その夜も洗面所で 読解検定長文 小4 冬 1番
その夜も 洗面所で歯ブラシを使っていたら、ガラス戸いちまい向こうの 風呂場で、子どもたちが、 喋っていた。
まず中学一年の 兄貴が、少し大人っぽい口調ではじめる。
「うちのとうちゃんは、このごろ、ちょっと、おかしいと思わんか。」
「そうや、そうや。」
だいたいがイエス・マン風の小学四年の次男は調子がいい。
「とうちゃんは、自分で、子どものことが 専門や、子どもの味方やと、いばっとるけど、とうちゃんのいう子どもとは、よその家の子どものことと 違うか。」
「そやそや。ぼくら、うちの子を、あまりかわいがってくれへんわ。」
「帰ってくるのが 遅い、いうのが、第一まちがっとる。それに、よう 外泊しよる。」
「日曜でも、あれは何や。仕事です 原稿かきます、とか何とかいうとるけど、自分の部屋で、ぐうぐう 眠っとるのやで。どこにも 連れていってくれへん。」
「つまり、とうちゃんのいうとる子どものなかには、ぼくらは、はいっとらん、いうわけや。」
やつらはなかなか手きびしい。
なるほど、わたしはあまり早く 帰宅するとはいえないし、帰らない日も少なくないのである。
( 中略)
そのときは、それで終わったのだが、やがてしばらくすると、わたしの部屋へ、そろってやってきたのである。というより、 兄貴の方が、あまり乗り気でない次男をひきずって、いわゆる 団体交渉にきたものとみえる。
「おとうちゃんに、聞くけどな。」
兄貴から、きりだしてきた。
「まい 晩おそいのは、仕事や、というとるけど、何の仕事しとるのや。」
「まだ、わかっとらんな。とうちゃんはな、何十万、何百万という子どもたちのためにな、 骨をおって、りっぱな 影絵やらアニ∵メーションやらの 製作をしとるのやぞ。」
おとなげないと思ったが、わたしも 紋きり 型に、 胸を 張ってみせた。もちろん、わたしが 遅くなるというのは、こういうことだけではないのだが、 勤めのことや研究室の仕事など 説明してみても、はじまらない。 彼ら向けの言い方をしてしまう。
「いいか。世のなかの子どもたちは、とうちゃんの仕事のおかげで、どんなに、たのしい目をしとるか、わからんのやぞ。」
だが中学一年ともなれば、こういうハッタリじみたこけおどしには 降参しない。
「何十万何百万のよその子どものために、ぼくらギセイになってもええというのか。」
ときた。やはり 焦点のあった、つくべきところは、ちゃんとついているという感じである。しかし、ゆきがかり上、わたしも、ひきさがるわけにはいかない。
「ゼイタクをいうな。そんなとうちゃんと、同じ家で住んでいられるだけでも、ありがたい、 名誉あることやと思って、よろこべ!」
このへんは、いうまでもなく 漫才のつもりなのだが、急に、これまで 黙っていた次男が口を出した。
「そうやそうや。ぼく、おとうちゃんの言うのん、正しいことやと思う。」
わたしは、ちょっとドギモをぬかれたように、次男の顔をみた。次男は相当気弱な子どもで、さきほどの 風呂場でのやりとりを、わたしに聞かれたことに、よほど負い目を感じているらしい。
そういう、しおらしさが、かわいそうになって、
「弟のほうが、ずっと、ものわかりがええやないか。」
適当にほめてやると、 兄貴はフン 然と 席をたった。
「 裏ぎりもんめ。おまえは、すぐ、とうちゃんに、ごまかされよる。話にならん。」
そして、どんどん二階の勉強部屋へ 駆けあがってしまった。
そんな 兄貴のようすをながめながら、次男は気のいい小さな 笑いをみせた。
「こいつは、かわいいやつや。」∵
わたしは頭をなでてやりたいくらいだったが、 彼の作文を 担任の先生に見せられて、あきれかえった。
ぼくのおとうちゃんは、おおげさで、にぎやかで、しりたがりやで、おこりんぼです。
こういう書きだしで、その一 項ずつ 実証するかのように、具体 的な事実を、ぬけぬけと書いているのだ。
たとえば「おおげさ」という 条は、こういう調子である。
影絵なんかするとき「これは日本一のスクリーンでやってんのやぞ」と、ものすごく、いばった顔つきで、いいます。京都会館でみると、きれいやなあと思うけど、ほんまに日本一やろかと思います。
また、七度五分ほど 熱がでると、「へんとうせんで、こえがでない」といって、大きなスズを、リンリン、リンリン、何べんもならします。
八度五分ほど、 熱がでたら、「ユイ言じょうを書く」いわはります。
ぼくは、びっくりして、心ぞうが、ドキドキしましたが、おかあちゃんは、平気でごはんを食べています。
バカらしいから、このあとは引用しない。しかし、とんでもないところで 闇討にあったみたいな、こころおだやかでない 変な気持ちである。
しかも次男の 担任の先生は、まじめくさって、ほめあげてくれるのである。
「さすが、おとうさんに 似て、するどい 観察をする子どもですよ。たのしみですなあ。」
たすけてくれ。
(中川正文「次男の 観察」)
ビルや道路 読解検定長文 小4 冬 2番
一九九一年の 湾岸戦争では、原油が海にながされ、海で生きる動物たちがたくさん死にました。
また、空から落とされた 爆弾で、ものすごい 量の石油が 燃えて、大気をよごしました。
「人間たちは、どこまでやるつもりなの? まいったなあ。」
さすがの 自然も、 最近の 人類のめちゃくちゃぶりにはこまりはてていたにちがいありません。
「もう、がまんできないぞ!」
自然が、 怒ったのだと思います。
「ここでやめないと、もっとひどいことがおこるよ。」
それとも、 自然からの 警告でしょうか。
地球 規模の 温暖化、オゾン 層の 破壊、 酸性雨は、 怒った 自然の大 逆襲かもしれません。
自然がいかにだいじかは、ぼくがおとなになってから気づいたことです。子どものころは、おとなたちが、「花がきれい」とか「空がきれい」などといっているのを聞いても、そのよさがよくわかりませんでした。子どものぼくには、おもちゃで遊んだり、 お菓子を食べたり、 友達と遊んだりすることが楽しかったので、 自然のことはぜんぜん考えていなかったのです。
でも、年をかさねておとなになるにつれ、 自然のことが気になるようになりました。
「春かあ。そろそろサクラがさく 季節だなあ。」
季節によって 移りかわる 景色を見ると、「いいなあ」と思うようになりました。
ぼくが 自然に 興味をもつようになったのは、仕事も大きく 関係していると思います。
お天気は、 自然現象そのものです。ぽかぽかとあたたかくておだやかな春、太陽がかっと 照って暑い夏、長雨がしとしととふる秋、北風が 吹いて寒い夜……。天気 解説をしていると、 季節のうつりかわりがとてもよくわかります。
季節のうつりかわりは、とても 不思議できれいです。気持ちをほ∵っとさせてくれます。
また、お天気の仕組みがわかってくると、ぼくたちにとって、空がとてもだいじなものだということがわかってきました。
「 自然の仕組みはすごいな。スケールが大きいな。」
「きれいな 自然をこれ 以上、こわしちゃいけないな。」
いつしか、そんなふうに強く思うようになりました。
みなさんは、 自然について、どんなふうに考えていますか。もしかすると。子どものころのぼくとおなじように、あまり 興味がないかもしれません。
よーくわかります。ファミコンとかサッカーとか、おもしろいことがたくさんあるでしょうから。
でも、きっといつか、 自然を「きれい」と感じたり、「 自然はたいせつにしなければ」と思ったりするときがくると思います。そのとき、空や空気がよごれていて、緑がなかったら、とても悲しいと思います。
みなさんに、そんな思いはさせたくありません。
「それじゃあ、どうしたらいいんだろ。」
いろいろ、考えてみました。
社会がここまで 発展してしまうと、 自然をまったくいじらないというのはむりです。でも、いじらなくてもいい 自然もたくさんあるはずです。そういうところは、開発してはいけない。これからの 人類には、「 節度」というものがだいじなのです。
ぼくたちおとなが、みんなの世代のためにできることがあるとすれば、たぶん、そういうことです。
そして、だまっていては何もかわりません。
「海に人工 的に 海水浴場をつくるのはしかたがないけれど、 自然の海岸線をこわしてどんどん大きなホテルを 建てる必要が、ほんとうにあるのでしょうか。」
「ゴルフ場はもうたくさんあります。これ 以上は、つくらないでください。」
みんなが声をだして、きちんといっていくこともだいじだと思います。
(森田正光「森田さんのおもしろ天気 予報」)
住居の形態も 読解検定長文 小4 冬 3番
住居の 形態も、近所づきあいも、教育も、社会のしくみが、むかしとくらべて、ひととひととがふれあって生きにくくなっているのは事実だ。だからといって、 個室にこもってしまったら、ますます友だちなんかできるはずがない。ひととつきあうということは、出会うことから始まる。 実際に出会って、ああこのひとが 好きだとか、きらいだとか思うわけだ。
自分だけの 個室にいれば、だれも 文句をいわないし、いやな人間もいないし、 居心地はいいかもしれない。でも、それは、あぶないことやいやなことをさけるシェルターにこもってしまうようなものだ。 無菌培養でも、おとなにはなれるだろうが、ときには外部の 菌にまみれて、 免疫をつけていくことも大切だ。それが、人間としてのほんとうの勉強だ。
( 中略)
友だちができない、という人生相談には、ぼくは、
「それは、キミ自身が悪いんだ」
そう答えてきた。自分で、カラをこしらえているのが悪い。カラをつくって、自分の世界にとじこもって、心の 個室までつくってはいけないんだ。自分の世界だけでなく、他人のことにも 興味をもたないとね。
ひととうまく 接していくには、 話術も大切だ。ひととひととのふれあいは、話すことから始まるのだから。まだ、きみたちは 若いから、 話術がじゅうぶんでないかもしれないが、今のうちに、どんどん 恥をかきながら、それをみがいていけばいい。でも、 個室で、パソコンを相手にしていたら 話術などみがけるはずないよ。
もちろん 仲間とつるんで行動して、一見、友だちがいっぱいいて楽しそうに見える子どもたちもいる。しかし、ほんとうに心の通じあいみたいなものはあるのだろうか。
最近、カラオケボックスが人気だが、 若者の様子をのぞくと、だれかがうたっているかたわらで、ほかのひとは、めいめいにカラオケの本をめくって、自分のうたう曲をもくもくとさがしている。だれもひとの歌をきいてもいなければ、まったく話をしてもいない。∵会話なんて、 存在していないようだ。あれでは、べつに友だちでなくとも、知らないひとといっしょだって同じことだ。
ぼくの目には、みんな同じグループのなかにいながら、それぞれが目に見えない 個室にとじこもっているように見えてしまう。あんなことをやっていて、楽しいんだろうか。あまり話しなれていないから、そのほうが、きっと楽なのだろう。デートのときも、あんな調子なのだろうか。なんだかとてもさびしい気がする。
若いきみたちには、どんどんいろいろなひとと会ってほしい。たくさん友だちをつくって、人間の勉強をしっかりしてほしい。 将来、社会に出たときに、 映画の「モダン・タイムス」みたいに、 単なる機械の歯車のひとつとして、もくもくとはたらくしかない、ということにならないためにも。
歯車になりきれず、人間 性の 欠如した社会で落ちこぼれたチャップリン 扮する労働者は、同じように社会からはみだしてしまった自分の 彼女に向かって、
「Buck up never say die、We’ll get along」
「元気を出すんだ、死ぬなんていっちゃだめ。うまくやっていけるさ」
そういってはげます。
そう、人間 性をもったひとは、きっとうまくやっていけるのだ。だから、ひととの出会いを大切にして、自分のことをどんどん話し、相手の話にも耳をかたむけることだ。そのためには、ひとに 好かれるような 素敵な人間でいることもわすれないでほしい。
ぼくは、子どものころから、いっぱいあそんで、いっしょうけんめいに仕事をして、 大勢の友だちと出会った。子どものときに、友だちとあそんだから、今も、たくさんの出会いがあるのだと思う。 無理をして体をこわしてしまったこともある。コツコツお金をためていたら、今ごろ、大きなビルがたっていたかもしれない、と思うこともある。
それでも、ぼくは、お金がふえるより友だちがふえるほうがいい。そのほうが人生は楽しい。だから、これでいいのだ。
( 赤塚不二夫「学校よりも人間の勉強がだいじなのだ」)
ゆたかみーつけっ 読解検定長文 小4 冬 4番
「ゆたかみーつけっ。真理子みーつけっ」
ひろしがさけび、みんないっせいに走りだした。 駐車場をとびだすと空気がうす青く、もう夕方がはじまっている。わーっという 歓声があがり、ひろしがカンをけって、今度はゆたかが 鬼になる。
カポーン。あちこちへこんだあきカンが、まのぬけた音をたててもう一度けられ、 鬼をのこしてみんなかけだした。 時夫は、T字路まで走って思い出したように立ちどまり、くるっとうしろをふりむいた。
「やっぱり」
やっぱり、だった。青屋根のたてものの 窓から、きょうもおばあさんが見ている。青屋根のたてものは、そこからへい一つへだてたキャベツ畑のむこうにあった。
「オレ、ぬける」
ぽつんと言って、 時夫はへいによじのぼると、ひょいととびおりた。ほこっと土のにおいがする。
「おい。どこ行くんだ。 養老院だぞ」
背中ごしにゆたかの声がした。その青屋根には、ボケてしまった 老人がたくさんいるので、 子供たちはこわがってちかよらないのだ。 若い女の人の血をすって生きているおばあさんがいるとか、 子供の肉でつくったハンバーグが大 好物のおじいさんがいるとか、いろんなうわさがあった。
この 養老院では週に一度、 老人たちに 看護婦さんが何人かつきそって、 散歩に行くことになっていた。 時夫とおばあさんが出会ったのも、そんな 散歩の時だった。もう一 ヵ月ほど前になるだろうか。川ぞいの道でお父さんとキャッチボールをしている 時夫を、おばあさんは土手からながめていた。
「行くぞ、 時夫」
お父さんがそう言ったとき、やおら立ち上がったおばあさんはとつぜん、大きな声でこう言ったのだ。
「あんた、トキオ、いうんか。わたしはトキ、いうんじゃよ」
びっくりするほどしっかりした足どりで、つかつかとちかづいてきたおばあさんは 背がひくく、日にやけて、やせていた。∵
「 友達に、なってくれるかの」
おばあさんは 破顔一笑、そう言った。
それから毎日、おばあさんは 窓から 時夫を見つめていたのだ。あそびに来てほしいのかもしれない、 時夫は何度もそう思ったが、その 勇気はなかった。キャベツ畑のむこうの青屋根といえば、 子供たちにとって、おばけ 屋敷もおんなじだったのだ。
けれども、もう決心した。 時夫はぐっと 胸をはり、キャベツ畑のまん中の細い小道を、どんどん歩いていく。
「もどってこいよ。 鬼ばばあがいるぞ。」
「ハンバーグにされちゃうから」
みんなの声が、うしろからきこえていた。
小さな 玄関を入り、病院のような待ち合い室をぬけると 階段があり、 窓を 目印にいくと、おばあさんの部屋はすぐにわかった。色あせた 畳の上に 冷蔵庫とテレビがおいてある。 時夫は 帽子をとっておじぎをした。
「待っとったよ。これはルームメイトのゆりこさんに、げんさんに、ひさしさん。これは 私の 友達のトキオ」
おばあさんはじゅんぐりに 紹介し、 冷蔵庫からジュースをだしてくれた。おばあさんが「ルームメイト」という言葉を使ったのが、なんとなくおかしくて、 時夫は心の中でくすっと 笑い、 緊張が、するっとほどけた。
「毎日毎日、カンけりしとったなあ」
おばあさんが言って、
「トキさんはまた、それを毎日毎日、見とったなあ」
ひさしさんが言った。ひさしさんは 白髪頭を短く 刈った、色白のおじいさんだ。
「見ていると、 私もいっしょに遊んでいるような気がしおってね」
おばあさんははずかしそうに 笑うのだった。∵
ゆりこさんと 呼ばれたおばあさんは長い 髪を左がわでおさげに 編んで、白い 浴衣を着ていた。部屋のすみの赤い 座布団の上にすわって、一心にお手玉している。 時夫の 視線に気がつくと、しずかに、ふわっと 笑った。小さな、白い、あどけない顔だった。
「アイスクリームがあるからおあがり。あんたのために買うといたに」
おばあさんが言った。紙のカップに入ったバニラアイスはかちかちにかたまって、 冷蔵庫のにおいがついていた。ずいぶん前から買ってあったんだな。 時夫はそう思いながら、さっきから 窓のそばでたばこをすっている、げんさんというおじいさんの横顔をちらりと見た。むっつりして、少しこわい横顔だった。
「テレビ、みようか。そろそろ大 乃国がでるころだな」
ひさしさんが言った。
「大 乃国? だめだめすもうは 桝田山だよ」
「おっ、しぶ 好みだな」
おすもう 好きのひさしさんと、やっぱりおすもう 好きの 時夫とはすっかり意気投合し、ハンバーグなんてうそばっかり、と、 時夫は心の中でつぶやいた。
( 江國香織「つめたいよるに」)
|