 思いがけないことが 起こりました。女の子は 家の 手伝いや 針仕事をしたほうが 役に立つのだから、学校はやめるようにと、 お母さんが 言うのです。
そのころは、学校へ 通うことは 恵まれた 家庭の子だけが 持つ特権でした。 普通の 家庭では、 家計の足しにするために 働くことが、学校で 勉強することよりも 優先されていました。 東京に 限ってみても、女の子の 半数以上が小学校に 通えなかったのです。学校へ 行けない子たちは、 家で お母さんの 手伝いをしたり、小さな 弟や 妹の 世話をして 働きました。
奈津は、その 時代の女の子たちと 同じように、学校をやめました。しかし、 勉強に対する熱い思いは 一向に冷めません。 冷めるどころか、ますます大きく、 強くなってくるのでした。本が 読みたくてたまらない 奈津は、こっそりと 蔵に 入り込み、 暗がりの中、小 窓から 差し込む光をたよりに、本を 読みふけるようになりました。
今から百二十年ほど 前の 明治時代の 話です。 奈津はのちに 樋口一葉という 名前で 作家になり、「たけくらべ」「にごりえ」といった 名作を 残しました。
言葉の森 長文作成委員会(ω)
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