高いところから 読解検定長文 小2 秋 1番
高いところから 飛び降りるとき、 地面に 着地する 瞬間に、ひざを 曲げてやわらかく 地面に 着くようにします。もし、ひざをまっすぐに 伸ばしたまま 着地をしたら、ひざを 痛めてしまいます。 同じ高さから 飛び降りているのに、どうして 衝撃が 違うのでしょうか。
その 秘密は、力というものの 性質にあります。力は、 重さと 速さをかけたもので、「力」=「 重さ」×「 速さ」ということになります。 例えば、あなたが 走っていって、おすもうさんとぶつかるのと、一年生のけんちゃんとぶつかるのと、どちらが 衝撃が 強いでしょうか。おすもうさんの 方が 重いので、あなたははねとばされてしまうでしょう。ただし、一年生のけんちゃんが 実はゾウの一年生だったとしたら、あなたはけんちゃんにもはねとばされてしまうかもしれません。このように、 重いものは大きな力を 持っているのです。
では、 速さはどうでしょう。 野球をしているとき、バットを 思いっきり振ってうまく 当たったのでホームランになったとします。 同じ場面で、バットをスローモーション 撮影のようにゆっくり 振っていたらどうでしょう。どんなにうまく 当たっても、ゴロにしかなりません。 同じ重さでも、スピードを出しているときの 方が力があるのです。
着地するときにひざを 曲げるのは、ちょうどこのスローモーション 撮影をしていることと 同じです。足の 裏が 地面に 着く瞬間が、ほんの 少しゆっくりになるのです。その 差は 例えば、〇・一 秒で 着地するところが〇・二 秒で 着地することになっただけかもしれません。しかし、それでも力は二 分の一に 減ってしまうのです。
この 原理はいろいろなところに 応用できます。けん玉をするとき、玉をお 皿に 乗せる瞬間にちょっとひざを 曲げます。すると、玉がお 皿に 着地する 時間がほんの 少しゆっくりになるので、玉はとても入れやすくなります。こんなふうにして、玉がうまく入るようになったらたまりませんね。
言葉の森 長文作成委員会(Σ)
スフィンクスというのは 読解検定長文 小2 秋 2番
スフィンクスというのは、エジプトやギリシア、メソポタミアの 神話に 登場する、 人間の 顔を 持ち、ライオンの 胴体を 持つという 怪物です。エジプトのスフィンクスは、あごひげを生やした 王様の 顔をしていて、 王様や 神様を 守るとされています。メソポタミアのスフィンクスは、 顔は 女性で、 鷲の 翼を 持っています。ギリシアのスフィンクスも、 顔は 美しい女性、 脚と 尾は 獅子で、 翼は 鷲となっています。
スフィンクスは、たいへん 知恵があり、なぞなぞやゲームが 大好きです。 神話によると、王の 息子オディプスは、スフィンクスがテーバイという町で 通るものになぞなぞを出して、 解けない 者を 食べるという 話を 聞きました。オディプスが 行ってみると、スフィンクスは 次のような 問題を出しました。
「 朝には四本足、 昼には二本足、 夜には三本足で 歩くものは 何か。その 生き物はすべての 生き物の中で、いちばん 姿を 変えるものである」
それまでにも、 多くの人たちが 挑戦しましたが、 誰もこの 謎を 解くことはできませんでした。しかし、オディプスは、スフィンクスにこう 言いました。
「 答えは 人間だ。なぜかと 言うと、 赤ん坊の 頃はハイハイで四つ足、大人になると二本足で 歩き、年をとると 杖をつくので三本足になるからだ。」
謎を 解かれたスフィンクスは 海に 身を 投げてしまいました。
人間はこのように、一生のうちでその 姿を 何度も 変えます。 姿だけでなく、 脳の 働きや 感情なども、 成長とともに 変化します。これは 他の 動物よりも、 脳をはじめとした 体のしくみが 複雑なせいです。スフィンクスは、このなぞなぞ を通じて、ほんとうは 何を 人間に 問うていたのでしょうか。 今となっては 知るよしもありません。∵
では、「 朝には八本足、 昼には七本足、 夜には六本足の 生き物」は 何でしょうか。 答えは、 お腹のすいたタコが、 昼に 自分の足を一本 食べ、 夜にもう一本 食べてしまったところです。
言葉の森 長文作成委員会(φ)
宮崎県にある幸島は 読解検定長文 小2 秋 3番
宮崎県にある 幸島は小さな 無人島です。この 島には百 匹余りの 猿が 生息しています。ある日のこと、イネという名の 若いメス 猿が川の水でイモを 洗って 食べました。すると、ほかの 猿たちも 次々とイモを 洗って 食べるようになりました。これまでは、 砂などのよごれのついたイモをそのまま 食べていた 猿たちは、「イネのまねをして 食べるとおいしいね。」と 思ったことでしょう。しばらくして、イネは、川の水ではなく 海の水でイモを 洗うことを 思いつきます。 海の水で 洗うと、 塩味がついてもっとおいしくなるのです。それを見ていたほかの 猿たちも、イモを 海水で 洗うのはいいものだと、イネと 同じように 海水でイモを 洗うようになりました。
幸島の 猿たちがみなイモを 洗って 食べるようになると、 不思議なことに、 大分県高崎山の 猿たちもイモを 洗い始めました。 高崎山の 猿ばかりではありません。 遠く離れた 他の 土地や 島にすむ 猿たちもイモを 洗って 食べるようになったのです。もちろん、これらの 猿たちは、 幸島の 猿たちがイモを 洗うところを 実際に見たわけではありません。しかし、いろいろな 場所にすむ 猿たちが 申し合わせたかのようにイモを 洗い始めたのです。これは、イモを 洗う猿が 一定の 数に 達すると、その 行動が 距離をこえて、ほかの 集団にも 伝染したためではないかと 言われています。
これと 似た 現象は、 人間社会にもあります。 何か 新しい発明をした人がいると、ちょうど 同じころ 世界のほかの 場所でも 同じ発明をしている人がいたということがよくあります。
言葉の森 長文作成委員会(Λ)
いちばん貧しい人に 読解検定長文 小2 秋 4番
「いちばん 貧しい人に 仕えるため、町に出て 行こう。」
何不自由ない 生活を 送っていたマザー・テレサが、そう 決心して 修道院をあとにしたとき、 持っていたお金はわずか五ルピーのみでした。 今の日本のお金にしてみると、およそ百五十円です。たったこれだけのお金でいったい 何ができるというのでしょう。しかし、マザーはあきらめません。 神に 与えられた 自分の 使命を 果たすためにも、あきらめるわけにはいかないのです。
カルカッタの町には、 多くの 子供たちが 表情もなく 座り込んでいました。学校へ 通うお金もなく、 食べるものも 満足になく、ただじっと 座り込んでいるのです。
教育こそが 貧しさから 抜け出す鍵になると 直感したマザーは、すぐさま 子供たちを 集めて青空 教室を 開きました。もちろん 机もいすもありません。 地面を 黒板代わりにし、 読み書きの 基礎から 指導していきました。
その 噂は またたく間に 広まり、たくさんの 子供たちがつめかけるようになりました。すると、マザーの 活動に 賛同し 手助けをしてくれる 強力な 協力者が 次々と 現われました。
たった五ルピーしか 持たないマザーが、その 活動を大きく 広げていったのは、こうした人々の 愛によるところが大きいのです。
多くの 心ある人々に 支えられ、マザーなき 現在も、マザーの 活動はカルカッタの町にしっかりと 根づいています。
私たちはみな、 愛を 持っています。ただ、 十分に人に 与える方法がわからないだけなのかもしれません。
「いったい、いつ、まずしい人々の 貧困はやむのですか。」
そうたずねられたマザーは、
「あなたと 私が 分かち合いはじめたときに。」
と 答えました。
言葉の森 長文作成委員会(ω)
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