子供の頃の私は、 読解検定長文 小5 冬 1番
子供の 頃の 私は、ものすごく内気で 引っ込み思案、何事にも消極的で、 胸の中で考えていることがおよそ行動にあらわれず、オドオド、ウジウジしていた。 現在の 私と知りあった友人達は、まず信じてくれないが、 間違いなくかわいそうなほどおとなしい子だった。( 中略)
このまま、ずっと大きくなっていくなんてあまりにつまらない。自分自身を変えてしまえば、こういう 状態から 抜け出せるのにと 子供心に感じていた。
「こんな子じゃイヤだ!」と思い続けてはいても、一度出来上がってしまった周りの 状況も、持って生まれた 性格も、そうそう 簡単には変えられるものではない。
相も変わらぬ内気な表皮の下に、変わりたい、変わりたいという願望が 吹き出し口をみつけられないままたまりにたまっていった。
それが、思いがけず一気に 爆発したのは、 忘れもしない小学校三年の正月、三学期が始まって少したった朝だった。その年の正月に父を 亡くし、 忌引でしばらく休んでいた 私はその朝、いつにも 増して不安な面持ちで学校に向かった。 深呼吸をしてやっと教室の戸を開けたというのに、 私の席だったところに何と見知らぬ女の子が 座ってる。きっと都会からの転校生なのだろう。 垢抜けしたかわいい子だった。ランドセルを 背負って 突っ立ったまま鼻の 奥がツーンと 痛くなるのを感じていた。 遠巻きにしたクラスの子達も、 私自身でさえこれ以上は何も起こらず、やがて先生が来ておしまいになると思っていた。
「何でここに 座っているの?」
「だって先生が言ったんだもの。ここの子しばらく休むからってさ」
こぼすまいと思っていた 涙が、 胸の中でグラグラ 煮えたって、 吹き上がった気がした。
「そうかい。じゃ、 私は帰らせてもらうわ」
あっけにとられているクラスメートをぐるりと見回し、バタンと 勢いをつけて戸を 閉めると、その足で 職員室に向かい、先生に∵ 無期限登校 拒否を 宣言した。先生は悪気があったわけではなかったと思う。きっと、あの子なら 大丈夫だろうと考えていたのだろう。でも 私はたった今、あの子であることをやめた。
ついさっき来た道を家に 戻る時、ほんの少し前のちょっと 背を丸めた自分とは、まるで 違う自分が歩いているようで、景色まで変わってみえた。
たった一人のストは、 確か一週間かそこらで学校から先生方がやってきて話し合い、 納得して 終了した。 再び、以前と同じように登校したが、もう 私自身は以前のようではなかったし、友人の 私を見る目も変わった。
こんな自分じゃイヤだと 幼心に思い始めてから、その思いを自分の血肉にするまでずいぶん長い年月を要したことになる。自分自身を生まれ変わらせる、自分の生き方を 変革するといった、自らの 核に関わることを、自らの 意志で動かすというのは、 結構しんどい。後が続かなければ、さらにズルッと深みにはまりかねないし、さあ変わらねばと頭から 指示が来るようでは、機がまだ 熟していないのかもしれない。
私がとっさにとってしまった行動は、もちろん、おっ、今が変身のチャンスだと考えてのことではない。周囲をも、自分をもびっくり 仰天させた出来事は、あの時、 私のもっとも自然な 反応になっていたのである。
ただ 困ったことに、母はその時の 私の内面的変化をキャッチしそこなった。
母は、それ以来、 私の表面的変化にため息をつき続けている。
「まさかこの子が……」と 絶句し、もう いい加減年になった 娘をつかまえていまだに「こんな子じゃなかったのに」と 嘆いている。
こんな子に大変身した 私のフォッサマグナは、小学三年、九 歳の冬にくっきり横たわっている。
( 吉永みち子「九 歳の冬」)
お前はどうも本好きで 読解検定長文 小5 冬 2番
「お前はどうも本好きでいかん」
父親は 剣道何 段かのスポーツマンで、毎朝、 私を雪のなかに引っぱり出しては竹刀を持たせて切り返しだの、 素振りだのをやらせるのである。
私は、決して本だけが好きな弱々しい少年ではなかった。むしろ、 英雄や 冒険物語の主人公にあこがれ、 忍術の 真似をして屋根から飛びおりたり、 喧嘩で 額を 割られたり、水泳や分列行進が好きだったりする活発な 子供だったとおもう。
だが、両親はいずれにせよ、 私が活字を読むことを好まなかった。 彼らは 私を 余り物を考えず、 直情で健康な、竹を 割ったような男の子に仕立てあげたがっていたのだという気がする。しかし、 私にとって、活字を通じて自分の空想の世界に遊ぶことは、生きるということと同じ位、 本質的なことのように感じられた。
私は<のらくろ>や< 冒険ダン 吉>を、かなり 幼い時に卒業し、小学生の上級になると、両親の 本棚にある実に 雑多な本を、ほとんど目を通してしまっていた。
<小島の春>だとか、<もめん 随筆>だとか、< 放浪記>だとかいった本は、たぶん母親の 蔵書だったにちがいない。 私はそんな本が面白くて仕方がなかったが、一方では、学校の仲間から借りて読む、山中 峯太郎や 佐藤紅緑の世界にも熱中していた。 佐々木邦のユーモア小説も、 私の大好きな本の一つだった。 江戸川乱歩や 岡本綺堂なども、学校の友人から借りて読んだ。
私はかなりの 距離を、市電と徒歩で通学していた。その行き帰りに、歩きながら本を読む 習慣がついてしまって、家のそばまで来ても、まだ読むのを止めるのが 惜しく、もう一度、電車の駅まで歩きながら読み続けたりしたものだ。一度、 私がカバンを 背負ったまま、家の前から電車の 停留所の方角へ本に熱中しながら 逆もどりしている時、父親に出会ったことがある。
「お前、どこへ行くんだ」∵
父親は、学校から帰る 時刻に 逆に登校でもするかのような 私の様子を見て、けげんそうにたずねた。
「学校に筆箱を 忘れてきたから取りに行こうと思って」
と、 私は言ったが、父親はなんとなく 私が行き帰りに本を読むことに 夢中になっているのを感づいたようだった。
そして、 私が学校から帰ってくると、 私のカバンを開け、なかに借りてきた小説本や読物のたぐいがはいっていると、 黙って取り上げたまま返してくれなかった。
そのことで 私はひどく友人たちに 義理の悪い思いをしたことがある。
私はそこで 自衛のために一計を案じた。帰り道に読み続けてきた本を、家のなかに 持ち込まないようにするのである。冬の日など、 私は読みさしの本を新聞紙にくるんで、家の 生垣のあたりに積みあげられている雪のなかに 突っ込んで 隠しておくことにした。
そして次の朝、それを 掘り出して、雪を 払い新聞紙を 拡げて読み続けるのだ。
時には本のなかに雪が 飛び込んで、それが 凍てつき、ページがパリパリと音を立てたりすることもあった。
そんな時代を、いま想いおこしてみると、 禁じられた読書のなんともいえない 鮮烈なよろこびの 記憶が、まざまざとよみがえってくる。 現在、 私は活字のなかに 埋れ、そしてそれを 再生産する生活のなかで、 義務としての読書、必要からの読書に追われているが、すでに活字が行間から立ち上ってくるような、あの少年時代の読書のよろこびからは、はるかに遠い所にいる自分を感ぜずにはいられない。
本というものは、本来、あのようにして読むべきものではなかろうか、という気がする。
(五木 寛之「地図のない旅」)
小学校の中学年の頃、 読解検定長文 小5 冬 3番
小学校の中学年の 頃、 僕はがき 大将で毎日近所のちびっこたちを引き連れて遊び回っていた。 縄張り意識が強くて、 僕らは自分たちの町内をその 統治下においていた、つもりだった。放課後になると、 裏山に作った 基地( 斜面に生えた大木の 枝に板切れや鉄材をくくりつけて作った 掘っ建てだった。)に集まっては、 攻めてくるかもしれない 敵を想定して、 僕らは石投げの訓練を積んでいたのだ。
はじめてあの新聞配達の少年を見たのは、その 基地を 建設しおわった直後の 頃のことである。 見張りに立っていた弟が大声で 僕を 呼んだのだ。
「 兄貴、なんか変なのが走りよう。どがんする。」
僕は弟の指さすほうを見た。 肩から新聞をぶら下げた少年(多分小学校の高学年か、中学の一年生ぐらいだと思った。)が、 一軒一軒の家に新聞を 放り込みながら走っているのである。新聞配達の少年の 存在は知っていたのだが、こうやって 意識してまじまじと見るのは初めてのことであった。 彼は 僕らが見守る中、 背筋を 伸ばしてすっと下の道を 通り過ぎていってしまったのである。
翌日も 彼は同じ 時刻にそこを 通過していった。やはり 肩から 吊るしたたすきに新聞を 山盛り入れて、 彼は一 軒一 軒にそれを 放り込んでいくのだ。 僕はその 姿に何か心を動かされていたのだが、 沢山の子分たちの前で 彼を 褒めるわけにもいかず、つい心にもない行動をとってしまうのである。
そう、 僕は 彼目掛けて石を投げつけたのだ。
「 皆、あいつは 敵たい。 敵のスパイに 間違いないったい。」
小さな 子供たちは 僕の言うことをすぐに信じて、同じように 彼目掛けて石を投げつけはじめたのだ。新聞少年は投石に気がつき、立ち止まると 僕らのほうを 一瞥した。しかし、石を 避けようともせずじっと 僕らのほうを 睨みつけるのだった。 幾つかの石が 彼の足に∵あたったが、 彼は 逃げようとはしなかった。
「やめ。」
それに気づいた 僕はちびっこたちに石投げをやめさせた。 子供たちは石を投げるのをやめ、 僕の次の命令を待っていた。 僕と新聞少年はそのとき初めて 対峙して 睨みあった。 鋭い目をした強そうな男だった。 僕たちが 黙っているとまもなく 彼は走りだすのである。
それからもときどき 僕らは 彼を見つけては 威嚇攻撃をした。そのたびに 彼は立ち止まりじっと 僕らを見すえるのだった。その目は 鋭くかつて見たことのない動物的なものだった。
新聞配達という 行為が悪いことではなく、むしろりっぱなことであることはあの 頃の 僕でもちゃんと 理解はしていたつもりであった。 僕だけじゃなく、弟やちびっこたちもちゃんと知っていたはずだ。なのに 僕が 彼に石を投げたのは、多分 彼の 存在が気になっていたからなのだろう。新聞を少年が配達するということが一体どういうことなのか、 僕はすごく 興味があったのだ。
それから少しして、 僕らが 社宅の門のところでたむろして遊んでいると、 彼が 突然門の中へ 走り込んできたのである。がっちりとした身体をしていて、 僕より五センチは 背が高かった。 僕は直ぐに 彼と目が合い、 睨み合ってしまった。そのとき、ちびっこの一人がいつもの調子で 彼に向かって石を投げつけてしまったのである。石はそれほどスピードはなかったのだが、少年の 額にあたってしまった。そして少年はそのときはじめて 僕らに 抗議をしたのである。
「何で石ば投げるとや。 俺がなんかしたとかね。」
身構えるちびっこたちを 僕は 慌てて 制した。そして少し考えてから聞き返した。
「なんばしよっとね。」
僕は新聞のつまったたすきを指さして聞いてみた。
「新聞配達にきまっとろうが。」
「そうやなか、なんで新聞ばくばりよっとか知りたかったい。」∵
僕は 彼にぐいと 睨みつけられて 怯みそうだったが、ちびっこたちに 示しがつかないのでじっと 堪えていたのである。
「なんでって、お金んためにきまっとろうが。お金ば 稼いで、家にいれるったい。うちはお前らんとこみたいに 裕福やなかけんな。」
「ゆうふく?」
弟が横から口を出してきた。
「ああ、うちは 貧乏やけん、長男の 俺が働いてお金ば 稼がんとならんとよ。お前らみたいに遊んでるわけにはいかんっちゃ。」
彼のその言葉は 僕の 胸にびんびんと 響いた。自分のことを 貧乏といいきる 彼がなぜか自分たちとは 違う大人に見えたのだ。
「わるいけどな、これからは 俺の配達のじゃまばせんどいてくれんね。もし、 邪魔するようだったら、こっちも生活がかかってるけんだまっちゃおかんばい。」
彼はそう言うと石を投げつけたちびっこを 押しのけて新聞を配りはじめるのだった。
僕は 何故かいいようのないショックで、それから数日 考え込んでしまった。 僕は昔から 考え込むタイプだったようだ。あのとき 僕は新聞配達の少年を実は心の 何処かで 尊敬していたのだと思う。自分を 彼に 投影しはじめていたのだ。
それから数日して 僕は 社宅の門のところで 彼を 待ち伏せすることになる。子分たちは引き連れず、 僕ひとりであった。そして夕方、いつもの時間に 彼は新聞を 抱えて 走り込んできたのである。
「よう。」
彼は 僕を見つけると、そう声をかけてきた。
「今日はぞろぞろいないのか。子分たちは。」
僕は大きく 頷いた。
「今日はちょっとさしで話があるったい。」
「なんね。」
新聞少年は 眉間をぎゅっと 引き締めて 僕の顔をまじまじと 覗き込んだ。 僕は 唾を 呑み込んだ。∵
「実はあれから 真剣にかんがえたっちゃけど。 俺も新聞配達やらしてくれんかとおもうてさ。」
新聞少年の顔がほころんだ。
「君がや。」
僕は 真剣な顔つきで 頷いた。
「だめやろか。」
新聞少年は首を 振る。
「いいや、でもお前が考えているよりずっと大変なことたい。そんでも 途中で投げださんで続ける自信があるっちゅうなら、話をつけてやってもよかたい。ただな、 いい加減な気持ちでやるとやったら、 俺がゆるさんけんね。」
僕は 彼にはじめて 微笑んだのである。
そしてその日の夕方、 僕は 彼に連れられて近くの新聞の集配所に行ったのである。初めての 経験で 僕はすっかり 緊張していた。集配所は活気があって 沢山の少年たちで 溢れていた。みんなたくましく真っ直ぐの目をした連中ばかりであった。 僕は 彼に仕事の 段取りを説明されながら 暫くその場を観察していたのである。それから 僕は 彼に 紹介されたそこのボスに お辞儀をした。ボスは笑顔のたえない人で、一言、がんばるんだよと言っただけだった。しかし、その言葉はかつてどんな大人たちが 僕にかけてくれた言葉よりずっと 僕を大人として 扱ってくれるものだった。そして 僕は次の週頭から新聞を配ることになったのである。 僕が自分で決めた初めてのアルバイトであった。
しかし、 結論からいえば、 僕は次の週頭から新聞を配ることはなかったのである。その 晩、 僕は食事の席で両親にその事を、やや 自慢するように言ったのだが、 突然、父親に 怒鳴られてしまうのだ。
「 俺はお前にそんな苦労をかけさせているのか。 貧しい思いをさせているのか。」
母は 黙っていた。 僕は 褒められるだろうと思っていたので、父の∵ 怒鳴り声は予想外の出来事だったのだ。何時だったか 勤労少年のドキュメンタリーテレビをみながら父が目頭を 濡らしていたのを 僕は見て知っていたから、 彼のその行動はまったく 理解することができなかったのである。そして 余りの 剣幕に 僕は 逆らうこともできなかった。
結局、 僕の母が次の日新聞の集配所に出向き、 僕の初めてのアルバイトは 夢と消えることとなった。父は体面を気にしたんだ、と 僕は後で考えた。新聞を 背負わせて小さな 子供を働かせていると、同じ 社宅の人たちに何と思われるか分からなかったからだろう。
そして 僕は次の日から新聞配達の少年をさけるようになるのである。
( 辻仁成「新聞少年の歌」)
「飽和化市場」という 読解検定長文 小5 冬 4番
「 飽和化市場」という言葉がある。いろいろな商品の 普及率がもう 限界のところまできている消費市場をあらわす言葉だ。たいていのモノはひととおり行きわたった、という 状態である。
飽和化市場の 特徴は、いままでもっていた 製品から新しいものに買いかえていく 需要は多いが、市場全体が成長していく力はもう 限界のところまできている、という点だ。
そのため、売り手側としても、いままでと同じような売り方では商品が売れない。そこで、それぞれ 独自の商品を開発したり、新しい売り方を考えたり、これまでとはちがった分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。ここまでに 紹介した 販売方法の工夫だとか、競合商品にはない 独自の 機能やデザインの開発などといったことも、こうした市場があふれている。
たとえばモノ。すでに 述べたように、ヘッドホン・ステレオ一つ取りあげても、 似かよった商品がたくさんのメーカーから発売されている。たくさんの商品のなかから、きみは一つの商品を選んで 購入するわけだ。そのためにカタログを取りよせたり、お店の人の話を聞いたりして 情報を集め、 比較した上で決める。
つまり、きみの前には、とてもたくさんのメニューがあり、そこからある一つを 選択するというわけだ。
サービスという商品を 購入する場合も同じだ。
外食の代表といえるファースト・フード。あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場したと思ったら、すぐに別のチェーン店にも 似たようなメニューがつけ加えられる。もちろん、「一味ちがった」商品としてだ。
ここでもきみは、さまざまなお店のさまざまなメニューのなかから一つのサービスを 購入するための 選択をすることになる。
新しい商品やサービスが市場にでるまでには、売り手側の「商品差別化 戦略」がおこなわれている。消費者側の 情報を得るための 調査、その 情報をすぐに利用できるように 蓄積したデータベースの作成、テレビやイベントをとおしての 宣伝・広告・商品を 効率よ∵く売るための 仕掛けなど、売り手側の努力はこれまでみてきたとおりだ。
だから、きみは、売り手側の商品差別化 戦略という大きな「 仕掛け」をかいくぐって、たくさんのメニューから一つを決め、 選択するのである。これは、とてもたいへんなことなのだ。
たしかにメニューはたくさんある。
だが、それは、メニューがいまほど多くなかったときにくらべて、よりよい 選択ができるということなのだろうか?
ちがいをうたって登場した商品は、すぐに 似た商品が登場することで、ちがいの部分がなくなってしまう。きみの「ステイタス」にふさわしいはずの 独自の商品が、すぐにその 独自性を失ってしまう。イタチごっこみたいなもので、ちがいはますます細分化し、たいした意味をもたなくなってくる。
たいした意味のない「ちがい」を選ぶためにたくさんの商品が用意されているのが、はたしてほんとうに 豊かなことなのだろうか。わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきたのだろうか。何度でも自問してみる必要がありそうだ。
おびただしい商品にかこまれて毎日 暮らしているわたしたち。わたしたちが生活すること=消費することである。 住宅、家具、食品、衣服、電気 製品、新聞、 書籍、日用 雑貨といったモノから、電気、ガス、交通 手段をはじめとするサービス 財まで、日々消費しつづけているのだ。
そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび多様な生産を 促す。
そして新しく生産された生産物が、消費者であるわたしたちに、また新たな 欲望をひきおこす。
こうして生産と消費が 循環しながらふくらんでいくのである。しかも、売り手と買い手のどちらも、先がみえていないときているのだ。
こうした生産と消費のくりかえしのなかで、地球 資源は 減少をつづけ、生産にともなう 排出物や消費生活からでる 廃棄物などによって、 環境汚染がすすんでいる。それも、地球的な 規模でおこ∵っているのである。
気をつけなくてはいけないのは、地球 環境を 汚染しているのは、生産をしている 企業側だけではない、ということだ。 汚染に 責任があるのは、買い手であるわたしたちも同じだ。生産をささえている消費者側の 責任も大きい。
つまり、わたしたちは他人とのちがいを 示すために地球 資源をつかい、 環境汚染物質を 排出しつづけている 可能性をもっているわけだ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自分たちの消費のあり方そのものを問いなおさなくてはいけない。
たとえば、わたしたち日本人がふだん食べているエビ。
日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍以上になり、売り上げは一兆円をこえたそうだ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんどは東南アジアからの 輸入によっている。エビの 稚魚は、東南アジア各地にひろがる広大なマングローブの 沼地で育っており、そのエビを 捕獲するために大型船もはいっている。そのためエビ 資源はしだいに少なくなり、マングローブの 沼地も 荒らされているのだそうだ。
日本人が 直接荒らしまわっていないにしても、わたしたちのエビ消費が、結果としてマングローブを 枯らすことになっているのは 否定できない。
これは一つの例であって、わたしたちの生活が、このように 間接的に 環境を 破壊していることは、じつに多い。わたしたちがおびただしい消費を重ねることが、考えてもみないようなところに 悪影響をあたえ、 傷つけることになっているわけだ。
そうした 直接みえない他人や世界へ、どこまで 想像力をはたらかせることができるかが、これからますます問われることになるだろう。もちろんこれは大人だけの問題としてでなく、きみたち一人一人がこれから考えなければならない問題だと思う。
(児玉 裕「あなたは買わされている」)
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