いかだコンティキ号の大冒険 読解検定長文 小3 夏 1番
南太平洋のまんなかの小さな 島にやってきた 学者のトール・ヘイエルダールはふしぎなことに気がつきました。 島の人たちが、その 島の 先祖はどこにあるかわからない遠い 場所からやってきたティキという 酋長だという 伝説を話してくれたのです。しかし、トールは、その 島からはるか 離れた南アメリカのペルーという国にも、 昔「コンティキ」すなわち「 太陽のティキ」という 酋長がいて、あとから来た人々に 追い出されて海をわたってどこかへ 消えたという 伝説があるのを知っていました。 島にあるティキの石の 像はほおひげをはやした白人の顔ですが、その 像もまた、ペルーにあるものとそっくりだったのです。そのころ、 南太平洋の小さな 島々の人たちは、いったいどこからやってきたのか、 謎とされていました。一方、ペルーにいた 伝説のティキの 民の白人たちがどこへ 消えたかも 謎とされていました。トールは、この二つは 結び付けられるのではないかとひらめいたのです。
大昔には、海を 渡る乗り物はいかだしかなかったので、この 島の人たちは、ペルーからいかだでここまで 渡ってきたにちがいない、とトールは考えました。アメリカに帰って、いろいろな 学者にその話をしましたが、だれも 信じてくれません。いかだが何 ヶ月も 沈まずに、 太平洋をわたれる? そんなばかな、とみんなは 相手にもしませんでした。
それなら 実際にいかだで 渡ってみよう、とトールは 決心しました。同じような 冒険好きの 学者が五人 集まりました。六人はペルーに行き、 大昔の人と同じように、まず自分たちで木を切っていかだを作りました。その木はバルサといってカッターでも切れるほどやわらかいため、今でも工作の 材料などによく 使われている木です。いかだには、竹で 編んで、バナナの 葉で 屋根をつくった 小屋をのせました。そして 昔と同じ 布の 帆をつけて、風を 受けて走るようにしました。 帆にはほおひげのある 神様「コンティキ」の絵をか∵いて、コンティキ 号という名前にしました。水は、 節をぬいた竹につめ、いかだのはしに何本もくくりつけておきました。 昔の人は、 干したイモとヤシの 実を 食料にのせたはずですが、トールたちは 食料だけは 現代のおいしいものものせました。
いかだは、何 ヶ月も 陸の 影ひとつ見えない青い大海原をぷかぷか 浮いて 進みました。いかだは 軽いので、 大波がきても 沈みません。しかも、 海面すれすれに 浮かんでいるので、朝 起きると魚たちがとびこんできて、朝ごはんに 困ることはありませんでした。魚たちはいかだを大きなサメか何かだと思って、何 ヶ月もついてくるようでした。六人の 仲間は思ったよりずっと楽しく 航海したのです。
そして、三 ヶ月目、コンティキ 号は 南太平洋の小さな 島を見ることができました。 最後の 危険は、 島をとりまく 暗礁です。 島には 暗礁にぶつかって 壊れたらしい船の 残骸がひとつ見えました。コンティキ 号も 島の 周囲の 暗礁にぶつかりましたが、 軽いのでそのまま上に 乗りあげただけで 済みました。こうしてトールたちは、いかだでペルーから 南太平洋まで 旅をすることができる、ということを 証明したのです。
「トールさん、いかだに 乗った六人の 仕事の 分担はどうしたのですか。」
「それは、ティキ 材ティキ 所で。」
※南米 大陸の 太平洋側には強力なフンボルト 海流が 流れているため、 古代人がいかだで 南太平洋まで 航海したということについては 疑問視する声もあります。しかし、 実験によって 学説を 証明しようとしたヘイエルダールの 業績は高く 評価されています。
言葉の森 長文作成委員会(λ)
印象派の光 読解検定長文 小3 夏 2番
みなさんは空の絵をかくとき、何色でかきますか。ふつうは空色、つまり 薄い青色にするのではないでしょうか。しかし、もしかすると、ある人は、 昨日の 夕焼けの空を思い出してきれいなオレンジ色にするかもしれません。
確かに、空の色は 時刻によっても、天気によっても 変わります。空だけではありません。木でもベンチでも人の顔でも、その時々でいろいろな色合いに 変わります。では、その時々の色を 決めるのはなんでしょうか。
それは光です。 物は、光との 関係によってさまざまな色合いに 変化します。 特に、外の 景色は 太陽の光をじかに 受けているので、一日のうちでもさまざまに 印象を 変えます。この光というものを大切に考えて、 自然の 姿をそのまま絵にしようと考えたのが、 印象派と 呼ばれる 芸術家たちでした。
印象派とは、十九 世紀の後半にフランスで 起こった画家を中心とするグループです。それまでは、時間をかけてかきこんだ 重々しい作品がよいとされてきました。そのため、 一瞬の 輝きをとらえてすばやく 仕上げる印象派の絵は、 最初単なるスケッチにすぎないと見られていました。 印象派の 最初の 印象は、あまりよくなかったのです。
しかし、 印象派の人たちは、 実はしっかりした科学 的な考え方にもとづいて 制作をしていました。そのひとつが、 シュヴルールという人の色の考え方です。 彼は本の中で、となり合う色がおたがいに 影響しあって、いろいろな見え方になることを 説明しました。そしてとなり合う色どうしが 違えば 違うほど、より大きな 効果があるとしました。
例えば、赤と 緑、黄と 紫などは、 最も違う色合いで、このような色の組み合わせを 補色の 関係と 呼びます。 補色を 並べてみると、目がちかちかするような 効果を生みます。青っぽい色は 奥に∵ 引っ込み、赤っぽい色は前に 飛び出してくるようにも見えます。
その 印象派の画家たちの中で中心となったのが、クロード・モネです。モネは、 移ろいやすい光や 自然の 鮮やかな色を、だれよりも 深く追い求めました。
それまでの絵は、 絵の具を 混ぜることによってさまざまな色を作り出していました。 絵の具は 混ぜ合わせれば 混ぜ合わせるほど、明るさがなくなっていきます。 絵の具の 筆を 洗っていると、水がどんどん 暗い色になっていくことを知っている人も多いでしょう。 印象派以前の絵は、 暗い部分に 影をつけることによってものの 奥行きを出していたので、絵が 更に暗く重い感じになっていました。
モネはこうした 暗い絵を 嫌いました。そして、光に 溢れたみずみずしい 景色を 描くために、新しい 技法を 使いました。ある色を作るのに、 絵の具を 混ぜ合わせるのではなく、 純粋な色を数多くの点としてとなり合わせるように 描いたのです。こうすると、 離れて見た場合、それらの色が 混ざり合って見えます。しかし、 絵の具を 混ぜて 使ったときよりもはるかに明るい色になるのです。モネは、となり合う点どうしを 補色の 関係にするなど、いろいろな 工夫を 重ねました。こうして、モネの絵は、 自然の風や 太陽のあたたかさまで 感じさせるようなものになっていったのです。
最初は 受け入れられなかったモネの絵も、 次第に多くの人に 認められるようになりました。今その光 溢れる絵は、 世界中の人々から 愛されています。
「モネさんのような絵を、 印象派の絵と言ってもイーンショウか。」
「うん、いいかモネ。」 言葉の森 長文作成委員会(α)
時間の不思議 読解検定長文 小3 夏 3番
私たちは時間がいつも同じように 流れていくことを 信じて 疑いません。時間は 常に同じ 速さで 未来へ 向かって 流れ続け、 場所によって 変わったり、 季節によって 変わったりすることなどあり 得ないと思っています。
しかし、アインシュタインのとなえた 相対性理論によれば、時間というものは 絶対のもの、つまり 普段私たちが考えているように 確かなものではないのです。 重力や空間などとの 関係からさまざまに 変化してしまう、 意外にも 頼りない 存在のようです。
この 理論では、 速い速度で 動いているものの時間は、止まっているものの時間より 遅く進みます。ただ、この場合の「 速い」というのは、光の 速さに近い 超高速ということです。
たとえば、 光速の九十パーセント、 時速九 億キロメートルで 飛ぶロケットがあるとします。それは ジェット機の 約一万 倍のスピードです。このロケットに 乗っている人には、 地球上よりも時間がゆっくりと 流れます。この場合、ロケットの中での一年は、 地球での二、三年分に当たります。もし、本当にそんなロケット 旅行をしたら、「行ってきまあす」と言って一年後、家に帰ってみると、なんとひとつ年下のはずの弟より 若くなっていた、ということが 起こります。これが何十年も 宇宙旅行をしたなら、どうでしょう。 地球に帰ってはきたものの、知った顔はだれもなく、まさに 浦島太郎になった気分でしょう。
また、ブラックホールでは、あまりにも強力な 重力のために、時間も空間も大きくゆがんでいると言われています。 例えば仮に、 勇気のある人がブラックホールに 飛び込んだとします。そうすると、その人にとっては 吸い込まれていく数 秒のことが、遠く 離れた 地球から見ると、数千年も数万年もの時間になるのです。数万年という長さは、人間にとっては 無限に近い、つまり時間が止まっているのも同じということで、ブラックホールは「 凍りついた星」と∵よばれることもあります。
しかし、ロケット 旅行やブラックホールなどは、 普通の生活からはかけはなれたことです。では、 相対性理論とは、 私たちには 関係のない本の中だけの話でしょうか。
最近目にすることの多いカー・ナビゲーションは、人工 衛星からの 電波を 受けて、車の 位置を計算するシステムです。ところで、人工 衛星は 地球上に 比べるとはるかに 重力の弱いところを、しかも 高速で 飛んでいます。ということは、 地球とは時間の 進み方が、わずかにずれているということです。そこで 登場するのがこの 相対性理論です。これによって時間のずれは直され、カーナビは正しい車の 位置を教えてくれます。
ところで、このような 難しい理論を考えるまでもなく、人間の 意識の中で、時間は 自由に 伸び縮みします。 友達と 遊ぶ楽しい時間はあっという間に 過ぎるのに、お 説教を聞いている時間は 無限に長く 感じる、というのはよくあることです。また、 昔住んでいた家のことをはっきりと思い出したり、十年後の 格好いい自分の 姿を 思い描いたりなど、頭の中で時間は 自由に 流れます。
目に見えず、手で 触れることもできないのに、 感じられ、 信じられる時間。しかし、あたり前だと 思い込んでいるものの正体を 疑ってかかると、 世界はまた 違った顔を見せてくれるかもしれません。
「 光速に近くなると、 世界の 様子は 違って見えるのですね。」
「ソウ。タイセイつなのは、これまでの見方にとらわれないことじゃ。」
言葉の森 長文作成委員会(α)
海の塩の秘密 読解検定長文 小3 夏 4番
海水は 塩辛いもので、 私たちはそれを当たり前のことだと思っています。 実際、そこに 含まれる 塩分は 大変な 量です。海水をすべて 蒸発させ、 残った 塩分を 陸地に 敷きつめると、百五十メートルもの 厚い層ができると言われています。この 大量の 塩は、一体どこから来たのでしょうか。
塩分のふるさとのひとつは川です。 地球上に 存在する川の大半は 淡水なので、これは 意外な 感じがします。雨が 降ると水が地中に しみ込んで、土の中にあるミネラル分を 溶かします。このミネラル分の中に 塩分が 含まれています。 溶け出した 塩分は、川によって海まで 運ばれます。ただ、 淡水の川に 含まれる 塩分はごく少ないので、なめても 塩辛いとは 感じません。
塩分のもうひとつのふるさとは、 海底火山です。 活動する 海底火山の 爆発や 熱水の 噴出によって、地中からミネラル分が 放出され、その中に 含まれる 塩分が海水に 溶け込むのです。
このように、 塩はいろいろなところから海を 目指してやって来ますから、海には 塩がたまる一方のように思えます。その上、海からはどんどん水分が 蒸発しミネラル分だけがあとに 残ります。これでは、 塩分がどんどん 濃くなっていったとしても 不思議ではありません。しかし 現実には、海水の 塩分濃度は、ほぼ 一定です。つまり、 増える分と 減る分とがうまく 釣り合っているのです。では、 塩分は一体どこへ行くのでしょう。
まず、海の 生物が 塩を体の中に 取り込みます。 例えばサンゴやエビ、カニなどは、 硬い殻を作るために 塩類を 必要とします。これらの 生き物が 死ぬと、その 殻に 含まれていた 塩類は 海底にたまります。こうして 塩分の 一部は 取り除かれます。このようにして、海水中の 塩分は、 増える量と 減る量のバランスがとれているのです。
では、この 海底にたまった 塩分はどうなるのでしょうか。 海底を∵ 含む地殻は 巨大なプレートで 成り立っています。それらのプレートは少しずつ 移動し、二つ 以上のプレートが出合うところでは、一方が 隣のプレートの下に 入り込みます。 沈み込んだ 海底は 高温のマントルの中で 溶けていきます。 当然、 海底にたまっていた 塩分も 一緒に 溶けてしまいます。
地中から海へ、そしてまた地中へ。 塩は、この 壮大な 旅を気の遠くなるような年月の間 繰り返してきました。今日の 一杯のお 味噌汁にも、 塩分の長い 旅の 歴史が 刻まれているのです。
「 塩分さん、 最初の生まれはどこなんですか。」
「 実は、スーパーの 食品売り場なんだよ。」
「うそでシオ。」
言葉の森 長文作成委員会(Μ)
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