恐らくまだ私が 読解検定長文 小6 秋 1番
恐らくまだ 私が小学校へあがらない、小さい時分のことだったろう。丁度 薄ら寒い曇った冬の夕方だった。 私は兄と父と三人で散歩に出たことを覚えている。父の方から 私等を散歩に 誘うことなどはなかったから、おおかたこの時も 私等が「つれてって、つれてって」と無理に父の後へひっついて行ったものだろう。道はどういう道を通って行ったか、うろ覚えにさびれた 淋しい裏町を通りながら、 私等はいつの間にか、いろいろと見世物小屋の 立ち並んだ神社の境内へ入っていた。 薄気味悪いろくろっ首や、 看板を見ただけでも 怖気をふるう安達ケ原の 鬼婆など、 沢山並んだ小屋がけのうちに、当時としてはかなり 珍しい軍艦の 射的場があり、 私の兄がその前に立ち止まってしきりと 撃ちたい、 撃ちたいとせがんでいた。 恐らく私も同様、兄と 一緒にそれを 一生懸命父にねだっていたことだろう。父は 私等に引っ張られて、むっつりと小屋の中へ入って来た。暗い小屋の内部の 突当りに、電気で照らされた明るい 舞台があり、ここかしこと遠く近く 砲火を交える小さい 軍艦を二三 艘描いた青い油絵の大海原を 背景に、伝記 仕掛の 軍艦が次から次へと静々と通過していた。ガランとした小屋の中には、客が二三人いるばかりで、そのうち当の 射撃者はただ一人しかいなかった。 撃った 弾丸が命中すると、 軍艦がぱっと赤い 火焔を 噴いて燃えあがりながら、それでも 依然として何の 衝撃も受けぬらしく、その 軍艦は今まで通り静々と 舞台の上を過ぎて行く。 私はもちろんそれが本当に燃えるものとは思わなかったが、それでもどうしてあんなに本当らしく燃えるのだろうと、 子供心に 驚異の眼を見張りながら、 一心不乱にこの光景を 眺めていた。すると、
「おい?」 突然父の 鋭い声が頭の上に 響いた。
「 純一、 撃つなら早く 撃たないか」
私は思わず兄の顔へ眼を移した。兄はその声に 怖気づいたのか急に 後込みしながら、∵
「 羞かしいからいやだあ」
と、父の 背後にへばりつくように 隠れてしまった。 私は兄から父の顔へ眼を転じた。父の顔は 幾分上気をおびて、 妙にてらてらと赤かった。
「それじゃ 伸六お前うて」
そういわれた時、 私も 咄嗟に気おくれがして、
「 羞かしい…… 僕も……」
私は思わず兄と同様、父の二重 外套の 袖の下に 隠れようとした。
「 馬鹿っ」
その 瞬間、 私は 突然恐ろしい父の 怒号を耳にした。が、はっとした時には、 私はすでに父の 一撃を 割れるように頭にくらって、 湿った地面の上に 打倒れていた。その 私を、父は 下駄ばきのままで 踏む、 蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを 滅茶苦茶に 振り回して、 私の全身へ打ちおろす。兄は 驚愕のあまり、どうしたらよいのか解らないといったように、ただわくわくしながら、夢中になってこの有様を 眺めていた。その場に居合せた他の人達も、 皆呆っ気にとられて 茫然とこの光景を見つけていた。 私はありったけの声を 振り絞って泣き 喚きながら、どういう 訳か、こうしたすべてを夢現のように意識していた。また自分自身地面の上を、大声あげてのたうちながら、 衆人環視の中に 曝されたこうした時分の 惨めな 姿を、 私は 子供ながらに 羞かしく思わずにいられなかった。しかし父の 怒りがやっとおさまりかけた 頃には、 私はもう 羞かしいも何も 忘れていた。ただじっと両手で顔を 蔽うたまま、思い出したように声を 慄わして泣きじゃくるばかりだった。そしてその合間合間に、はなや、 涙を 一緒くたにズルズル 咽喉の 奥へ 吸いこみながら、 私は先へ行ってしまった父の後からやっとの思いでトボトボついて行った。
(夏目 伸六「父 夏目 漱石」)
当時の私には、 読解検定長文 小6 秋 2番
当時の 私には、なぜこの時こんなひどいめにあったのか、その理由はまるで解らなかった。またそれを考える意識さえも持たなかった。しかし 私と兄と二人の中で、なぜ自分だけが 殊更あんなに打ったり 蹴ったりされねばならなかったのか。その点について 私は 子供心にも 淡い不満を感じていた。そしていつの間にか、 私は父のこの 行為を、一切 理屈ぬきの持病の結果に 帰してしまった。もちろんそれは一面においてたしかに病気の結果には 違いなかったが、しかしその反面に横たわる他の原因、すなわち病的な父の心を 刺激したその直接の動機に関しては、 私は長い間全く無関心だった。ところがつい 先頃、 私は何の気なしに父の全集を拾い読みしながら、ふと次の数句に気を 惹かれた。それには、
「…… 私の小さい 子供などは非常に人の真似をする。一 歳違ひの男の兄弟があるが、 兄貴が何か 呉れと 云へば弟も何か 呉れと 云ふ。兄が小便がしたいと 云へば弟も小便をしたいと 云ふ。 総て兄の 云ふ通りをする。丁度 其後から一歩々々ついて歩いて居る様である。 恐るべく 驚くべき 彼は 模倣者である。」
私はこれを読んだ時、ちらっともう二十数年も前に起こったあの出来事を、どういうものか 咄嗟の間に思い起こした。そして父のあの時の 恐ろしい激昂の原因が、何かこの数語の中に 含まれているような心地がした。 恐らく父は生来の 激しいオリジナルな 性癖から、絶えず世間 一般のあまりに多い 模倣者達を――、平然と 自己を 偽り、他人を 偽る偽善者達を――心の底から 軽蔑もし 憎悪もしていたに 違いない。
従って父は 私の 極端な 模倣性を見るにつけ、その都度苦々しい不快の念を禁じ得なかったとも考えられる。またその苦々しい不快の念はいつか病的な父の心に 鬱積して、兄と同様はずかしいからと 射撃を 拒み、その上なおも 仕種まで同じように父の 袖の下に 隠れようとした 私に向って、 遂に猛然とその 怒りを 爆発させてしまった∵のではなかろうか。しかも父の真実性に対する 渇ききった 執着と、周囲を 取巻く偽善者への 忿懣は病気の進むにつれて必ず加速度的に 異様な方向へ 進展して行くのが常だった。正常における真実性への 渇仰も病気に 伴う極度の 警戒心にゆがめられて、いつか、 瞞されはしまいかという不安に満ちた 疑惑に変り、その 疑惑はたちまち、人は自分を 瞞そうとしているのに 違いないという 奇怪な断定にまで 到達する――たしかに父の病的な心理の 推移は、一面こうした経路をたどって 逐次悪化して行ったのに 相違ない。しかも、兄に 倣って、父の 袖の下にかくれようとした 私は、不幸にして「 恐るべく 驚くべき 模倣者」であり、自分から 撃ちたい 撃ちたいとせがみながら、いざ 撃てと 云われれば 嫌だという、許すべからざる 偽善者であり、さらに意識的に父を 欺いた 憎むべき 小忰だったのである。
(夏目 伸六「父 夏目 漱石」)
元気に孫の運動会を 読解検定長文 小6 秋 3番
元気に孫の運動会を見にきて、その足で自分の妹や弟夫婦と二 泊三日の旅に出て、そのまま帰ってこなかった。
父親とは九 歳の時に早々死に別れたが、うかつなことに旅先の病院に 駆けつけるまで母と別れるなんてことは考えてもいなかった。考える 余裕がないほど母とは 密着していた。
実は生まれて四十二年、母親と 離れて住んだことがなかった。父が 私という 肩代わりを残してさっさと消えてしまったから、母ひとり子ひとり、りえとりえママの倍にあたる月日を常に 一緒に生きてきた。
りえママのようなたくましさがなかった母は、夫を失った不安と心細さを 娘である 私にグチることで、そこから立ち直ろうとした。
「まったく神も仏もないね。ウチみたいに 困っている家の 亙を台風に 吹き飛ばさせるなんて。お前どうしたらいいと思う?」
最後は 私に決断を求める。小学生の 私は、あわてて飛んだ 亙を拾いに走り、それが使えないとわかると 剥げた屋根にビニールを 貼る方法を 真剣に考えたものだ。
(中 略)
母のような大人になりたくないと思い始めたのは、まだ中学生の 頃だったと思う。
私が自分のしたいことをすると世間体が悪いと 怒るのに、 私がアルバイトをするとすまないねと小さくなる母が何だか悲しくていやで、 私が一番 不機嫌になるのは「お母さんに似ているね」といわれた時だった。
母と 違う生き方をしたくて、ずっと母と 闘ってきたような気がする。それでいて、 離れる勇気も放す勇気も お互いになかった。
母に似てると 誰にも言われなくなったら、母に似ていると思える部分が自分の中にたくさんあることに気がついた。 私がずっと苦戦していたのは、母の 影ではなく実は自分自身の 影だったのかもしれないなあと思う。∵
私の中の 認めたくない部分を、母に 映してそこを 嫌悪し、勝手に 屈折していたのかもしれないとも思う。母がいなくなって、いろいろなものが全部自分の中に 映し出され、母への感情がシンプルな 娘のものになった。
ずいぶん前に、 子供は親の 影と戦いながら親と逆の生き方をするか、 抵抗しつつ同じ生き方をするかどちらかだというような説を読んだ覚えがある。親のいいところだけ取るという都合のいい道はないらしい。
自分に対してはいよいよ気が重いが、写真の母には素直になった。
写真は笑っている。旅先から家に連れて帰り、必死で笑っている写真を 捜したのだ。これからも親の 影を 背負って生きていかなければならないだろう 私を、せめて笑ってみていてほしかったからである。
( 吉永みち子「母の写真」)
僕は一度だけ 読解検定長文 小6 秋 4番
僕は一度だけ 塾に通ったことがある。
小学校の六年生から中学の一年生の春までの間で、場所は北海道の帯広だった。 塾の名前は正式の 名称があったはずだが、今や覚えているのは 狸塾という 通称のほうだけだ。(別名ぽんぽこ 塾と 呼ばれていた)何故その 塾に通いだしたのかは 忘れてしまった。多分同級生がそこへ通っていたからだろう。あの 頃、 僕には三人の仲間がいた。
ありもり、おのだ、まなべ、の三人である。 僕を 含めて四人は学校が終わると毎日自転車をとばして 塾へ通うのだった。雨の日も風の日も 僕らは自転車でそこへ通っていた。競争するように競って、びゅんびゅん風を切って走っていたのである。
そうだ、今思い出した。 僕がそこへ 彼らと通うようになったのには、ちょっとした理由があったのだ。同じクラスのあやべさんという女の子がやはり通っていたからだ。 僕は 彼女のことがきっと好きだったのである。どうもまだ愛とか 恋とかその手の感情に 鈍感な時期だったので、あれがそういう感情のものだったかどうかちょっと自信がないのだが、授業中 彼女のきりりとした横顔を見るのがすきだったことは確かだった。その横顔をもっと見たくて勉強の 嫌いな 僕は 塾通いを決心したのである。あやべさんは帯広の大きな病院の 令嬢で、ゴトウクミコにまさるともおとらない美形(いや、これは信じて 頂くしかないのだが)な才女だったのだ。学校では当然人気者で、 僕などそうやすやすと近づくことさえできなかったのである。だから、 僕は 彼女と同じ 塾へ通うことにしたのだ。(中略)
僕らは 塾帰りに、 途中の国道 沿いの雑貨屋で 肉饅を買って食べる習慣があった。季節が変わり寒くなりはじめると湯気の 昇る肉 饅を食べることが 凄く楽しみになるのだ。北海道の夜空は星が高く、きらきらと散りばめるように灯っていて 吸い込まれそうだった。 僕らは肉 饅を口いっぱいにほおばりながら、その 神秘的な 輝きを見∵つけていた。大きな星空を見ていると、自分たちの 存在の小ささに気を失いそうになった。
僕らは 微妙な 年頃であった。 恋を知り、物事をわきまえ始める 年齢であったのだ。
「なあ、ニック。君は 誰か好きな女の子はいるのかい」
ジョンは 缶コーヒーを 啜りながらそういった。
僕は思わず食べていた肉 饅が 喉に 詰まりそうになって、一度 咳払いをするのだった。
「なんだよジョン、いきなりそんなことききやがって」
(帯広はあまり方言らしい方言がなく、 殆ど標準語であった。それから 僕らの 年齢の 子供たちはテレビの 影響もあって、東京風の言葉を使うのがかっこいいとされていたのである。 僕は直ぐに土地の言葉や習慣になれる才能を持っていたのだ。それがないと転校生は 余所の土地では生き残ってはいけないからだ)
「お、顔が赤いぞ。さては図星君だな」
ジョンがそういって 僕の 肩を 叩くので、 僕は思わず目を 伏せてしまった。
「だれだよ、ニックは 誰が好きなんだ」
ロバーツが 煽る。
「ひゅー、ひゅー」
サムはポケットに手を 突っ込んだままマフラーに首を 竦めて 僕を冷やかした。(中略)
僕は夜空を見上げた。星の 瞬きがキャサリンのウインクのようで 胸がときめいていた。 沢山の 初恋を経験していたが、多分あのときの感情が 僕の本当の 恋の第一歩ではなかったかと思うのだ。 胸がときめくということを知ったのはまず 間違いなく(断言はできないが)キャサリンが最初の女性であった。
( 辻仁成「キャサリンの横顔」)
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