最近、人里におりてきたクマによる
被害が、ニュースでもときどき
報道されています。クマの
生息地に近い
住宅では、
自宅の
玄関先にクマがいた、などということもあるようです。キノコ
狩りに山に入った人が
襲われたりするので、クマは
凶暴でこわい
動物だと思われています。しかし、はたして本当にそうなのでしょうか。
現在日本には、北海道に
住むヒグマと
本州に
住むツキノワグマの二
種類がいます。ヒグマの方がツキノワグマよりも
大型です。ツキノワグマの
体重が、人間の大人一人分か二人分ぐらいなの
に対して、ヒグマのオスの
体重は、ツキノワグマの二
倍から三
倍にもなります。クマの
動きは
意外にすばやく、ツキノワグマでも
時速四十キロメートルくらいで走れるそうですから、ゆっくりめに走っている
自動車くらいの
速さは出ることになります。しかも、木
登りも
得意ですから、
追いかけられたら、まず
逃げられません。
爪は
鋭く、きばもあります。
確かに、
敵に回すと、こわい
動物のようです。
ふだん、山で
木の
実や虫、
小動物などを食べているクマは、かなり
警戒心が強いので、自分から人間に近づいてくることはありません。どちらかというと、人間を
恐れていて、できれば出会いたくないと思っているのです。ですから、クマと出会わないようにするためには、クマよけの
鈴やラジオなど、大きな音を出すものを
持って歩くとよいと言われています。クマの方に、先に
逃げてもらうのです。
それでも、クマが人里におりてくることがあります。秋、冬ごもりの前にたくさんの
食べ物を
必要としているときと、春、冬ごもりから
目覚めて
お腹をすかせているときが多いようです。人里には、人間の出した生ゴミが
置かれていることがあります。また、
果物畑や
畑には、おいしそうな
食べ物がたくさんあります。
庭先の
柿の木につられてくることもあるようです。∵
人里に来ることは、クマにとっても人間にとっても
望ましいことではありません。人に出くわしたクマが人に
危害を
加えてしまったり、
逆にクマが
追われて
鉄砲で
撃たれて
殺されてしまったりすることもあります。しかし、クマを
撃ち殺すだけでは、
問題の
解決にはなりません。クマがこんなに人里におりてくるようになったのはなぜか。その
原因を
調査して、
対策をとらなければならないのです。
クマが人里におりてくるようになったのには、いくつかの
原因が考えられます。クマのすみかの山が人間の
開発で
荒らされ、クマの
食べ物が少なくなっているという
説があります。あるいは
逆に、山の
食べ物がたくさんあるのでクマが
増えているからだという
説もあります。そして、人里に行けばおいしい
食べ物がたくさんあると、クマが知ってしまったことも、大きな
原因と考えられています。
では、
解決法にはどんなものがあるでしょうか。今、さまざまな
団体が、クマの生活を
調査し、クマと人間がどちらもうまくやっていけるように、いろいろな
方法を
試しています。
もともと、クマたちが
住んでいたところへ後から入ってきて、山を切りひらき、町を作ったのは人間です。本当のことを言うと、クマもくまっているのです。人間はもっとクマの
気持ちをくまなければならないのかもしれません。「みなさんのすみかの近くにおじゃましてごめんなさい。でも、あまり
私たちの方へはおりてこないでほしいのです。その
代わり、毎年
お歳暮に、たっぷりのハチミツを
贈りますから、どうぞ食べてください」などという「大人の
付き合い」が、クマともできるとよいのでしょう。
言葉の森
長文作成委員会(τ)
生まれたての赤ちゃんも、耳は聞こえます。しかし、赤ちゃんは、自分の耳にひびいてくるものが何かは、まったくわかりません。
たとえば、ドアが「バタン」としまる音がします。赤ちゃんにはその音は聞こえますが、それが「ドア」が「しまった」ときの音ということはわかりません。「ドア」というものをまだ知らないからです。
赤ちゃんに
世界がどう聞こえるかについては、さまざまな
研究がされてきました。
赤ちゃんの耳に聞こえるものは、赤ちゃんの頭の中で、いつまでもこだまのようにひびいています。生まれて一
ヶ月の赤ちゃんの耳の中は、あちこちでお寺のかねがなりひびいているような、こだまだらけの音の
世界です。その中から、少しずつ、いろいろな音を聞き分けられるようになります。ですから、赤ちゃんは、はっきり、ゆっくりしゃべってくれる声がすきです。
大人たちが、赤ちゃんにいっしょうけんめい話しかけるとき、よく赤ちゃんことばを
使います。いつもより、高い大きい声で、ことばをやさしくして、みじかくくぎりながら話しかけます。たとえば、
「ごはんは、おいしかったですか? たくさん食べられていいこですね。」
と話しかけるより、
「まんま、おいしい? いっぱい、たべたね。いいこ、いいこ。」
と言ってあげます。赤ちゃんにとっては、このような話しかけ方のほうが親切なのです。
赤ちゃんは、ゆっくりはっきりしゃべってくれると、ぼんやりしたこだまのひびきの中からことばを聞きわけることができます。生まれて四
ヶ月くらいになると、大人どうしの会話より、赤ちゃんことばで話しかけてくれるほうをあきらかに聞きたがるようになります。ぼんやりしたこだまより、はっきり聞こえてくる音をつかまえるほうがおもしろいし、
安心するからです。
ところで、赤ちゃんの耳には、大人のまねできない
能力もあります。
赤ちゃんは、
世界中で話されているどんなことばの音も聞き分けることができます。たとえば、日本人はよく
英語で「L」と∵「R」の
発音が
区別できないと言われます。フランス人は、「ハヒフヘホ」という音が出せません。そのほかにも、「ダヂヅデド」という音が出せない国など、国によってさまざまなことばがあります。しかし、赤ちゃんは、そのすべての音を聞き分けられます。赤ちゃんは外国語の天才といえるかもしれません。
赤ちゃんのときはだれでも、
世界中のことばを聞きわけることができ、声に出すこともできていたというわけです。けれども、赤ちゃんはそのうちに、自分のまわりでよく
使われていることばの音だけを
聞き取るようになってきます。
赤ちゃんのころには、「東京
特許許可局」や「
蛙ぴょこぴょこ
三ぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこ
六ぴょこぴょこ」なども、すらすら言えたのかもしれません。
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約六千五百万年前に
恐竜が
絶滅すると、
哺乳類が
急速に
繁栄しはじめました。
最初の
哺乳類は、今のネズミに
似ていました。
哺乳類は、
体温を
一定に
保つしくみを体の中に
持っていたので、いろいろな
環境で
暮らすことができ、多くの
種類に分かれていきました。
アフリカでは、サルの
仲間である
霊長類が、さまざまな
進化をしていきました。その中でも、森の中で
暮らしていた
霊長類が、
私たち
人類の
祖先だと言われています。
彼らは、
果物などを食べて、一日のほとんどを木の上で
過ごしていました。木の上は
食料がたくさんあり、
猛獣から
身を
守るのにも
都合がよく、
暮らしやすい
場所だったと考えられます。
森の木の上に
住んでいた
霊長類が、どのようにして
人類の
祖先に
進化したのでしょう。これについては、
次のような
説があります。
ちょうどこのころ、火山が
活発に
活動し、大きな
地震が
起こり、アフリカ
大陸を南北に
貫く「アフリカ大
地溝帯」が
形成されました。
富士山よりも
標高の高い、長い
山脈ができたことによって、その
東側はだんだん
乾燥し、もともとジャングルだった
場所が草原に
変わっていきました。
草原で生きていくために、
霊長類は木から下りなくてはなりませんでした。
豊かな森と
比べると、草原は
食料が少ない上、
猛獣にも見つかりやすく、おそわれる
危険がありました。
獲物をつかまえたり、
敵をいち早く見つけて
逃げるためには、より遠くを
見渡す必要があったのでしょう。草原で生活を
始めた
霊長類は、二本足で立って歩き
始めました。これが
人類の
祖先です。
直立二足歩行を
始めたことで、
人類の
祖先は、ほかのサルとは明らかに
違う道を歩み
始めました。
彼らは、
自由になった前足を∵手として
使うことができるようになりました。今から三百万年前の
猿人、アウストラロピテクスは、
石器を
使っていました。これが
道具の
始まりです。また、
約五十万年前の原人は、火を
使って生活していたことがわかっています。その後に
出現した
旧人のネアンデルタール人は、
死者を
埋葬する
習慣がありました。
約四万年前に生活していた新人のクロマニヨン人は、
現在の
人類とほとんど
変わらない
姿をしていました。
彼らはすでに
言葉を話し、
協力して
狩りや
漁をして
暮らしていたのです。クロマニヨン人は、ナイフ、刀などの
石器や、
美しく彫刻された
骨格器を作り、
槍や弓矢を
発明して
集団で
狩りを行なっていました。わなをしかけることで、マンモスやシカなどの
巨大な
獲物もつかまえることができました。
彼らの
暮らしていた
洞くつには、今も、
狩りの
成功を
祈って
描いたと思われる
動物の絵が
残っています。
このように、アフリカ大
地溝帯の
東側の
厳しい環境が、
人類の
祖先を生み出しましたが、
西側ではどうだったのでしょうか。
食料が
豊富なジャングルの中で
暮らしてきた
霊長類は、
現在まであまり
変わらない
姿を
保ってきました。これが、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなどの、
人類と
最も似かよった
生物とされている
類人猿です。
人間は木から下りることによって、サルと分かれました。しかし、今でも
昔の
時代が
懐かしくなることがあります。公園の木を見るとふと
登りたくなったり、木の上でキャッキャッと
叫んでみたくなったりするのはそのためです。
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