私たちは、生活の場が 読解検定長文 小5 夏 1番
私たちは、生活の場が森林から 離れてしまっているので、森林が 破壊されると毎日の生活をいかに変え、いかに住民を苦しめているかを 理解するのはむずかしいでしょう。多くの国でその森林のなくなったことが、エネルギー 危機となって 現われています。といっても、先進国の石油 危機ではなく、まきや炭の不足です。
国連の 調査によると、世界人口の半数がエネルギーをまきや炭に 頼っています。世界で切られる木材の半分は、 燃料にされています。ところが、村の周辺の木を切りつくして遠くまでまき集めに出かけねばならず、アジア 諸国や、アフリカの 乾燥地帯では、まき集めはふつう、週三回も一日がかりで出かける重労働になっています。
同じ 調査によると、世界で約十一億五○○○万人がまきや炭の不足に 悩まされています。紀元二○○○年には、これが二四億人にも 増加すると 予測しています。まきが手にはいらなくなった人びとは、 家畜のフンを 乾燥させて 燃料に使います。 肥料として畑に 戻すべきフンを 燃やすので、いよいよ田畑は 荒れてしまいます。
森林がこれだけ 急激に広い 範囲で 減ってしまうと、気象が変わってしまうのでは、と心配されています。アマゾンでの 調査によると、熱帯雨林では 降った雨の四分の三までが 樹木に 吸収され、残り四分の一がジャングル内の川に流れこみます。 樹木に 吸収された水分は、また 蒸発して雨となって 降ってきます。森林と大気との間で、水の「キャッチボール」をしているようなものです。このような気候では、森林の 破壊でキャッチャーがいなくなると、雨が 大幅に 減って気候がいっぺんに 乾燥化してしまいます。
樹木は切られると、三重の意味で 二酸化炭素を 増やすことにつながります。それは1. 二酸化炭素を 吸収するものが少なくなる、2.切られた木は、木材になっても紙になっても、いずれ 燃やされるか、くさって 二酸化炭素を出し、3.森林の土の中にたまってい∵た落ち葉や根がくさって、 二酸化炭素の発生 源になるということです。
大気中の 二酸化炭素は、ちょうど温室のガラスのように、太陽光線は自由に通りぬけできても、熱は 逃がさないはたらきがあります。つまり、 二酸化炭素が 増えると、地球全体をガラスでおおったようになってしまうのです。
また、森林を 破壊すると、そこに生きる動植物にも 致命的な 影響をあたえます。地球上には五○○万から一○○○万種の動植物がいると考えられていますが、このうち名前のついているのは一六○万種ほどです。これらの生き物の半分は熱帯林で生きています。熱帯林が 破壊されれば、これらの生物も 絶滅してしまいます。
熱帯林に住む原住民もその 破壊とともに急速に追いつめられています。アマゾンのインディオ、アフリカのピグミーやブッシュマン、東南アジアのメオ族などは、森林地帯に住んで 伝統的な生活や文化を 維持してきました。森林の 破壊とともに、 彼らはすみかを 奪われて都市に 流れ込んでスラムに住まねばならなくなったり、あるいは、 奴隷のように農園で使われて生きています。
人類は、これからもますます森林を 奪っていくことになるのでしょう。国連の 推定では一○ヘクタール森林が 破壊されてわずか一ヘクタールしか植林がすすんでいません。木を植えて利用できるまでには最低でも一○年はかかります。今ある木を一本でも多く守り、一本でも 増やすのが 私たちのもっとも重要な 義務です。そうでないと、 私たちの子孫はこの地球に生きていけなくなるかもしれません。
(石 弘之「いま地球がたいへんだ」)
「ごみゼロ社会」は 読解検定長文 小5 夏 2番
「ごみゼロ社会」は 企業が行動を改めさえすれば 実現するかのように受け取られるかもしれません。しかし、そう 単純ではありません。
私たち一人ひとりはこの社会の中でいろいろな顔をもっており、どの顔もひとりの人間の真の 姿です。 政治的な顔は、国民・市民としての立場から 主権者として 政治にかかわることです。生産者としての顔は、 職業・仕事をとおして 経済活動にかかわることです。生活者としての顔は、ものやサービスを消費しながら、教育・文化や 趣味・リクリエーションにかかわり成長していくことです。こうしたいろいろな側面が 私たちのなかに重なりあっています。人によって、また 年齢によって、ある部分が大きくなったり小さくなったりしますが、こうした多面的な 視点から対象をトータルに見ていくことが必要です。
暖房や 冷房がききすぎている乗物やオフィス、 歯磨き・ 洗顔・調理のときの湯水の流しっぱなしや、テレビ・電気のつけっぱなし、メーカーからのエコロジーメッセージに気づかず、 値段と見栄えと便利さで商品を選ぶ買い物、公共 輸送機関が利用できるのに車を使うこと……。 私たちにとって身につまされることばかりです。いままであたりまえのこと、よいと思っていたこと、まわりの人も同じようにしていることを、自分の意見で変えていくわけですから、なぜそうしようとするのかについての 知識が必要ですが、日本人とか○○会社の社員としてではなく、地球人としてのセンスが必要です。
ここで、ケチとぜいたくについて考えてみましょう。ケチとかぜいたくとかいうことは、ものが少ないとき、ものがあっても買うお金がない時代、 逆にいえば、だれもがものを持ち、お金を使うことを 渇望しているときの言葉です。ある人がどんどんものを買い、お金を使うのをみてうらやむときに「ぜいたく」といいます。しかし、地球はいま、もの 余り・金 余りの人間によって 痛めつけられているのです。オイルショックのとき、もの( 資源)が 枯渇するとい∵われましたが、そうかんたんにはなくならないことがわかってきました。地球にはまだものがいっぱいあります。お金も先進国には十分あります。とくに日本は 余っています。
地球、とくに先進国ではいま、ものが 余っています。つまり、ケチとぜいたくという言葉の社会的 基盤がなくなってきています。そういうときに、この言葉のもつ 概念にしばられている人は 時代遅れということになります。いま地球に不足しているのは、ものではなく、ものの入れもの、 資源を使いごみにしたときのごみの 捨て場(地球 環境)です。先進国、とくに日本に不足しているのは、お金ではなくて地球を救うための 知識とセンスです。
ものをどんどんつくり、 使い捨てにする一方で、なんでもお金で 解決しようとする日本人は、自らのことを日本語で「ぜいたく」と 称しても、それは本人の勝手ですが、じつは地球語に 翻訳するとそれは「ケチ」ということになってきます。ものを大切にし、できるだけごみをつくらないようにする人、そうなるように 智恵を出す人、 汗を流す人が、地球語では「ぜいたく」な人なのです。
地球 環境を大切に守りながら子孫に伝えていくことに 異存のある人はいないでしょう。問題は自分自身でそれを 理解し行動していくことです。あなたがいま、この本を読んでいるその 瞬間にも、たえずまわりに 捨てつづけている「ごみ」をとおして、生活を見つめ直していくことが大切です。そのときのキーワードは、地球語の「ぜいたく」なのです。
( 八太昭道「ごみから地球を考える」)
時計をみると、 読解検定長文 小5 夏 3番
時計をみると、 塾のはじまる 時刻まで、まだ一時間半ほどあった。ゆたかは、道路 脇の小さな公園を歩いた。公園の中に 人影はなかった。ベンチに 腰をおろしたとき、キー、キーと鳴く声が耳につき、目をやった方に、小さな 段ボール箱がおかれていた。 段ボール箱の中をのぞくと、やっと歩けるようになった 子猫が二ひき、箱の中を動きまわっていた。
その 段ボール箱には「ほけんじょへつれていってころされます。だれかひろってください」と、おさない文字で書かれていた。その字から、小学校の低学年の 子供が書いたのだと分かり、ゆたかは、このままだと、 保健所につれていかれて殺されてしまうだろう 子猫たちを、小さな子が、助けようとして 捨てたのだと思った。助けたいと思った。そう思ったとき、お父さんが動物ぎらいなのを思いだした。ゆたかは、赤毛の 子猫を手にとってみた。 子猫はゆたかの手に小さな 爪を立ててキー、キーとはげしく鳴いた。ぱっちり開いた目もかわいかった。
赤毛の 子猫をおいて、白ぶちの 子猫を手にのせてみた。白ぶちは、手にしがみつくように 爪をたて、こきざみに 震えながら、何かをうったえかけるように鳴いた。その見開いた目が、たまらないほどかわいかった。つれて帰りたいという思いがふくらむにつれ、ゆたかの中で、お父さんの顔が大きくなった。だれかがひろってくれるだろうという気持ちがおき、ひろわれなければ死んでしまうだろうという思いとせめぎあっていた。それは、お父さんと、目の前で助けを求めている 子猫たちの顔をしてゆたかを苦しめた。
「だれかが助けてくれるさ」
お父さんの顔に、 圧しつぶされそうな思いで、 子猫たちに話しかけたとき、 胸が 痛んだ。目に 浮かびかけた 涙をこらえて立ちあがったとき、カラスが一羽、 子猫たちの真上の木の 枝にとまった。カラスの目が 子猫たちを 狙っていた。ゆたかは、小石をひろって、カラスに投げつけた。木の 枝に小石がぶつかる音といっしょに、カラスが飛び立ち、そのまま、公園のすみっこに 降り立った。
ゆたかは、そのカラスめがけて、また石を投げつけた。何度も、∵何度も石を投げつけた。石を投げるたびに、カラスは 逃げるが、公園から去ろうとはしなかった。
「このままにしたら、あいつに食べられる……」
そんな思いがよぎったとき、ゆたかは、何も考えず、 子猫たちの入った箱をかかえ上げた。そして、まつわりついてくるお父さんの顔を、 押しのけるように、家路をたどった。
人通りがまばらになった暗い通りに、ひとかたまりの 子供らがあふれだし、それぞれの家路へと散らばっていった。最後に教室をでたゆたかは、そのようすを見ながら、 塾の 階段を 降りた。
早く帰りたいという思いがあり、足のすくむような思いもあった。 納屋にかくした 子猫のことが気になり、見つかっているだろうという不安が、お父さんの顔といっしょになって、急ごうとする気持ちにからみついてくる。あんなところにかくしていても、鳴き声を上げれば、だれだって気がつく。ずっと静かにしていてさえくれれば……。
大きな通りにでたとき、車の流れる音が急に大きくなった。夜の大通りは、まるで光の 洪水のようだ。信号が変わり、光の 洪水がせき止められた。いく人かの歩行者が、 横断歩道の上で すれ違った。 横断歩道を 渡って、しばらく歩いてから、車の 洪水のはじまった音が 背中にひびいた。
ゆたかは、 子猫が見つけられていたときの 方策を、あれこれ考えながら歩いた。 飼ってくれと言っても、それはむりだと分かっていた。引き受けてくれそうな友だちの顔をいろいろ 浮かべ、もらってくれる人があらわれるまで、 飼っていてほしいとたのむことしか残されていないような気がした。そう思って 浮かべる友だちや、同級生の女の子の顔が、なぜか、いつもより、とっつきづらくよそよそしかった。
家が近づくにつれ、めぐらせる思いの何もかもが重たくなり、足も重たくなった。 玄関の前までもどってきたときには、ただ、見つかっていないかもしれないということだけが、気持ちのささえだった。
( 笹山久三「ゆたかは鳥になりたかった」)
「ただいま」 読解検定長文 小5 夏 4番
「ただいま」
「ゆたか、ちょっときなさい」
お帰りの返事もなく、 呼びつけたお父さんの声は、いつもより強かった。
「お前か、 猫をひろってきたのは」
居間にはいるなり、耳につきつけられた言葉に足がすくんだ。
「カラスが 狙っていたから……。食べられちゃうから……」
「今から、もどしてきなさい。元のところへ……」
「……」
いやだと思った。それでも口にはだせなかった。
「お父さんは、 猫の毛アレルギーなの。 子供のころ、ぜんそくをわずらったことがあるの、それ、 猫の毛が 原因かもしれないんだって」
「友だちで、 飼ってくれる人さがすから……」
「いなかったらどうするの」
そう言った、お母さんの 脇で、お父さんがこっちを見ていた。にらまれているようで、目をあげられなかった。
「それまで、 納屋で 飼うから、自分で生きていかれるようになったら、のら 猫にするから」
「聞き分けのないやつだなあ、のら 猫を 増やしてどうするんだ。のら 猫のせいで 迷惑こうむっている人間のことは、どうなるんだ」
「……」
「とにかく、うちじゃ 飼えないから、元のところにもどしてきなさい。お前が悪いんじゃない、最初にすてた人間が悪いんだ。うちで育てて、のら 猫を 増やしたら、うちが悪者にされる。分かるな……」
「……」
もう口ごたえはできなかった。
「今からいってきなさい」
「だれか、 猫の好きな人がひろってくれるかもしれないでしょ」
そう付け加えたお母さんの言葉は、声だけやさしかった。ゆたかは、言葉をうしなったままに立ち上がった。∵
「待ちなさい。これミルクとお皿。ひろってくれる人があらわれるまでに、死んじゃうと 困るから……」
お母さんが差しだした、 牛乳パックとプラスチックの皿を受け取り、ゆたかは 納屋に歩いた。歩きながら、こうなることは、初めから分かっていたような気がした。
納屋に入ると、その気配を感じたのか、 子猫たちが鳴きだした。 納屋の電灯をつけると、けんめいに 伸び上がって、愛を求める 子猫たちの 姿があった。たった二つの、こんな小さな命でさえ、まもってやることのできない自分のことが、みじめでならなかった。大きくなって、自分で働きだしたら、ぜったい、お父さんの言うことも、お母さんの言うことも聞かない。そう思いながら、 子猫の入った箱にふたをした。 子猫たちが、キーキー鳴きながら、助けてよと、うったえかけるように箱の中を動きまわった。
公園から見える 入り江に街灯の光がゆれている。古本屋のおじいさんの家に、明かりの気配はなく、 廃屋が、自分のしでかした 罪のきずあとのようにたたずんでいた。
ゆたかは、指にミルクをつけて 子猫たちの口にもっていき、立ち去れない思いのままに時間を 過ごしていた。 子猫は、ミルクのついた指にしゃぶりついて、けんめいに 吸い込もうとする。そのざらついた 舌の 感触が、指先に心地よい。
( 中略)
生きようとしている 子猫たちを見つめているうちに、ゆたかは、どうしても助けてやりたくなった。ここに放っておけば、明日の朝にはカラスがくるだろうと思った。頭の中では、 子猫たちをかくしておける安全な場所をさがしまわっていた。自分の家で、見つからない場所は、もうなかった。あそこ、ここと思いをどんなにめぐらせても、人の目のないところは思い当たらなかった。
( 笹山久三「ゆたかは鳥になりたかった」)
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