今、地球上には 読解検定長文 小3 秋 1番
今、 地球上には、百五十万 種類を 超える生物がいます。そのうちの八十万 種類が 昆虫で、四十万 種類が 動物で、 残りの三十万 種類が 植物です。もし、 世界が十 種類の 生物の村だったら、五 種類が 昆虫で、三 種類が 動物で、 残りの二 種類が 植物ということになります。 昆虫の 種類がずいぶん多いということがわかります。もしかすると、 昆虫がこの 地球でいちばん元気よく 暮らしていると言えるのかもしれません。そう言えば、ゴキブリなどは、元気のかたまりのようです。
生物は、 約三十 億年前に 原始的な 生物から 進化してきました。 進化の 過程で 絶滅した 生物も 含めると、今の 生物の 種類の百 倍、一 億五千万 種類もの 生物がいたと 推定されています。
どの 生物も自分が生きるのに 都合のよい形をしています。 例えば、キリンは首が長いので、遠くにいる 敵を見つけたり、高い木の 枝の 葉を食べたりすることができます。ゾウは 鼻が長いので、自分の 鼻をホースがわりにしたり、 鼻を手のように 使ったりすることができます。三グラムしかないジネズミは、自分の小ささをうまく生かして生きています。 逆に百三十トンもあるクジラも、自分の大きさをうまく生かしていきています。このジネズミとクジラがシーソーをしたとすると、つりあいを 取るためには、一頭のクジラの 反対側に、四千万 匹以上ものジネズミがぶらさがらなければなりません。これぐらい 違いのある 生物がそれぞれ、自分の 長所を上手に生かして生きているのです。
このように多くの 種類の 生物がいる 理由を、 昔は、 神様が作ったからだと考えていました。しかし、いくら 神様でも、百五十万 種類もの 生物を作るのは 大変です。それでも、 昔の人は、 神様ならそういう 神業ができると考えていたのです。
十八 世紀に、ゾウの 化石を 研究した 学者が、 生物の中には 既に絶滅したものがあるということを 発見しました。ラマルクは、この∵考えを 発展させて、 生物の 種が 変化するという 説を 述べました。 例えば、キリンは、高いところに生えている 葉を食べるために、首を長く 伸ばしているうちに、今のようなキリンになったと言うのです。
しかし、この 説には 重大な弱点がありました。 確かに一頭のキリンの一生 に関して言えば、高いところの 葉を食べようとしているうちに、だんだんと首が長くなるということは言えるかもしれません。しかし、その首の長さがそのまま 子供に 受け継がれるかどうかということはわかりません。
みなさんのお父さんやお母さんが 子供のときにしっかり 勉強してくれたおかげで、あなたは生まれつき何でも知っていたということになれば、これほどいいことはありません。しかし、 実際には、あなたはあなたでまた 最初からお父さんやお母さんがしたのと同じ 勉強をしなければなりません。こういうことを見ると、親の 獲得した 能力がそのまま 子供に 受け継がれるということはないようです。
ラマルクの 説を 批判する 学者は、 次のような 実験をしました。まず、ネズミのしっぽを 短く切ってしまいます。ネズミにはかわいそうですが、しっぽだけなので 命には 別状がなかったというところが少しほっとするところです。このしっぽを切ったネズミから生まれたネズミのしっぽも、また 短く切ってしまいます。このようにして、何 代もしっぽを 短く切ったにもかかわらず、生まれる 子供はいつもしっぽの長いネズミでした。
しかし、この 実験は、ラマルクの 説を 批判するにはあまり 確かなものとは言えませんでした。なぜなら、ネズミは自分から 進んでしっぽを 短くしようとしたのではなく、 無理矢理しっぽを 短くさせられたからです。この 実験のために何 匹ものネズミのしっぽを切った 学者は今ごろ、「しっぽの 実験はしっぽい( 失敗)だったなあ」と思っているかもしれません。
言葉の森 長文作成委員会(Σ)
ダーウィンのお父さんとおじいさんは 読解検定長文 小3 秋 2番
ダーウィンのお父さんとおじいさんは、 医者でした。ダーウィンも 最初は大学の 医学部に入れられて 勉強をしていました。しかし、ダーウィンは、 成績が 悪く、やる気が見られませんでした。見かねたお父さんは、ダーウィンを 医者にすることをあきらめて、 牧師になるための大学に入れなおしました。しかし、ダーウィンはここでも 牧師の 勉強には 関心がなく、 博物学という 動物や 植物の 勉強にばかり 夢中になっていました。
やっと大学を 卒業したダーウィンは、 今度は 海軍の 測量船に 乗って 世界中を見て回ることにしました。お父さんは、船で 世界一周することなどはもちろん大 反対です。しかし、 周りの人の 助けも 借りて何とかお父さんを 説得したダーウィンは、それから五年間、ビーグル 号に 乗って 世界中を 探検しました。
南米のガラパゴス 諸島で、ダーウィンは 不思議なことに気づきました。ガラパゴス 諸島の 島と 島の間には 速い海流が 流れていて、 動物たちが行き来することができません。そのような 閉ざされた 島にすむ 動物たちは、 島ごとに 姿形が 変わっていたのです。 例えば、ヒワという鳥のくちばしが、ある 島では 昆虫を食べるのに 都合よくできているの に対し、ほかの 島では 植物を食べるのに 都合よくできているというようなことです。
ダーウィンは、この 観察をもとに、 自然淘汰という考えを作り上げました。つまり、それぞれの 環境に 適したものが 生き残り、 適さないものが 淘汰されることによって、だんだんと 種が 進化していくという考え方です。
当時の人々は、 生物の 種は 神様が作ったもので 最初から 完全な形であり、 進化することなどはありえないと考えていたので、ダーウィンは多くの人から 批判されました。 更に、ダーウィンが、 進化論を人間にあてはめて、「人間もサルから 進化した」と 述べると、∵ 批判は 更に大きく広がりました。人間が 神様から作られたものだという考えと、サルから 進化したものだという考えでは、天と地ほどの 差があったからです。
しかし、ダーウィンの考え方は科学 的で、だれもが 納得せざるをえない 根拠を 持っていたので、 次第に多くの人が 認めるようになりました。
ところが、この 進化論にも弱点がありました。それは 第一に、 環境に 適したものが 生き残るという考え方で 説明するには、 生物の 種類があまりにも多いということです。もし、ライオンが 地球の 環境に 最も適していたとすれば、ほかの 動物は 全部ライオンとの 生存競争に 負けて、 地球上にはライオンしかいなくなってしまってもおかしくありません。 地球の 環境に 最も適しているものがラッコだったらもっと 大変です。右を 向いてもラッコ、左を 向いてもラッコで、どこを見てもラッコラッコラッコラッコラーッと、いつの間にか 怒られているようです。
進化論の 第二の弱点は、 自然淘汰だけで 進化を 説明しようとすると、鳥のくちばしの 変化ぐらいまでは 説明できても、アメーバが魚になり、魚が 爬虫類になり、 爬虫類が 哺乳類になるというような大きな 変化は 説明しにくいということです。
進化論の 第三の弱点は、 進化論そのものよりも、その 進化論を 利用した社会の 問題でした。 進化論は、 欧米諸国がアジアやアフリカを 植民地にするときに、その 裏づけとなる考えとして 利用されました。つまり、白人は 最も優れていて、 有色人種はそれよりも 劣り、その 有色人種よりも 更に劣っているのがサルだという考え方が、白人の 支配を正当 化したのです。
このような弱点はあったものの、ほぼ一人で 進化の 全体像を考え出したダーウィンは、人間のものの見方を大きく 前進させたのでした。 言葉の森 長文作成委員会(Σ)
藤原道長は 読解検定長文 小3 秋 3番
藤原道長は五番目の子だったので、父の 位である 摂政や 関白を 継ぐことができるとはだれも思っていませんでした。しかし、 子供のころから 負けず嫌いで、気が強く、また 胆のすわったところのある道長は、のちに 強運も 手伝って、 事実上、 天皇以上の 権力を 持つ摂政・ 関白の 位につき、 全盛をきわめました。そして、ほこらしげに「 この世をばわが 世とぞ思う 望月のかけたることもなしと思えば」( この世は 私の 世だと思うよ。今日の 満月のように 欠けているところがないと思えば)という歌をよみました。 権力をほしいままにした道長は、 莫大な 財産を 持っていたので、それを生かし、 貴族の 文化、 平安文化をささえました。 漢詩や 和歌、 絵巻物、そしてかな文字による文学は、この 時代に大きく 発展しました。 紫式部の「 源氏物語」や 清少納言の「 枕草子」などもこの 時代の 作品です。
さて、 子供のころの道長はどんなふうだったのでしょう。兄たちとともに父の前に 呼ばれた時のことです。父 兼家は、できのよい 公任という自分のいとこの 息子を引き合いに出し、「お前たちは、 公任のかげもふめんぞ」と 叱咤激励しました。兄たちは、うなだれて聞いていましたが、道長だけは、「あいつの 影なんか、たのまれてもふむもんか。 私だったら、顔をふんづけてやる」と言ったそうです。なんという 負けん気の強い 性格でしょう。
また、道長は十七 歳の時、 仕えていた 天皇の 発案で 肝試しをしました。雨のふりしきる 真っ暗な夜、 怖い話を聞いた後、 天皇は、そこにいた三人にそれぞれ 違う場所に一人でいってくるように言いました。 他の二人はおそるおそる出かけたと思ったら、すぐに「ぶきみな声が聞こえた」とか「 怪物が出た」などと 叫びながら 舞い戻ってきました。道長はと言うと、 指示された 大極殿という 場所に一人で行き、 証拠として 柱の木を小刀でけずりとってきたのです。ま∵さか、一人で行けるまいと思った 天皇が 翌日調べさせてみると、 削り取った 木片はぴたりと 柱のえぐれた 部分に合いました。 天皇はその 勇気におどろきました。
このように、 積極的で 怖いもの知らずの道長は、人生を 前向きに生きるすべを 幼いころから知っていたかのようです。だからこそ、 強運を 呼び込むことができたのでしょう。父の後を 継いだ一番上の兄 道隆は、 関白になったものの 伝染病で 亡くなってしまいました。その兄の後を 継いだ 次の兄 道兼もまた同じ 伝染病で、 関白になってたった一週間で 命を 落としました。時の 天皇はそのあとの 関白を 決めるのに 迷っていました。すると、 天皇の母が、自分の弟でもある道長を強く 推薦しました。
出世する道は長いと思っていた道長でしたが、三十 歳のころには 政府の 第一人者となっていました。「 望月」の歌は道長が五十三 歳のころに 詠んだものです。
言葉の森 長文作成委員会(φ)
寝る子は育つ 読解検定長文 小3 秋 4番
「 寝る子は 育つ」ということわざがあります。 昔の人は 理屈でなく 経験で 理解していたのでしょうが、このことわざのとおり、 寝る子が 育つのには科学 的な 根拠があるのです。日の出とともに 起き、日の入りとともに 眠るような 時代と 異なり、 現代の人々は夜も 活動を 続けています。ですから、大人はもちろん、 子供が 眠りにつく時間も年々 遅くなる一方です。しかし、夜 更かしは 健全な 成長のためにも 勧めることはできません。たとえ 遅く寝たとしても、 ある程度の 睡眠時間を 確保できればいいのだろうと思うかもしれませんが、そうではありません。 睡眠も、 量より 質が 問題になってくるのです。 睡眠の場合、 眠りに 就く時間が 重要なポイントになります。「 早起きは三文の 得」ということわざがあるのも、 実は納得できる 理由があるのです。
それでは、どうして 遅く寝るのはいけないのでしょうか。 睡眠中には大切なホルモンが 分泌されます。 成長期の子どもたちに 最も重要なのが 成長ホルモンです。このホルモンは夜九時から二時くらいの間に 盛んに 分泌されます。ホルモンは夜中に出るもん(出るもの)なのです。ですから、この時間には 眠りに 就いている 必要があります。 成長ホルモンの 主な 働きは、 骨の 成長を 促し、 筋肉を作る たんぱく質の 合成を 助け、日中 活動して 痛んだ 細胞を 修復することです。名前のとおり、体の 成長に 欠かせないものと言えます。
ほかにメラトニンというホルモンも 忘れてはなりません。このホルモンは 暗くなると 分泌される 性質があり、電気を 煌々と 灯した明るい 部屋で夜 更かしをしていると 分泌量が 減少してしまいます。メラトニンには人間の 自然な生活のリズムを 整える働きや、 酸素の 毒性から体を 守る働き、それに 加えて 免疫を 強化する 働きがあります。∵
遅く寝た場合、これらのホルモンが十分に 分泌されず、体に 支障をきたす 恐れがあります。このことから、 健康な体を 維持するためには、早く 眠りに 就き十分な 睡眠時間を 確保することが大切だとわかります。
睡眠には 深い眠りと 浅い眠りがあることが知られています。 浅い眠りでは 脳はまだまだ 活動しています。日中のできごとを思い出し、 記憶として 定着させています。ですから、日中いっしょうけんめい 勉強したことが、 浅い眠りを通して 記憶として 定着するわけです。
浅い眠りと 深い眠りは九十分ごとに 入れ替わると考えられていますが、 眠りに 就く時間が 遅く睡眠時間が少なくなった場合は、 眠りのほとんどを 深い睡眠が 占めてしまいます。というのも、 脳に 休養を 与えるという、人が生きていくうえで 重要な 眠りが 深い眠りだからです。 睡眠時間が足りなくなった場合は、 浅い眠りの出番はなくなってしまうのです。
毎日 深夜まで 勉強していると、かえって 脳を 痛めつけることにもなりかねません。せっかくの 努力を 無駄にしないためにも、また 効率よく 学習の 成果をあげるにも、早い時間に 床に 就き能率のよい 睡眠をとりましょう。
言葉の森 長文作成委員会(ω)
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