「いれもの」は、 読解検定長文 小4 秋 1番
「いれもの」は、実用 的にいえば文字どおり、「もの」を「いれる」ための「もの」ということであって、それ 以上でも 以下でもない 性質のものだ。
しかし、「いれもの」をたんに実用 的機能の面だけで 割り切って考えることができないのも、人間のおもしろいところだ。もちろん、 要するに、ものがはいればそれでよい、というので、ありあわせの古いボール箱などを「いれもの」として使うこともあるが、それは、たとえば 引越しのとき、といった 臨時の「いれもの」であって、まがりなりにも、生活 備品としての「いれもの」には、われわれはなんらかの 美的くふうを 凝らす。古いボール箱に紙をはり、空きカンにはペンキを 塗る。「いれもの」は、うつくしくなければならないのだ。「いれもの」がうつくしくなければ、生活そのものがうつくしくないのである。
商品化された「いれもの」を買うときのわれわれは、ときとして、そのなかにはいるものを買うときよりも 慎重である。たとえば、 小麦粉だの 砂糖だのは、 日常の 必需品であって、べつに 銘柄を指定することもないが、それらの食品をいれるキャニスターを買うときには、あちこちの店を歩きまわって、よいデザインの品物をさがす。 値段が多少高くても、うつくしいものを手にいれようと一生けんめいになる。
タンスなどもそうだ。 値段と実用 性からいえば、デパートの 特価品売り場にたくさんタンスがならんでいるから、そのなかからえらべばそれでよいのだが、ながく使う家具、と思うと、なかなか実用一点ばりで気軽に買う気にはなれない。使われている 材料だのデザインだのを 吟味して、いいタンスをさがしまわる。
つまり、「いれもの」は、たんなる「ものいれ」ではないのである。「いれもの」はそれじたいの 価値をもつものである。まえにあげた 女性のハンドバッグなどもその一 例だ。実用 機能からいえば、 財布だの 化粧品だのといった小物がそのなかにはいればそれでよいので、 極端にいえば、 丈夫な 紙袋だって間にあう。しかし、そう∵はゆかない。ハンドバッグは、「ものいれ」なのではなく、それじしん、うつくしい「もの」でなければならないのである。だから、ハンドバッグその他の 袋ものに、高いおカネを 払う。
そればかりではない。「いれもの」がうつくしい「もの」であることによって、そのなかにはいるものの 価値もすっかりかわってしまうからふしぎである。
( 加藤秀俊「 暮しの思想」)
城あとのまん中に、 読解検定長文 小4 秋 2番
城あとのまん中に、ちいさな山があって、上のやぶには、野ぶどうの実がにじのようにうれていました。さて、かすかなかすかな 日照り雨が 降りましたので、草はきらきらと光り、向こうの山は暗くなりました。そのかすかなかすかな 日照り雨がはれましたので、草はきらきら光り、向こうの山は明るくなって、たいへんまぶしそうに 笑っています。そっちの方から、もずが、まるで音ぷをばらばらにしてふりまいたように 飛んできて、みんな一度に、銀のすすきのほにとまりました。
野ぶどうはかんげきしてすきとおった深い息をつき、葉からしずくをぽたぽたこぼしました。
東のはいいろの 山脈の上を、 冷たい風がふっと通って、大きなにじが、明るい 夢の橋のようにやさしく空にあらわれました。そこで、野ぶどうの青白い 樹液は、はげしくはげしく波うちました。
そうです。今日こそただの一言でも、にじとことばをかわしたい。 丘の上の小さな野ぶどうの木が、夜の空にもえる青いほのおよりも、もっと強い、もっとかなしいおもいを、はるかの美しいにじにささげると、ただこれだけを 伝えたい、ああ、それからならば、それからならば、実や葉が風にちぎられて、あの明るい 冷たいまっ白の冬のねむりにはいっても、あるいはそのままかれてしまってもいいのでした。
「にじさん。どうか、ちょっとこっちを見てください。」野ぶどうは、ふだんのすきとおる声もどこかへ行って、しわがれた声を風に半分とられながら 叫びました。
やさしいにじは、うっとり西のあおい空をながめていたおおきなあおいひとみを、野ぶどうに向けました。
「なにかご用でいらっしゃいますか。あなたは野ぶどうさんでしょう。」
野ぶどうはまるでぶなの木の葉のようにプリプリふるえてかがやいて、いきがせわしくて思うようにものが言えませんでした。
「どうか 私のうやまいを受け取ってください。」
にじは大きくいきをつきましたので、黄やすみれ色は一つずつ声をあげるようにかがやきました。そして言いました。∵
「うやまいを受けることはあなたもおなじです。なぜそんないんきな顔をなさるのですか。」
「 私はもう死んでもいいのです。」
「どうしてそんなことを、言うのです。あなたはまだお 若いではありませんか。」
( 宮沢賢治「花の童話集」)
あまがえるどもは、 読解検定長文 小4 秋 3番
あまがえるどもは、はこんできた石にこしかけてため息をついたり、土の上に大の字になってねたりしています。そのかげぼうしは青く日がすきとおって地面に美しく落ちていました。 団長はおこって急いで鉄の 棒を取りに家の中にはいりますと、その間に、目をさましていたあまがえるは、ねていたものをゆり起こして、 団長がまたでてきたときは、もうみんなちゃんと立っていました。カイロ 団長がもうしました。
「なんだ。のろまども。今までかかってたったこれだけしか運ばないのか。なんというきさまらはいくじなしだ。おれなどは石の九百 貫やそこら、三十分で運んで見せるぞ。」
「とても 私らにはできません。 私らはもう死にそうなんです。」
「えい。いくじなしめ。早く運べ。 晩までにできなかったら、みんな 警察へやってしまうぞ。 警察ではシュッポンと首を切るぞ。ばかめ。」
あまがえるはみんなやけくそになってさけびました。
「どうか早く 警察へやってください。シュッポン、シュッポンと聞いているとなんだかおもしろいような気がします。」
カイロ 団長はおこってさけびだしました。
「えい、 馬鹿者めいくじなしめ。えい、ガーアアアアアアアアア。」カイロ 団長はなんだか 変な顔をして口をパタンととじました。ところが、「ガーアアアアアアア」という音はまだつづいています。それはまったくカイロ 団長ののどからでたのではありませんでした。かの青空高くひびきわたるかたつむりのメガホーンの声でした。王さまのあたらしい 命令のさきぶれでした。
「そら、あたらしいご 命令だ。」と、あまがえるもとのさまがえるも、急いでしゃんと立ちました。かたつむりのふくメガホーンの声はいともほがらかにひびきわたりました。
「王さまのあたらしいご 命令。王さまのあたらしいご 命令。一 個条。ひとに物をいいつける 方法。第一、ひとにものをいいつけるときはそのいいつけられるものの目方で自分のからだの目方をわって答を見つける。第二、いいつける仕事にその答をかける。第三、∵その仕事を一ぺん自分で二日間やってみる。 以上。その通りやらないものは鳥の国へ引きわたす。」
( 宮沢賢治「カイロ 団長」)
さああまがえるどもは 読解検定長文 小4 秋 4番
さああまがえるどもはよろこんだのなんのって、チェッコという 算術のうまいかえるなどは、もうすぐ暗算をはじめました。いいつけられるわれわれの目方は拾 匁( 約三十七グラム)、いいつける 団長のめかたは百 匁、百 匁わる拾 匁答十。仕事は九百 貫目、九百 貫目かける十、答九千 貫目( 約三万四千キロ)。
「九千 貫だよ。おい。みんな。」
「 団長さん。さあこれから 晩までに四千五百 貫目、石をひっぱってください。」
「さあ王様の 命令です。引っぱってください。」
今度は、とのさまがえるは、だんだん色がさめて、あめ色にすきとおって、そしてブルブルふるえてまいりました。
あまがえるはみんなでとのさまがえるをかこんで、石のあるところへつれて行きました。そして 一貫目ばかりある石へ、 綱をむすびつけて
「さあ、これを 晩までに四千五百運べばいいのです。」といいながらカイロ 団長の 肩に 綱のさきを引っかけてやりました。 団長もやっと 覚悟がきまったと見えて、持っていた鉄の 棒を投げすてて、目をちゃんときめて、石を運んで行く方角を見さだめましたがまだどうもほんとうに引っぱる気にはなりませんでした。そこであまがえるは声をそろえてはやしてやりました。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
カイロ 団長は、はやしにつりこまれて、五へんばかり足をテクテクふんばってつなを引っぱりましたが、石はびくとも動きません。
とのさまがえるはチクチクあせを流して、口をあらんかぎりあけて、フウフウといきをしました。まったくあたりがみんなくらくらして、茶色に見えてしまったのです。
「ヨウイト、ヨウイト、ヨウイト、ヨウイトシャ。」
とのさまがえるはまた四へんばかり足をふんばりましたが、おしまいのときは足がキクッと鳴ってくにゃりとまがってしまいました。あまがえるは思わずどっとわらいだしました。がどういうわけかそれから急にしいんとなってしまいました。それはそれはしいんとしてしまいました。みなさん、このときのさびしいことといった∵ら 私はとても口ではいえません。みなさんはおわかりですか。ドッといっしょに人をあざけりわらってそれからにわかにしいんとなったときのこのさびしいことです。
ところがちょうどそのとき、またもや青ぞら高く、かたつむりのメガホーンの声がひびきわたりました。
「王様のあたらしいご 命令。王様のあたらしいご 命令。すべてあらゆるいきものはみんな気のいい、かあいそうなものである。けっしてにくんではならん。 以上。」それから声がまたむこうのほうへ行って「王様のあたらしいご 命令。」とひびきわたっております。
そこであまがえるは、みんな走りよって、とのさまがえるに水をやったり、まがった足をなおしてやったり、とんとんせなかをたたいたりいたしました。
とのさまがえるはホロホロ 悔悟のなみだをこぼして、
「ああ、みなさん、 私がわるかったのです。 私はもうあなたがたの 団長でもなんでもありません。 私はやっぱりただのかえるです。あしたから仕立屋をやります。」
あまがえるは、みんなよろこんで、手をパチパチたたきました。
次の日から、あまがえるはもとのようにゆかいにやりはじめました。
( 宮沢賢治「カイロ 団長」)
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