家の中で飼っているイヌが、 読解検定長文 小4 秋 1番
家の中で 飼っているイヌが、自分の足で部屋のドアを開けるところをみたことがある人もいると思います。このとき 私たちは、そのイヌを「頭がいいなあ」と感心してしまいます。もちろん生まれつきそうするようにイヌの 脳のなかに 組み込まれていたわけではなく、おそらくご主人様のすることをみて学習したのでしょう。いずれにしても、何かの 課題に対する動物の行動が、ヒトのとる行動と同じであったとき、 私たちはその行動を「 賢い」と思います。
イルカについてみてみましょう。これまでおこなわれてきた 種々の 認知に 関する研究では、イルカの 示した行動や、 結果の 内容そのものにヒトやチンパンジーと 共通した点が多くみられています。言語に 関した研究では、イルカが、人間の 文法をある 程度理解できることがわかりました。また、イルカの社会生活を 観察してみると、そこにはヒトと同様の高い社会 性を見いだすことができました。
しかし、「だからイルカは『 賢い』」と 断言するのは 危険です。よく考えてみると、イルカの 知能の 程度を知ろうとしたはずのこれらの 実験や 観察は、実は、ある 課題や 状況に対する 対処のしかたが、いかにヒトのやり方に近いかを 測っているに 過ぎないのです。
動物の 知能に 序列をつけた研究は少なくありませんが、いずれの場合も 必ずヒトが第一 位になるような 基準になっています。ハトやラット、あるいはチンパンジーやイルカが、ヒトより「頭がよい」ではいけないのです。しかし、 実際にはどうでしょうか。
動物の行動や生活はじつにさまざまで、空を 飛び回る種類もあれば、地中を自由に動き回るものもいます。また、昼に活発に活動するものもあれば、夜しか行動しない動物もいます。このように、動物はそれぞれ 異なった 生態をもっているわけで、したがって、その動物にはその動物にあった 環境への 適応の仕方があるのです。そんなそれぞれ 異なる動物間で、 知能を 比較することなどできるのでしょうか。∵
動物の 知能について考えるとき、 私たちは自分たち人間に「できる・できない」、「ある・ない」で 知能の 優劣を 判断してしまいがちです。イルカは、 超音波でものを 探り当てることができます。もちろんヒトはそんなことはできません。しかし、そういったヒトにはできないことがあると、どうしてもそれだけが強調されて、「イルカは人間を 超えた 知能や 能力をもっている」という話になってしまいます。また、イルカがパズルのような 課題をどうしても 解くことができないと、 私たちは、「イルカはその問題についての 処理能力が 劣っている」と考えます。
けれども、イルカにしてみれば、そんなパズルが 解けるかどうかより、真っ暗な海のなかでいかにして 餌をとるかのほうがはるかに 重要です。 要するに、イルカにはイルカの「生き方」があり、その生き方に 応じて 必要な「 知恵のめぐらせ方」があるわけですから、「 賢さ」あるいは「 知能」とは、自分の 必要度に 応じて、いかに 環境やその場の 状況に 的確に 対処・ 適応しているかということなのです。もちろん、そういった 適応のしかたは、ヒトとは 全然違っているはずです。ヒトにとって大切な 能力だからといって、イルカにしてみればあってもなくてもどちらでもいいようなことで、 知能の 優劣を 測られたのでは、さぞかしイルカも 無念でしょう。
動物間で 知能を 比較するということは、 眼科のお医者さんと 皮膚科のお医者さんとで 腕前を 比べるようなものです。 知能を表すのにすべての動物に 共通した 基準などありません。イルカなりの 基準で、 彼らの 知能の 程度について考えてみてください。
(村上 司・ 笠松不二男「ここまでわかったイルカとクジラ」)
ある辞書で 読解検定長文 小4 秋 2番
ある 辞書で「かかし」というところをひいたら、ほんもののかかしの意味のつぎに「見かけだおし」と書いてありました。かかしが、役にたちそうに見えて、さっぱりききめがないことから、そんなたとえがうまれたのだろうと思われます。( 中略)
ところで、たいていのかかしは、人のすがたに 似せてあります。スズメは、それを、ほんものの人間とまちがえて、おどろいたり、おそれたりするでしょうか。
そういうことは、まず、ありません。いままで、なにもなかったところに、見なれないものが立った――ということで、ちょっとのあいだ、用心するだけです。
渋谷直衛さんという人が、あるとき、こんな 実験をやってみました。「たんぼに糸(白糸と赤糸)をはる。」、「やっこだこ(白いものと、赤いもの)を立てる。」、「なわをはる。」、「人形を立てる。」この四つを、つぎつぎにやってみて、そのききめをためしたのです。
さあ、どんな 結果が出たと思います? スズメがおそれたのは「糸はり」、「やっこだこ」、「なわはり」、「人形」のじゅんでした。つまり人形は、もっともききめがうすかったのです。
それでは、なぜ、人間のすがたをしたかかしを、むかしから、たんぼに立てるのでしょうか。
遠いむかし、かかしは、いまのような、スズメおどしの役につかわれたのではない――といっている学者もあります。( 中略)
むかしの人は、いろいろな 願いごとを、神さまにたのむことが多かったようです。大きなお宮やお寺におまいりするほか、道ばたの野ぼとけや、おじぞうさまにも、ちょっとした 願いをかなえてくれるようにと、おいのりしました。
それと同じく、かかしにも 一種の神さまのような 資格( 神格といいます)をあたえて、
「かかしさま、そういう、みの、かさつけたかっこうで、雨をよび、いつも、田に水をたたえておいてください。」
と 願ったものだろう――というのです。つまり、雨ごいの 目的だったというわけです。時代とともに、だんだん、かかしのねうちがさがって、のちには、ただのおまじないとして立てておくだけになったのでしょう。∵
これを「鳥おどし」としてつかうようになったのは、むかし、 備中国にいた 玄賓という、えらいぼうさんだったとつたえられています。つまり、「鳥おどし」の 目的は、あとからつけくわえられたものだというわけです。
しかし、かかしのなかには、みの、かさをつけたものばかりではありません。農家で仕事のときに着るのら着や、古くなって着られなくなったボロ着物をつけ、手ぬぐいをかぶっているものなども、たくさんあります。
これは、どういうわけでしょうか。それについては、こんな意見があります。
「着ふるした着物や、かぶりつけた手ぬぐいなどには、人間のにおいがしみついている。それらをかかしにつけて、田畑に立てておくと、夜、作物をあらしにきたイノシシやシカを、追いはらうことができる。
それらのけものたちは、とても鼻がよくきくので、人間のにおいをおそれて、いちはやく 逃げていく。人間の着物をきたかかしは、そんな 目的で作られはじめたのだ。」
なるほど、人間のにおいが、雨や風にうたれて、うすくならないあいだは、いくらか、ききめがあるかもしれません。
そうだとすれば、もともと、けものを相手に作られたかかしが、同時に、スズメおどしの役に、つかわれたのかもしれないのです。
しかし、けものの住む山から、ずっとはなれた土地のたんぼでも、かかしを立てます。これには、まえの考えかたは、あてはまりません。
すると、「雨ごいのかかし」に 似たような意味で、かかしに、 神格をあたえ、「スズメを追ってください。」という、いのりをこめて、たんぼに立てた時代も、あったのかもしれません。
人間というものは、一度一つのしきたりができると、それを、ずっと守りつづけるくせがあります。むかしの人は、ことにそうでした。
たとえ、たいして役にたたないことでも、 祖父がやったから、父もやったから――というので、何代もつづけたものです。かかしも、そのひとつでしょう。
(小林 清之介「 新編 スズメの 四季」)
近ごろ、わたしたちは 読解検定長文 小4 秋 3番
近ごろ、わたしたちは地面を歩くことが少なくなりました。道が、コンクリートやアスファルトでおおわれたからです。
あそび場の原っぱも少なくなりました。工場や家が 建てられてしまったのです。林や空き地が切り開かれ、土はかぎられた所にしか見られなくなっています。こんなことでは、夏の暑さは、ますますきびしくなってしまうのではないでしょうか。わたしは、それが心配です。
林のそばはすずしく、アスファルトの上は暑い。わたしは、それはどうしてかという 疑問を、ひとつひとつ 解決してきました。
林の木は、土とともに気温の 上昇をやわらげてくれていました。水の 蒸発という 現象や、植物の 蒸散という活動を通じて、地表近くで、ものすごい 量の 熱量のやりとりが行われていたのです。
また植物は、 二酸化炭素を 光合成によって、自分の体にたくわえるはたらきをしています。
今、地球の 温暖化が世界 的に大きな問題となっています。わたしたちの石油・石炭の使いすぎによって、空気中の 二酸化炭素の 量がふえているためです。
目に見えないけれど、植物は 光合成により、地球の 温暖化のいきおいをもおさえる役目もしているのです。
また、水田のそばがすずしいのも、水面からの水の 蒸発があるからであるということも、これまでの 実験から 理解することができました。
日本の美しいけしきを代表する水田が、一日あたり 約五ミリメートルの 蒸発散を行い、気温をやわらげる作用を行っていることをもわすれてはなりません。
また、わたしは夏の暑さについて考えてきましたが、冬の寒さに、土が 関係していることもつけくわえておきます。
それは、土に 保たれている水が、あたたまりやすく、さめにくいという 性質をもっているために、昼間あたためられた土の中の水が、夜間、外の空気が 冷えきってしまってもさめにくいので、 熱を空気中にはきだすのです。∵
さらに、土の中の水が 冷えて氷になるときも、 熱をはきだします。ですから、土は地球全体が 冷えすぎないような役目をしてくれているといえるのです。
土や植物は、わたしたちにとっては、すごしやすい気温の 状態を 保ってくれている、エアコンのようなはたらきをしているといえるでしょう。
身のまわりにある、ごくあたりまえの林と土。わたしは、あらためてそのはたらきがわかり、林や土をたいせつにしなければならないと思うようになりました。
( 塚本明美「土は地球のエアコンだ」)
Kがのぼれるかぎりの 読解検定長文 小4 秋 4番
Kがのぼれるかぎりの高いところまでのぼりついて、ほっとひと息ついたとき、かん高い声で話しあう 水夫たちの声がしだいに近づいてきた。
Kは 枝のしげみに、身体をかくすようにして 彼らの声に注意を配っていた。
水夫たちが、家の前にあらわれた。
水夫たちは、声高にしゃべりあっていた。
ひとりの黒人が、入り口の戸があいているのを発見して、指をさしながら大声で 仲間に 告げていた。
水夫たちは雨戸をたたいたり、 交互に入り口から中をのぞいたりした。しかし、だれ一人として一歩も中に入ろうとする者はいなかった。
Kはそれを見て、 彼らが悪者でないことを心に感じとった。
家の中から、何の返事もないので、 水夫たちはすごすごと通路にひきかえし、また、つぎの家へおしかけていこうとした。
水夫の 一群の中で、いちばん 最後に、入口をのぞいた男が 榕樹の 樹の下を通りすぎようとして足をとめた。その男はズック 製のからバケツをさげていた。ほかの 水夫たちより少し年をとった白人であった。 彼はズックのバケツを下におき、ポケットからしわくちゃのハンカチをひっぱりだして、顔や、首や、シャツからはだけた 胸や、 腕の 汗をふいた。オールのように太い 腕は日やけして、金色の毛がいっぱいに生えていた。この 水夫は 榕樹のかげで少し 涼んでいくつもりらしかった。
あんのじょう、 彼は 煙草をとりだして火をつけた。
Kは息をのんで、見つめていた。
男は、 煙草をうまそうに、ひと口すいこむと、ふいに上を向いて、 榕樹を 眺めまわした。
Kがあわてたしゅんかん、持っていた 枝がゆれて、葉が、かすかではあるが、音をたてた。
Kと西洋人の 水夫は、 視線をあわせてしまっていた。∵
水夫は、両手をさしのべて、Kをうけとめてやろうというようなしぐさをした。そして目にはやさしい 笑いを 浮かべていた。
Kは決心をして、そろそろおりはじめた。
おりている 途中、西洋人が何か一言、二言いった。きっと、「気をつけなさい」といってくれているのにちがいなかった。
Kは地面におりたって、きまり悪そうな顔をしていると、船員はほほえみながら、手をさしだした。 腕には金色の毛が生えている。
男は、ズックのバケツを指さして、何か話した。
Kは、言葉にはわからなかったが、水をほしがっているのだということに気がついた。
Kは、バケツを持って 井戸ばたへ 案内した。
その男は、大声を出して 仲間を 呼び集めた。 水夫たちは 騒ぎながら、ひきかえしてきた。 彼らは、大げさすぎるほどの 表情で 喜びの気持ちをあらわしていた。
Kがつるべで水をくもうとすると、 水夫たちは、いっしょに 手伝って、 勢いよくくみあげた。そしてズックのバケツにいれて、かわるがわる馬のように水を飲んだ。何べんもつるべでくみあげて、全員がたっぷりと水を飲んでから、バケツに水を 満たしてひきあげた。帰りぎわに、Kはもう一度、少し年をとった 水夫と 握手した。
エビア号の船員たちは、三週間ほどたって、村から 姿を消した。
Kは 最初の夕方、エビア号を見て 以来、美しい 帆船の 姿を二度と 忘れることはできなかった。
( 庄野英二「白い 帆船」)
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