旅は一人でするのが 読解検定長文 小6 冬 1番
旅は一人でするのがいいだろうか。 誰かと二人でするのがいいだろうか。それとも、グループでするのがいいだろうか。これは意外に答えにくい 難問である。がそれでも、一度考えてみるに 値する問題を 含んでいるといえるだろう。なぜなら、旅を一人でするか、二人でするか、それともグループでするかによって、同じく旅とはいってもかなり性格のちがったものになるからである。
本当に旅の好きな人は、ふと思い立ったときに一人でぶらりと旅に出かける、といわれる。日常の人間関係のしがらみから 離れ、足の 赴くままに旅をするには、一人の旅がいちばんいいであろう。 誰と相談する必要もなく、自分一人の思うがままにどこへでも行くことができる上に、旅の仕方についても 誰の 遠慮もいらないからである。旅の在り様として自由と 偶然性をもっともよく 享受できるのは一人旅である。また、旅先でもっとも直接に現実と 触れうるのも、自分をよく見つめうるのも、一人の旅であろう。
定住社会のなかに生きていると、ひとはしばしば、日常生活のわずらわしいしきたりや 拘束をのがれて一人でふとどこか遠いところへ行ってしまいたくなる。が、実際にそれができる人はきわめて少ない。ほとんどの場合、ただそうしたいと心に思うだけで実行はできず、したがって思いだけがつのるようになる。だからこそ、人々の間で自由で 奔放な一人旅= 放浪への願望が根づよいのであろう。そして、 放浪という名の一人旅には、絶対的自由へのあこがれがある。
このように、たしかに旅は一人でするとき、本人にとってもっとも自由で解放的で 冒険に富んだものになる。また一人旅では、ほかに相談する相手が身近にいないから、すべてにつけて自分で思案しなければならない。そのために、自分自身との間での対話を活発に行なわなければならないことになる。一人旅では 私たちは、そういうかたちで旅先での現実に相対するのである。けれどもこれは実際には、なかなかたいへんで 骨の折れることであると、息をぬくひまがなく、心の 余裕がなくなるからである。そのために 緊張の連続が強いられ、どうしても 隙ができてしまう。∵
だから一人で 異国の旅をしていると、ほとんど 不可抗力に近いかたちで、荷物の一部を置き引きされたり、スリに出会ったりするのである。かく言う 私自身、 先達てもミラノの街で三人組のスリに出会って、半ば気がつきながらみすみすかなりの大金を 盗られてしまった。相手があまりにもみごとな 腕、みごとなチーム・ワークだったので――もちろん 盗られたことは 腹立たしく、その後何日も 不愉快でしょうがなかったけれど――実はちょっと感心さえしている。
(中 略)
掏られた金は、 私にとってかなりの大金だったけれど、幸い、旅行をつづける上で 支障になるほどではなかった。しかしその後しばらくの間、旅行をしていてもどうしても必要以上に他人に対して 警戒心が働いてしまい、ひどく気が 疲れた。そういうときほど、一人で旅をしていること、 相棒なしに旅をしているのがうらめしく思われることはない。 相棒あるいは道づれがあったからといって、スリに会う心配がまったくないというわけではないけれど、二人になれば注意の 及ばない死角はずっと少なくなるし、行動にずっと 余裕がもてるようになる。
それに同行者としていい 相棒が得られれば、旅をする上でなにかと好都合な相談相手になるし、話し合うことで旅での経験を確かめ合うこともできる。ただし実際には、この道づれのえらび方はたいへん 難しい。不適当な道づれをえらべば、 互いに相手の自由な行動を 牽制し合ったり、 束縛し合ったりすることになるだろう。 互いに相手の独立性と自由をできるだけ 尊重しながら、しかも必要なとき、いざというときには力になり合い、よき相談相手になるような関係がもっとも望ましいわけだ。いや、それほど理想的な関係が成り立たなくとも構わない。旅において道づれがいることは、自分以外のもう一つの眼=他者を 含み、その他者との対話をもちうるという点で 貴重なことなのである。
では次に、グループの旅はどうであろうか。一口にグループでの∵旅といっても、気心の知れた親しい友人たちとの少人数の旅の場合と、いわゆる団体旅行、セット旅行の場合とでは、 一緒には考えられない。前者の場合には、グループでの旅といっても、よき道づれとの二人での旅と本質的にはあまり 異ならないものでありうる。うまくいけば、人それぞれの独立性と自由を保ちうるからである。また、 自己と他者との関係が固定的でなく可動的だから、その関係がうまく生かされれば、旅はいっそう豊かなものになるだろう。
ただし人数があまり多くなると、人それぞれが旅先で現実にふれることよりも、グループ内の 相互のふれ合い、付き合いの方に重点がかかってくる。だからグループでの旅はしばしば移動する 宴会のようなものになるのである。いわゆる団体旅行、セット旅行の場合には、あらかじめ決められたコースがあって、スケジュールもびっしりつまっているから、また、バスに乗ったままでお目あてのところに連れていってくれるから旅ならではの独立性、自由、 偶然性、 異質の現実などとの 接触が 著しく弱くなる。もちろんそのようなグループ旅行も使い方によるし、そこで 収穫にめぐまれることもあるけれど、その場合、旅のあり方も同行者のあり方もずいぶんちがってきているわけである。
(中村 雄二郎「知の旅への 誘い」)
帰国生の教育体験調査を 読解検定長文 小6 冬 2番
帰国生の教育体験調査をつづけるうちに、日本と 欧米の授業方法の 違いが、だんだんにはっきりしてきました。それを、あえて一言でいえば、 欧米では 獲得型授業が、日本では知識注入型授業が 一般的だということになります。
では 獲得型授業とはどういうものなのでしょうか。もう少し 詳しく考えてみましょう。 獲得型授業には二つの面が 含まれます。一つは、生徒が自主的に学んでいけるように、その学び方を訓練していくことです。生徒一人ひとりが自分でテーマを決め、ある課題にとりくんでいくなかで、内容を学ぶだけでなく、リサーチの仕方も身につけてゆくというものです。生徒が自ら学ぶという意味で、これを「自学の訓練」とよんでもよいものです。たとえば、日本の学校の提出物にはレポートという一つの言葉が使われているだけですが、アメリカではプロジェクト、レポート、エッセー、リサーチ・ペーパーなどのようにたくさんの言葉が使われています。こうしたことからも、いかに自分で学ぶ学習がさかんに行なわれているかがわかるはずです。
獲得型授業のもう一つの側面は、参加型の学習です。授業のなかに生徒の発言、発表、 討論などをさかんに組みこんで、生徒の授業への参加をはげますものです。よく言われることですが、 欧米の授業では、先生がたえず「きみの考えはどうか」と生徒に問いかけ、意見の表明を求めます。また、講義式授業であっても、その 途中から、 即興ディベートに移っていくことなどもけっして 珍しいことではありません。
もちろん、調べたり、書いたりする自学の訓練の側面と、発表したり、 討論したりする参加型授業の側面とは、たがいに 密接に関連し合うものです。調べたり、書いたり、発表したり、 討論したりすることは、一連の学習活動となっているのです。そして、地球時代を 迎えたいま、 若者に求められる資質は、こうした 獲得型の学習のなかでこそ育ってくるものなのです。日本に教育方法の国際化が必要だという理由は、こうしたことにもあらわれています。
では一方、日本の授業として 一般的な、知識注入型授業とはどのようなものでしょうか。その基本形態は、 私たちが日ごろよくな∵じんでいるもの、つまり 一斉講義式の授業です。この授業では先生が 教壇の上から生徒に知識を注ぎこみます。まるで、花に水を注ぐように。知識は高いところから低いところへと流れていきます。生徒は 懸命に板書内容をノートし、どれだけ内容を暗記できたかについて、試験でチェックを受けるという方式です。
この形態の授業は、たくさんの生徒に、 系統的な知識を、限られた時間で、しかも大量に伝えるには有効な方法です。その意味では効率的な授業方法だと言ってもよいかもしれません。
このため、知識注入型授業は、日本と同じように一クラスあたりの生徒数が多い 韓国、中国、 台湾、シンガポールなどのような東アジア 諸国でもごく 一般的な形態になっています。ただ、知識注入型の授業では、どうしても生徒側は受け身の 姿勢に終始してしまいがちです。 獲得型の授業に慣れた帰国生が、知識注入型の授業に参加感がもてないという感想をもつのも、こうしたところからきています。
日本でもそうですが、いまあげたこれらのくにでは、授業で国定・検定教科書を使い、ほとんど同じ内容を全国 一斉に教えています。またいずれの国にも 激しい受験競争があり、勉強すること自体が受験のための 手段となっている 状況が見られます。
ですから、いまの知識注入型授業から 獲得型の方向へむけて授業の形態を移しかえていくことは、けっして容易なことではありません。なにしろ、働いている制約条件があまりにも大きいからです。しかし、そうはいっても国際化の波がおしよせるにつれて、知識注入型授業にもとづくつめこみ教育の 弊害が、いよいよはっきり見えるようになったことも事実なのです。
( 渡部淳「国際感覚ってなんだろう」)
いま日本の若者の多くが 読解検定長文 小6 冬 3番
いま日本の 若者の多くが、受験競争の中で苦しんでいます。そして 渦中にいる受験生は、こんな苦しい 状況におかれているのは、きっと日本の生徒だけだろうと思ってしまいがちです。しかし、じつはそうではありません。 近隣諸国の受験競争の 激しさも相当なものなのです。
おとなりの 韓国も事情は同じです。 私がソウル市内の高校をはじめて見学したのは一九八〇年代の前半のことでしたが、日本の学校との類似点の多さに目をみはった経験があります。とりわけ、 韓国の受験競争のきびしさは、日本に勝るとも 劣らないものでした。
(中 略)
もう一つの 隣国・中国の入学試験もたいへんな 狭き門です。中国の大学進学率は日本ほど高くありませんが、入学定員自体が少ないため、競争は 激烈です。北京からの留学生・王立軍(ワンリージュン)さんはつぎのように語ります。
「中国の受験生は本当によく勉強します。ぼくの場合も、高校二年生から本格的に受験勉強をはじめ、三年生では受験一色の生活になりました。家ではもちろん、学校の休み時間にも、 寸暇を 惜しんで、友だちと教え合ったりしながら勉強しました。入試が終わったとたんにどっと 疲れが出てしまい、熱を出して三か月ほど入院してしまいました。精神 疲労がピークになっていたんだと思います。」
さいわい王さんは、北京にある文科 系の大学に合格することができました。その後、 経済学を学ぶために日本に来て、いまは都内の大学の二年生に 在籍しています。
中国の大学はすべて国立大学で、学生は授業料を 免除されています。全員が学生 寮で 暮らしていますが、 寮費や生活費も政府から支給されていました。
「中国の大学生は、特別に 恵まれた 環境をあたえられて勉強している身分ですので、遊びほうけている学生はいません。そのかわり、大学の勉強は 厳しかったですよ。定期試験の場合も、先生が 範囲を告げるだけ。日本のように 傾向と 対策のようなものはいっさ∵い教えてくれません。それでできなかったら落第ですから、みんな必死なんです。」
授業形態は日本と同じで、講義形式がほとんどです。ただ、日本の大学に入って王さんが 驚いたことがあります。
「日本の学生は、ほとんど先生に質問しないんですね。こんな質問をしたら周囲の学生にどう思われるかというような 遠慮もあるようです。中国では、授業が一区切りすると、学生がばらばらと 教壇のまわりに集まってきて、先生に質問します。別に質問したからといって、平常点が上がるとか、評価が変わるというのではありません。ただ、やる気のある学生ほど、熱心に質問するものだという 雰囲気はありますね。その熱意をわざわざ 隠す必要はどこにもありませんから、いきおい質問は活発になるんです。」
この 指摘に、またまた考えさせられてしまいました。じつは王さんと同じような意見を、ほかの国の留学生たちからも聞かされているからです。どうも、日本の大学生の積極性のなさは、留学生の目に 奇異なものと 映るようです。だとすれば、知識注入型の授業だから学生が受け身の 姿勢になっているというだけでなく、日本の場合にはもっと深い原因があるということになるはずです。
( 渡部淳「国際感覚ってなんだろう」)
十年ほど前、ボルドーの近くを 読解検定長文 小6 冬 4番
十年ほど前、ボルドーの近くを走っていて、くるまの 接触事故をおこしたことがある。人身には何の 影響もなかったし、こちらの日本製の車体がへこんだくらいで、何と日本のくるまは弱いんだといまいましいくらいのものであったが、――それにこちらにも言い分があり、相手にも 幾分の非があったのだが――。
それでも口をついて出たのは「すみません」ということばであった。相手は 朴訥な農民夫婦で「はじめてパリへ行って無事故で帰ってきたのに……」と 愚痴をさんざん 並べていた。
しばらくして「しまった」と思った。「すみません」とは、あやまり文句である。こちらがあやまってしまえばもうそれでおしまい。非はすべて当方がかぶらねばならない。
そのことは、フランスへ来て、くどく言われていたのだ。問題をおこしたら、ぜったいにあやまってはいけない。こちらの責任がいくら明白なときでも、まず「 汝ニ 咎ガアル」( ?ous avez tort.)と言うべきである。そうでないと、 賠償責任はすべてこちらが負わねばならぬ。「すみません」とは口が 裂けても(――はちと大げさだが)言ってはならぬ。自動車保険の 契約の注意書にさえ「事故のときにあやまってはならぬ」と書いてある。にもかかわらず、日本人である 私はつい「すみません」と言ってしまった。習慣はおそろしいものである。
リリアーヌ・エルという女性は「あやまるということ」(『 潮』昭和五十三年四月号)というエッセイの中で、日仏 比較文化のおもしろい観点を出している。日本人は 簡単にあやまる。フランス人はなかなかあやまらない。どうしてか、という問題である。 彼女の引いている例は、仲間を 裏切ったやくざが、のちに仲間にリンチを受けるというテレビドラマの場面である。 彼女は同じ 状況を 描いたドラマを日本とフランスで見た。 状況と結果はまったく同じである。どちらも、見下げた 奴として仲間に 憐まれ、ゆるされる。ところが、その過程の、 憐みを 乞う文句がちがう。日本だと「悪かった! 許してくれ」と言い、フランスだと「おれが悪いんじゃない! 殺さないでくれ」と言う。まるで正反対である。∵
ここで 私が言いたいのは、フランスでの「自分が悪かった」ということばの重みである。神の前で 自己の全人格を 否認するということ、それが自分の悪をみとめるということである。これは勇気ある 行為である。もし、やくざがそんな勇気ある 行為を示せば、人は 彼を 尊敬し、そして 簡単に殺してしまうだろう。 憐みを 乞うたことにはならないのだ。 憐みを 乞う場合は、 状況が悪かったとくどくどと弁解しなければならないのだ。
日本ではちょうど逆である。弁解すれば、 憐みはかけてもらえぬ。弁解は 理屈であり、 理屈は 卑怯である。ただ一言、悪かったとあやまる。この頭を下げるというのが、日本社会でゆるしのえられる 唯一の 行為である。
「悪かった」と言っても、日本では勇気ある 行為とはいえない。みんな、いつでも「悪かった」とあやまる。つまり社会的定型である。人は、定型によって 憐みを求め、定型によって 憐みを 与える。物を言っているのは、文化の型である。
(中略)
絶対の罪というものはない。しかし、おたがいに小さな悪、小さな 迷惑をかけあっている。それは無意識の 領域にちらばっているので、いちいちとりたてては言えないくらいである。だから、たえず「すみません」と言う。「すみませんで 済むか」と言われればその通り、といった重大な場面では、「ではどうすれば 済むのですか、あなたの気持ちの 済むようになさってください」という「すみません」の 語源に 迫るような 科白も出てくる。もっとも「どうすれば 済むのか」という反問じたい、あやまる文化の型にそむいている。これは日本では 反抗であり皮肉である。
というわけで、もっぱら 私たちは 腰を低くしている。日本文化の型になじんだ外国人のなかには、 腰を――というより 背をかがめて愛想笑いをふりまく人もいる。いつだったか、約束をたがえた外国人がおり、その人物、次に 私に会ったとき、 彼は「日本ふう」に 背を海老のようにまげ、謝罪したものである。その 極端な 姿勢∵におどろいた。 私たちは、外国人という鏡に 映った自分たちの文化の 姿におどろくのである。
エルさんはフランス人の 論理好きには、二つの種類があるという。客観的、 普遍的な 論理と、もう一つは、自分の立場をあくまで正当化しようとする 論理癖と、である。後者の、いわばフランス人の 癖のようなものが前者を形づくり、前者が逆に、後者の 癖を助長するということがあるのだろう。
とりあえずあやまるという日本文化には、人と人とのつながりをなめらかにするという 普遍的 知恵に通じるものがある。同時に、何でも「すみません」で通そうとするあつかましさもある。 済むとか 済まないとか――そんなことを意識しないで、ともかく「すみません」と言っている。感謝でも謝罪でもない。「すみません」というのは、あやまる文化の型をつたえることばである。同時に、安直なことばでもある。後者はむしろ、伝統をなしくずしにする面がある。
ひとつのことばをめぐって、伝統と、それをなしくずしにしようという力と、その 双方がせめぎあっているようである。
ことばはむずかしいものである。ことばの 解釈もむずかしいものである。外国人は、あやまる文化に 卑屈さを見いだして感心したりするが、事は(少なくとも今は)それほど 簡単ではないように思われる。
(多田 道太郎『日本語の作法』)
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