もう少し、むこうのほうが 読解検定長文 小4 夏 1番
「もう少し、むこうのほうがいいわね。」
「このへんかしら……。」
きれいなポスターをはっているのは、お店の 広告係の人です。
おおぜいのおきゃくに来てもらい、しなものをたくさん売るために、スーパーでは、いろいろなくふうをしています。
しなものを 広告するためや、たのしいふんい気をだすためのポスターをつくって、お店にはるのも、その一つです。
クリスマスなど、一年の行事にあわせて、お店の中をきれいにかざりつけることもあります。
たのしそうで、きれいで、買いやすいお店にするために、お店では、いろいろなアイデアを考えます。
売るためのくふうの中でも、スーパーの人たちが、いちばんしんけんに考えるのが、 特売品です。
毎日、おきゃくのよろこびそうな、安くてよいしなものを見つけだし、ねだんを安くして売りだすのです。
そのため、魚の係、肉の係、野さいやくだものの係の人たちが集まって、店長といっしょに、どんなしなものがよいか、 特売品をきめる 会議をします。いくら安くても、おきゃくがよろこばないものでは売れませんから、みんな、しんけんです。
こうして、 特売品がきまると、入り口やけいじ板など、よくめだつところに、ポスターをはりだして、おきゃくに知らせます。
このスーパーには、自動車で買いものにくる人のためのちゅうしゃ場があり、あんないをする係の人がはたらいています。
店内がいつもきれいなように、そうじをする係の人もいます。
このお店は、朝の十時から、夜の十時まで開いています。
ですから、お店の人たちは、こうたいではたらきます。その人たちの、はたらく時間をきめる係の人もいます。
あした売りたいしなものを、本社へれんらくする係の人もいます。
このように、一つのスーパーのお店で、毎日、おおぜいの人が、いろいろなしごとをしています。
でも、スーパーではたらく人は、これでぜんぶではありません。お店とはべつのビルではたらく本社の人たちもいます。
( 福生武「スーパーの一日」)
わたしがおもしろいとおもったのは、 読解検定長文 小4 夏 2番
わたしがおもしろいとおもったのは、「テレビで、 現実にはできない 経験があじわえるか」という 質問にたいして、「そうおもう」があきらかに半数をこえ、「そうおもわない」のは四人に一人くらいでした。わたしたちが 直接に 体験できることは、かぎられているので、テレビがわたしたちにかわって 体験させてくれること、また、テレビが 現実以上に 現実を 劇的につくりあげて 体験させてしまうことに、人びとはおそらく気づいていて、このような回答がでてきているのだとおもいます。
しかし、「テレビがあることで、生きかたや行動の手本がえられる」とこたえた人は 過半数にとどかず、「そうおもわない」とこたえた人は三人に一人で、テレビで生きかたの手本をとかんがえているひとはおおいとはいっても二人に一人になりません。テレビを人の生きかたのうえでぜったいに 重要なものとはかんがえていないといえるかもしれません。
この点は、「テレビはひとことでいえば、どんな感じのものですか」という 質問にたいして、「あれば 便利という 程度のもの」というこたえが 過半数をこえ、「なくてはならないもの」というこたえを二〇パーセントぐらいうわまわっていることからもこのことはうらづけされているようにおもわれます。
テレビの 影響については人びとはどのように感じているのでしょうか。
テレビ、新聞、ラジオ、 週刊誌などをひっくるめて、マスコミというよびかたがされていますが、そのようなマスコミ全体のなかでテレビの 影響はどんな 位置をしめているのでしょう?
まず、「 衣食住など、人びとの生活のしかたに、いちばん 影響をあたえているものは、どれだとおもいますか」という 質問にたいしては、テレビをあげる人がまさに 圧倒的におおく、それぞれ十パーセント 以下の新聞、 週刊誌、ラジオをはるかにひきはなしています。ところが、「 政治や社会問題についての 世論」については、∵テレビとこたえるものが 約半数で、新聞とこたえるものとほとんどかわりません。この点では新聞の 影響もおおきいと感じられているわけです。なお、 週刊誌とラジオはたった一パーセント台でした。
さらに「マスコミがつたえていることは、ほぼ事実どおりだとおもうか」という 質問にたいして、「そうおもう」が「そうおもわない」よりすくなくなっています。マスコミへの 不信がかなりおおくみられているわけです。この点は、「どちらかといえば、いろいろな 情報がありすぎて、まどわされることがおおい」という回答が三人に一人ぐらいはいるのと 合致しているようです。
マスコミの 報道がかならずしも事実をつたえていないとすれば、それにふりまわされるようなことがあってはならないということになります。いかがわしいとすれば、事実や真実をみきわめる 必要があります。
人びとはマスコミへの 不信をもちつつ、さらにそれにのせられる――うごかされる――ことに 不安ももっているのです。
「人びとの意見は、知らないうちにマスコミのいうとおりにうごかされていることがおおいか」という 質問にたいして、「そうおもう」が四人に三人ぐらいで、「そうおもわない」をはるかにしのいでおおくのこたえをよせています。
人びとがマスコミにたいして意外とおおく、 批判的な 意識をもっていることがわかります。これはだいじにしなければならない 意識だとおもいます。
近年、テレビの社会 的影響力についての 専門的な研究の分野でも、テレビの 影響が「強力」であるということがほぼ 定説となってきています。わたしたちは、やはり、ひとりひとりがまず「テレビをみる目」をつくり、やしなうことが 必要なのです。
( 佐藤毅「テレビとわたしたち」)
このところ酸性雨が 読解検定長文 小4 夏 3番
このところ 酸性雨が地球 規模の 環境問題となってきたのも、ヨーロッパを中心として、 旧西ドイツ、オランダ、スイス、イギリス、デンマークなどで森林が大きな 被害をうけていることが、テレビや新聞などで知らされてからです。これらの国では、森林 面積の半分 以上の木が、マツ 枯れなどの 被害をうけています。
カナダでは、シロップをとるカエデの木に、いちじるしい 被害が出ています。ニューヨークのアジロンダックの山林 地帯で、赤トウヒは林の半分 以上が、すでにかれてしまいました。中国は一九七○年にはいり工業化をすすめ、いまや年間一○ 億トンの石炭をエネルギー 源として 燃やし、その 結果、 酸性雨によって四川 省の美しい 我眉山のスギがすがたを消しはじめ、その 約九○%が 被害をうけています。
日本ではどうだったのでしょうか? 四日市石油コンビナートや水島などの近代 公害よりも、はるかまえの 公害の原点といわれた 足尾製錬所 周辺の森林は、大正 初期までに六○○ヘクタールがはげ山となったのです。木を育て、木を切って生活する林業 経営ができなくなった 面積は、一六○○ヘクタールになってしまいました。秋田県小坂 銅山では、一九一○年ごろに森林の 被害がひどくなり、 被害面積は一一万五○○○ヘクタールになったのです。また、 茨城県の日立 銅山は、一九一五年から一九二八年あたりまでに三万五○○○ヘクタールに 被害をもたらし、アカマツ林は一万ヘクタールがかれてしまいました。
愛媛県の 別子銅山は、一六九一年に 銅をほり、 精練を始めました。 明治のはじめには 製錬工場を大きくしました。その 結果、ムギやイネなどのあらゆる農作物、森林に大きな 被害をおよぼしたのです。一八九九年のことですが、森林がかれ、はげ山となったところへ大雨となり、山くずれを引きおこし、五一三名のとうとい命がうばわれたのです。
山に木がなくなると、雨は地下へもぐらず、山はだをドッと流れ∵だすので、 洪水がおこります。あまりの 被害のため、一九○五年 別子 銅山は、四国の 新居浜から 瀬戸内海にうかぶ 無人島の 四阪島へ、 製錬所をうつすことになりました。
新居浜から三○キロメートルもはなれた 四阪島へ工場をうつしたから、もう 被害はないものと 信じ、 製錬を始めました。 四阪島の工場のえんとつからふきだした大気 汚染物質は、 瀬戸内海の海上を、風にのって流れます。海の上をゆっくり流れながら、海面から 蒸発した 湿気に 亜硫酸ガスなどがどんどんとけこみ、ガス体よりも 濃度はこくなっていきます。ガスよりも 毒の強い 酸性のきりとなり、四国の海岸にやってきて、四国の 陸地、山などにぶつかります。こうして、大気 汚染物質とその 酸性のきりは広がっていきます。
つまり、海の上は水平で、風速一秒間に三〜四メートルのときは、着物を着るときの 帯のようになって流れていくのです。三○キロメートルもはなれた 四阪島のえんとつから出た、大気 汚染物質とその 酸性のきりは、四国に 上陸して、 帯状から 扇状になって広がります。 濃度はうすまりますが、 汚染物質は風の方向まかせで、四国の 瀬戸内がわの海岸のいたるところを、おそうことになったのです。
(谷山 鉄郎「 酸性雨がふっている」)
空気のよごれ、 読解検定長文 小4 夏 4番
空気のよごれ、つまり大気 汚染を実感できるのは、まずお天気がいいのに見はらしが悪く、遠くが見えないとか、空が青くないというときでしょう。これは空気中をただようこまかいチリやスス( 浮遊粒子状物質といいます)が 原因です。この 状態がひどいときはスモッグといわれます。
スモッグは目にみえる大気 汚染ですが、目にみえない 物質によってもたらされる大気 汚染もあります。みなさんは光化学スモッグということばを聞いたことがあるでしょう。こちらは 硫黄酸化物とかチッ 素酸化物という目にみえない 物質が 原因です。
かつてはこうした大気 汚染の 原因となる 物質は、主に工場の 煙突から出るけむりの中にふくまれていました。それで工場を中心とした都市では、ひどい大気 汚染が発生し、ぜんそくなどの病気がおこりました。
これはたいへんだということで、工場の 煙突からはきれいなけむりしか出してはいけないということがきめられました。いまでは、 煙突の下にけむりをきれいにする 機械がついています。
それで、 以前よりはましになったのですが、それでも都市の空気はよごれていますね。そうです、問題は自動車の 排気ガスです。
もちろん、自動車の 排気ガスも、きれいにして出すようにきめられています。ですから自動車の 排気ガスは、昔とくらべるときれいになっています。
けれども、 排気ガスは 二酸化チッ 素と 呼ばれる 物質がふくまれていて、これがいまの都市部の大気 汚染の主な 原因となっています。また、トラックやバスなどの 大型のディーゼル車から出る黒いけむりも問題になっています。
自動車一台一台の 排気ガスをきれいにする 技術的なくふうはどんどん進められています。でも、自動車の数は、どんどんふえています。たとえば、一九九二年( 平成四年)度 末では、全国で六、四五○万台(トラックやバス、バイクをふくみます)にもなっています。∵
その自動車の多くは、 住宅街から都市の中心部への 通勤に 利用されたり、都市の中での 移動に使われたりしています。また、人の 移動のためだけではなく、さまざまな品物をお店などに 納めることや、 宅急便などでも使われています。
コンビニエンス・ストアなどは、大きなスーパーやデパートなどとちがって、それぞれの店の 倉庫が広くないので、品物を 補充する 納品のための車が、一日に何回もまわっています。
こうしたこまめな配送のおかげで、わたしたちはつくりたてのおべんとうを買ってたべることができるのですが、その分、たくさんの自動車が走りまわっていることになります。
その 結果、都市の中心部はもとより、 住宅街の大きな道路でも、いつも 渋滞がおこっています。 渋滞がおこると、自動車は動いたり、とまったりをくりかえすことになります。
自動車は動きはじめるときにエンジンの回転数があがり、 排気ガスが多く出ます。 特に、トラックやバスなどの 大型のディーゼル車ですと、ブワーッという感じで黒いけむりが出ます。ですから、スムーズに走っているときにくらべると大気 汚染がひどくなるというわけです。
( 阿部治・市川 智史「ふくれあがる大都市」)
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